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魚が空を飛ぶ金曜日の夜

未完成が完成に近づけるように、そして魚が空に飛び立っていけるように。

私が彼女達を目撃した時間に、1秒たりとも未完成はなかった。

sora tob sakanaというアイドルグループがいる。いや、いた。私が本当に大好きだったアイドルだ。

私の彼女たちへの第一印象は“楽曲派アイドルの真髄”といったものであった。アイドルの楽曲とは思えない変則的なリズム、難解な曲構成、複雑な演奏。
いわゆる“楽曲派”のアイドルであり、卓越した音楽性に心惹かれた。
しかしこの時の私の印象は後に大きな間違いであったと知った。

2017年頭、沖縄に住んでいる高校3年の私は、就職活動を終えた冬休み、彼女達の楽曲をよく聴いていた。
私はそれより以前からアイドルが好きで、色々なアイドルな楽曲を聴いていた。特に私立恵比寿中学というアイドルにハマっていた。
当時、彼女達はシングル2枚とアルバム2枚を出していた。その中でもよく聴いていたのが1stアルバムの「sora tob sakana」だ。
シングル曲や、SoundCloudで配信していた楽曲などを、アルバム用にリアレンジし収めた、いわばsora tob sakanaの初期を集めた集大成だ。
私はそのアルバムが大好きで、とにかく聴き込んだ。中でも当時のお気に入りは、カットアップテクノが美しい「魔法の言葉」、機械的なリズムと感情的なギターの対比が素晴らしい「広告の街」、ギターキッズを興奮させる「Moon Swimming Weekender」、テンションの効いたクラスターコードが美しいフューチャーベース「ケサランパサラン」だ。
どの曲も鋭く尖った音楽的センスが剣山のように何本も天を向いていながら、その針の先端と先端を優しく埋め合わせるかのようなイノセントな歌声に心を癒された。
その衝撃はまるでAnimals as Leadersばりのプログレッシブメタルの上に、「翼をください」ばりの透き通ったソプラノボーカルが乗っているかの様な“心地の良い違和感”であった。(当時の私は並行してDjent大好きDjentlemanでもあった)

しかし当時の私は彼女らの楽曲にとにかく虜になり、楽曲より他の情報をあまり知らずにいた。
例えば私は、メンバーの顔と名前が一致していなかった。どういった活動をしていて、どこでライブをしているのか。どんなダンスをするのか、どんなパフォーマンスをするのか。
私は沖縄県で生まれ育った。当時高校生の私はまだ沖縄に住んでいた為、彼女たちのライブなどの活動はいわば“過情報”であった。例えば私立恵比寿中学の様に沖縄県などの地方でもライブをする様なアイドルであればライブ情報も調べていたかもしれない。しかし、活動拠点が東京であるグループのライブなどの活動情報を知ったところで、辺鄙な街の高校生の財力ではそう簡単に行けない。
とにかく歌詞も口ずさめるほどに楽曲を聴いていたが、その歌詞を歌っている歌い手の顔も名前も分からない。MVを観ても誰が誰だか一致しない。動画サイトの概要欄に書かれた「定期公演 会場:恵比寿CreAto…」といった情報を見てもそのリンクを踏むことは無かった。当時、私にとってsora tob sakanaは、私個人の偏った情報整理によって”謎の匿名性“を持ったアイドルグループであった。
私は彼女達に限らず、アイドルのライブには行かないアイドル音楽を聴くだけの単なる“リスナー”であった。

しばらくして4月を迎え、私は東京都の某ITインフラ企業へ就職した。仕事は楽では無かったが初めての都会に心浮かれた。大好きなアイドルのライブへも足を運んだ。それはsora tob sakanaではなかった。私の中で”謎の匿名性“を持った彼女達は、ライブへ行く存在というよりも、音楽を聴かせてくれるアーティストという印象であったのだ。そして何より、田舎から上京してきた世間知らずの私にとってそもそもアイドルのライブというもの自体が敷居が高かった。私はその時、沖縄で過去にライブを行っており私も足を運んだ事のあった私立恵比寿中学にハマり、ライブへ何度も行った。また、私のミュージックライブラリが他のアーティストの新曲で更新される度にsora tob sakanaの名前は下層に保存され、次第に再生しなくなっていた。

