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恐山

私はもともと現代日本人一般程度には科学を信奉していて、死後の世界があるかということに関しては些か懐疑的です。少なくとも、確信をもって何らかの結論を出す、ということはできません。しかしながら、これはとある土地と、そこに住む老婦人との出会いを通じて、そんな私の考えが少しだけ揺らいだお話です。

青森にある恐山と言えば名の知れた霊山です。先ほど申し上げた通り特別に信心深かったり霊感があったりということはないのですが、私は高校2年の夏、東京の実家から青春18きっぷでこの山へ旅することにしました。子供の頃にシャーマンキングという漫画で恐山の「イタコ」と呼ばれるシャーマンの存在を知った時からあこがれがあり、調べてみるとたいへん風光明媚なところのようでもあったからです。

祖父も書生時代よく利用したと言う青春18きっぷを用いる旅は生まれて初めてでした。このチケットで利用できる鈍行列車では1日では恐山まで到達できないので、山形で1泊して青森を目指します。2日目、数時間の電車の旅を経て恐山に至ります。

噂にたがわぬ明鏡止水の境地ですが、なんとなく異様さもあります。もともとこの山は硫黄が豊富な火山で、亜硫酸ガスが充満しているために草木も生えず、動物も寄り付かないので「地獄」と呼びならわされたようです。科学的に原理が解明された今でも、その光景にはすさまじいものがあります。

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荒々しい岩がゴツゴツと積みあがった様もさることながら、その中に忽然と現れる濁りの全くない真っ青な池には、非現実的な冷たい恐ろしさを感じずにはいられません。これも硫黄のせいで水質汚濁の原因となる生物が生息していないだけらしいのですが。

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当山には人をして「恐山」と呼ばしめるに足る、かような素晴らしい自然の造形があるのですが、そこに着想を得た人間たちの作り出したものにはいよいよ心胆寒からしめられます。先述の青い池から伸びる小川には「三途川」と札が立っており、その河原、つまり賽の河原には、親より先に亡くなった子供たちがあの世に行くこともできずに積み続けるという石積みを模したものが無数にみられます。また、亡くなった子供の供養のために岩のあちこちに差された色鮮やかな風車(かざぐるま)が風に吹かれて一斉にガラガラガラガラと回る様にはさすがに気圧されます。

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硫黄あるところに温泉あり。恐山の霊場内には複数の温泉があり、これら場内の温泉は自由に入っていいことになっています。これらの温泉は、私が今まで訪れた中で最も古式ゆかしいといえるものでした。シャワーや石鹸の類は一切なく、上がると全身が強烈な硫黄の香りに包まれます。

そんな非日常の経験を一通り終えて恐山を後にし、夕刻、家路に就かんと私鉄恐山駅のプラットフォームで佇んでいると、話しかけてくる女性がありました。5,60代に見えるその婦人は、「旅行?」と優しくお尋ねになります。はいそうですと答えてしばらく旅の経緯やら世間話をしていて、ふと、恐山に来たのにイタコさんに全くお目にかかっていないことに思い至りました。そこでさりげなくその話題をほのめかしてみると、婦人は以下のことをお話しになりました。

その婦人のおばあさんは名の知れたイタコで、100歳でつい先日他界されたそうです。おばあさんの名声は全国にとどろき、引退してからもどこからともなく降霊の依頼者が家を訪ねてきたと言います。そんな急なお客は門前払いを受けてもおかしくありませんが、おばあさんは彼らを厚くもてなすのが通例でした。ただ、そんなおばあさんも面会を一切謝絶したことがあるそうで、それがまさに他界された日。その前日に夕飯を食べ終わってから、「明日はほとけさまが迎えにくる」といって一人で自室に閉じこもることを希望されたとのこと。翌日に孫である婦人が部屋の戸を開けてみると、果たしておばあさんは部屋の真ん中で正座をしたまま息を引き取っておられたそうです。

恐山というこの世にあらわれたあの世のような場所と、当たり前のように別の世界と交信するイタコさんのお話の効力で、現世と幽世の境があいまいに感じられ、死後の世界ってひょっとしたらあるのかも知れない、と思うようになったというお話でございました。

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