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2020年コロナの旅32日目:はじめてのアブサン

2020/01/17

ペイトンと受付で待ち合わせる。クラクフ以来の習慣となったウォーキングツアーに参加するのである。

待ち合わせの時間になっても何も起こらないので受付で聞いてみると、外に出て黄色いバスに乗れと言う。バス乗り場に行くと果たして観光客らしき男たちが2人立っている。

挨拶する。一人はショーンというアイルランド人。小柄で栗毛短髪の男で、緑色のつぶらな瞳をしている。なんとなく気の良い感じの、親しみやすい人である。

もう一人はジョシュというアメリカ人。親戚がドイツに住んでいるとかで、ヨーロッパを旅しているらしい。明るい茶色の長髪ともじゃ髭が特徴で、やや背も高いので木こりのような印象がある。

黄色いバスは我々をプラハの旧市街まで運んだ。そこではより多くのツアー客が待っていた。我々は全体の集合時間よりもかなり早く着いたらしく、しばらく時間がありそうだったので近くのH&Mに買い物に行くことにした。集合場所にいたサイラーという男とその彼女もついてきた。
寒かったのでニットの帽子が欲しかったが、ちょうど良いのがなかったので広場に戻る。ツアーが始まる。


広場でひときわ目を引く色とりどりのからくり時計は、それを作った時計職人が同じものを作れないように目をつぶされたとか殺されたとかいう血なまぐさい歴史のあるものらしかった。

ここプラハにも多くのユダヤ人に関わる史跡がある。作家のカフカもそういえばユダヤ人だった。彼の銅像が建てられた先にはシナゴーグがあり、その天井裏にはユダヤ人の守護者、ゴーレムが眠っている。
ゴーレムはユダヤ人に危機が迫ると目覚めて彼らを助けるというが、ホロコーストの時も動かなかったのでもはや天井裏には何もないのではないかともいわれている。

ツアーが終わった後、私とペイトン、ショーン、ジョシュの四人は少し観光を続けることにした。カレル橋を渡ると、ジョンレノンの顔が描かれた、いかにもインスタ映えしそうな壁がある。
その壁の前で、典型的には彼氏に写真を撮ってもらっている女の子たちを見て、ショーンは
「instahunsだ」
と呟いた。instagram honeyを略して複数形にしたものらしい。面白い言い方だ。彼はずっと剽軽な感じで話していて面白かった。ショーンに比べるとペイトンとジョシュは、西洋的男らしさに囚われた普通の男性という感じがした。しかしペイトンがショーンの名前を覚えられず、終始「おい、アイルランド!」と呼んでいたのは面白かった。そういうのは差別的ではないかとびくびくしてしまうが、私が日本で育った日本人であることの証左に他ならない。

皆でプラハ近郊の丘など見物し、ホットワインで暖をとるなどしたと、宿の近くの中華料理屋で食事をとった。他の三人はその後宿の地下のバーでドラァグクイーンショーを見物しながら酒でも飲むつもりだと言ったが、私はリダと一緒に遊びに行く予定があったので後で参加できそうなら連絡すると伝え、別れた。ペイトンとショーンには、あの可愛い受付嬢か!お前随分やり手だな、と言われた。

リダと彼女の職場、即ち私の宿のロビーで待ち合わせて、光の少ないプラハの夜の闇に繰り出す。

ずいぶん風の強い夜だった。彼女の案内で、少し歩いたところにあるcross barというバーとクラブが複合したような店に来た。スチームパンク、あるいはインダストリアルな雰囲気のバーで、リダはそういうのが好きらしかった。czech innにも少しそういう趣がある。

店はまだ開いていないようだったが、リダが店の人と話して早めに入れてもらった。普段は英語で会話するリダが母国語のチェコ語で話しているのは新鮮で、とても色っぽく見えた。彼女はチェコもチェコ語もあまり好きではないと言うが。

がらんどうの店内。ダンスフロアもある。私はダンスが好きだし、彼女にもそう言っていたので踊って見せろと言われそうで内心ひやひやしていたが、
「あんまり人がいないから踊りにくいね」
と彼女の方から言ってくれてほっとした。1対1で相手は踊らないのに自分が躍るという状況はあまり好きではない。

私はアブサン、彼女は柑橘系の軽いカクテルを頼んだ。
恋愛的緊張感漂う夕べではあったが、私とリダはひとしきり話した後解散した。


宿に戻ると昼に出会った輩たちはドイツの親戚のもとに帰ってしまったジョシュをのぞいてペイトンもショーンもまだ酒を飲んでいて、
「ははは、だめだったか、お前」
「まだ2回目のデートだろ?大丈夫大丈夫」
などと落ち込まないように気を遣ってくれた。ドラァグクイーンのショーが観たかった気がしないでもなかったが、リダと共に過ごせる時間の方が余程尊かった。特に私は旅の身空でもあるので、どれだけお互いのことが好きでもその関係には刹那的な儚さがあり、1秒でも長く彼女と一緒にいたかった。

私は、最初にデートした時から彼女に恋するあまりプラハに移住することも考え始めていた。しかしそうしたところで、仮に愛の火が燃え尽きなかったところで、死が二人を分かつ運命には抗いがたい。そう考えると全ての恋愛関係は刹那的であり、その幸福に残酷な終わりが約束されていることに思いを馳せると胸をかきむしって地団太を踏みたいような気持ちにもなるのだが、必死に現在に意識をとどめ、今を楽しむことに専心するのだった。

その後彼女からバーで撮ったという私の写真が送られてきた。
「私の技量ではあなたの美しさを表現できないわ…くそ…」
と、おそらく8割方本気で言っている彼女が愛おしい。


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