ある日、私は上京後わずか半年にして宮崎県へと転勤になった。理由は”沖縄出身で沖縄に比較的近いから”だそうだ。それまでの東京での楽しく情熱的な日々は、会社の一存で砂の様に崩れた。ITインフラの安定運用に努めるカスタマエンジニアの闇である。
“田舎の高校生”だった私は、“都会の会社員”を経て、一瞬にして“田舎の会社員”へと肩書きを変えた。それまで毎週の様に行っていたライブも必然的に行かなくなった。いや、“行けなくはない”が、県境を跨いで観に行こうと思うアイドルがあまりいなかったのかもしれない。
またアイドル音楽を聴くだけの“リスナー”へ戻った。

2018年1月、“リスナー”に戻った私は、アイドル楽曲や他の好きなアーティストの新曲などを聴きながら過ごしていた。主に外回りのエンジニアだったので、移動時間は音楽を聴ける環境だった。それなりに色々な音楽を聴き、好きなものはライブラリに追加。普遍的な音楽の消費活動を行うだけのある意味で主体性のないリスナーであったと思う。
ある日、私はその日も仕事中に音楽を聴いていた。なにかいつもと違ったプレイリストを聴こうと、何気なく自分のミュージックライブラリを見返していた。そして私はとある文字列を見るや私はゾッとした。
そこには“sora tob sakana”のプレイリストがあった。
彼女達の存在を片脳でしか思い出せなかった。そういえば彼女達は何か凄い存在だった事、過去に私に何か強大な感情を与えた事、私は彼女達の音楽で何か衝撃を受けた事、とにかく言葉にするより先に再生ボタンをタップした。
頭を撃ち抜かれた。2度目の衝撃だった。時間を忘れる様に彼女達の音楽を聴いた。なぜ私は彼女達の事を忘れかけていたのだろう。その日、帰宅するや否や私は彼女達の音楽、メンバー、活動、あらゆる情報を検索した。私の中でsora tob sakanaは”最上層の情報“へと更新された。
やはり彼女達の音楽は透き通っていて、限りなく透明であるが故に内包する情緒が外気に露出せずとも外部から感じ取れる。それは少女達の複雑な感情であり、思春期の持つ初期衝動。イノセントであるとか、楽曲派であるとか、ポストロックが〜、ニカが〜と、言語化するのもカテゴライズするのも野暮と思える。彼女達の音楽は、機能品でもなければ、ツールでもない。工業製品でも道具でもない。それは、“作品”であり、彼女達の音楽が媒介して産み出したリスナーの感情や思いをリスナー自身が感じる事でその“作品”としての意思を持つ。ような。
彼女達はすでに“sora tob sakana”として完成されていた。

それからしばらくして、私は研修で静岡県へ2週間出張することになった。研修中に数日の休みがあった為、私はその休みにちょうど予定されていたsora tob sakanaのライブを静岡から東京へ観に行こうと決めていた。宮崎から東京へライブの為だけに行くのはどこか踏み出せなかったが、静岡からなら新幹線で行けるし、何よりとにかくsora tob sakanaを生で観たい。覚えたメンバー達へ会いたい。その思いが強かった。

2018年3月18日、新宿BLAZEにて開催された「アイドル甲子園」。様々なアイドルグループが名を連ねたイベントであったが、私はほとんどのグループを知らなかった。とにかくsora tob sakanaの出番を待った。タイムテーブルのかなり遅めの出番だった為、最初の数組を観て一旦退出。sora tob sakanaの出番より少し前にまた再入場した。
前の出番のグループが捌けていった。
次がsora tob sakanaの出番だ。
出囃子がなった。
アルバムで聴いた“海に纏わる言葉”ではなかった。
知らない曲だ。
周りのファンが合わせて三拍のクラップをする。
知らないクラップだ。
とりあえず私もそれに合わせて手を叩く。
美しいピアノのメロディの直後、壮大なバンドサウンドと共にステージが明転する。
白い衣装を纏った4人の美しい少女が現れた。
私はしばらく脳死した後、思わずこう呟いた。

