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幸せになってね?アセクシャル私の戯言

よく「幸せになってね」と言われる。

ありがたい言葉なのかもしれないけど、意図が読めなくてはてなが浮かんでしまう。いや、本当は意図は少しだけわかっている。おそらく私が言われた文脈的には、「良い男性と出会って結婚できたらいいね」みたいなこと。曇りのない笑顔の相手に対して自分の中に若干の違和感を抱くものの瞬時に言葉にできず、とりあえず「ありがとう」とこたえる。

言ってくれた方がまったく悪気がないのはわかる。ただ、全然ピンとこないのである。

なぜわざわざ含蓄のある言い方をするのだろう。恋愛や結婚を「幸せ」と結びつけるのは思春期の頃からずっと、違和感があっていやだなと思ってきた。私がアセクシャルだからなのだろうか。「恋愛や結婚をしていない=幸せじゃない」みたいな構図が長らくあるように思う。

「幸せになる」という言葉を額面通りに受け取るとするならば、私はもうすでに十分幸せなときもあり、幸せではないときもある。寝不足だったり、道に迷ったり転んだりして、常に幸せではいられないこともあるけど、大体自分が幸せになるように自分で帳尻をあわせて日々暮らしている。今が不幸そうだと勝手に決めつけないでほしいし、時には不幸になる権利すらある。

「幸せになってね」は思いやりのある素晴らしい言葉なのかもしれないけど、自分の口にしっくりこないので人に対しては一度も発したことがない。

仕事を退職する話をするときに、おじさん上司に「結婚しないの」「付き合っている人はいないのか」ときかれることもいつも疑問である。どうして普段から大して話をしたこともない上司といきなり恋バナせにゃならんのか。私は「いい人」ではないので最近はそういう話に対してはすべて嘘をつくこともある。上司からすると「私のためを思って」の行為だとはわかっているが、私も私で身を守る必要があるので申し訳ない。今まで、さんざん本当のことをつい言ってしまい、不要なアドバイスや説教をされて後悔してきたのだ。

世間の恋愛や結婚の常識を理解できない、ピンとこないという事案が多い。

これから何かに所属するとなるとまた「結婚」「年齢」とかの話が自己紹介的についてまわるんだろうなあと思うと辟易する。

でも、「アセクシャル」という言葉を自分のこととして認識したことをきっかけにtwitterで調べてみると、同じようなことを思っている人がたくさんいてちょっとびっくりした。さすがに人類に一人なんていうレアな人間ってことはないけれど、「一人じゃなかったんだな」という安堵感があった。

その中でも、もちろん色々な考え方の人に分かれるのだとは思うけれど、とりあえずほっとした。遠くにいても存在は確認できて励ましあえる時代なのである。昔はこれがなかったと思うとテクノロジーにはロマンがあるなあと思う。



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