「本当にいるんだ。」

「sora tob sakana、始めます。」
4人の美しい少女の中の誰かがそう言った。
私はやはり脳死しながらも、こう呟いた。

「お願いします。」

直後、何度もイヤホン伝手に聞いていたあの強烈なギターのスキッピングリフが鳴り響き、それまでの清爽とした空気が一変、ディストーションの倍音が耳を劈き、ベースとドラムが胃または十二指腸の辺りを揺らす。
「Moon Swimming Weekender」だった。
そしてそれから彼女達は「夜空を全部」、「夜間飛行」、「秘密」、「夏の扉」と全5曲を披露した。
「以上、sora tob sakanaでした。」
あっという間に終わっていた。衝撃であった。
自分がスマートフォンのストリーミングで聴いていた音楽は、“田舎の会社員”である私にとって異空間である“東京”、そこで現実に存在する4人の少女によってその日確かに披露され、私はそれを目撃した。その全てが私の人生にとって異常事態であった。異常な空間で、異常な音楽を聴き、異常な感情を抱いたので、それは異常事態なわけだ。もちろん異常である私は暫く異常放心状態で、異常な彼女達が異常なステージ去ってもなおしばらくの間そこを離れずにいた。次の正常なグループが登場し、正常な数曲を披露した段階で私は正気に戻り、ある目的のために会場外のエントランスへ出なければと思い出した。
それは 特典会 だ。

それまでにもアイドルが好きでライブに行っていた私は、「特典会」に行った事がないわけではなかった。例えば私立恵比寿中学。握手やらツーショットやらでそのメンバーと対面した事があった。
媒体上で見ていた美しいアイドルをいざ目前にすると、人間は最も、非力で、虚弱で、指で突っつけば水風船の様に激しく破裂し、もう元の姿には戻れないということも知っていた。特典会は、割れたら最後、水風船を自ら割りに行こうとする自決行為の様なものだが、水風船が割れた時の虚無感と、それとは別にどこかに感じる爽快感の様なものがある。それに気づいたら最後。もう特典会を求めてしまっている。

(ここからは極めて蛇足だ)
私が慌ててエントランスへ出ると、すでに特典会ブースにメンバー達が並んでいた。あまりの美しさに無事再度脳死しつつ、グッズのTシャツを購入した。すでに握手会は終わっていてツーショット撮影会のみ行っていた。その時私は呼吸があまりに浅く早すぎた為、脳に酸素が全く回っていなかったが特典会へ参加する為、すでにあったファンの待機列に並ぼうとした、その時。
「どのメンバーと撮影しますか?」
綺麗な女性スタッフに声をかけられた。おそらく私の放つ“田舎のイガグリ坊主臭さ”を察知し、初のsora tob sakana現場で、さらに特典会などには慣れていないだろうという二手先まで呼んだ「どのメンバーと撮影しますか?」だ。優秀すぎる。さすが東京。
「や、山崎愛さんで…」
すでにこれでもかというくらい膨れ上がった水風船の様な私は、声を出すのと同時にその場で破裂し、会場をびしょびしょにした挙句多くの被害者を出し、ネットニュースに「新宿BLAZE水風船破裂びしょびしょ事件」の犯人として掲載されてしまうという最悪の事態を招かない様にデリカシーと社会的影響、道徳的見地に基づいて、水風船の割れないくらいの震えた小声で言った。
「愛ちゃんですね〜、えっとじゃぁ今どうぞ」
「は?」
声に出ていた。それまで多くの人間でごった返していた新宿BLAZEのロビー約200平米が壁から一気に崩壊し、無限に続く荒涼な平原に投げ出されたかの様な気持ちになった。大丈夫なのだろうか。そもそも私は数ヶ月前までその少女が“山崎愛”という名前である事すらろくに認識していなかったのだから。薄すぎる。特典会に参加する人間として私はあまりに薄すぎる。食った事ないがフグ刺しくらい薄い。薄いくせに曲の前知識でかさ増ししようとしてる。薄いくせにその枚数で勝負しようとしている。薄いくせに一枚の旨味で勝負しようとしている。薄いくせに真ん中の菊の美しさで勝負しようとしている。薄いくせに器の質にこだわっている。薄いくせに大きく広げて盛り付けてそのインパクトで勝負しようとしている。食った事ないので的確な表現かは分からない。気づいたら私の体は薄いくせにパンパンで破裂しそうというツーアウト。ツーアウトフグ風船である。
「愛ちゃんで〜す」
優秀な女性スタッフが山崎愛さんと撮影をしていた男性スタッフに聞こえる様に言うと、二人が撮影の為に定位置についた。もう後はない。
「あちらへどうぞ」
優秀な女性スタッフが優しく手を差す。ツーアウトフグ風船となった私は風も吹いていないのにその方向へ引き寄せられた。おそらくあれがニュートンの唱えた万有引力である。山崎愛さんの質量が高いはずはないのでおそらく男性スタッフがフグ風船こと私を引き寄せる地球並みの強大な質量を有していたのだろう(違う)。軸がぶれながらも私はなんとか撮影を行う立ち位置までやってきた。万有引力に感謝だ。
「こんにちは」
あまりに美しく繊細で透き通っていながらも硬く強い生命力を感じる細いガラス細工の様な声だった。東京都新宿区ではこんな美しい人間が「こんにちは」と挨拶してくれるのか。沖縄県豊見城市では体験した事のない出来事である。その美しさにツーアウトツーストライクのフグ風船は動物的本能で体を地面に直立させる事が精いっぱいで、もはやその聴覚は再起不能、体積は膨張、邪魔者でしかない。満身創痍である。
「はい撮ります。3、2、1…」カシャッ。
激しく瞬くストロボの閃光と共に、無事視覚も焼失した。この日の行動をたったひとつだけ訂正する事ができるのなら、ウエストポーチでライブに行かない事だ。私は買ったグッズのTシャツをウエストポーチに仕舞う事ができず、左手に持ったまま頼りないピースで撮影していた。ここでも田舎者ポイント5000P獲得だ。ウエストポーチなんて田舎者しか持たない。新宿区にはそもそも売っていないはずだ。
「ありがとうございます」
彼女はそういうとインスタントカメラから出てきた写真を手に、物販スペースへと足早に戻っていった。
「(どこに行くの…?)」
私は暫く同じ場所に居続けた。フグ風船となって膨張してるので動きづらいというのもあるが、それより特典会の行程がそもそも分からず、撮影を終えたらどうしていいのかよく分からなかったのだ。すると男性スタッフに物販スペースへ行くように促された。そこでは他のメンバーとファンが会話をしているのが見えた。どうやらそこでサインを書きながらしばしの談話タイムがある様だ。満身創痍の私は山崎愛さんの元へ大量の溢血を伴いながら向かった。私が正面に対峙するや否や、彼女は事務的に手元のタイマーを作動させ、サインを書き始めた。
「はじめまして、ですよね?」
「はい…地方から来てまして」
「どこですか?」
「宮崎です、本当によろしくお願いします」
「オサカナの為だけにですか?」
「オサカナの為だけにです」
実際は仕事の出張でたまたま東京に来ただけ、オサカナの為だけにではない。だが彼女が放った「為だけに」という言い回しからしておそらく地方から、それも宮崎の様な辺鄙と辺鄙を掛け合わせた辺鄙タウンの様な辺鄙な辺鄙土地からわざわざ辺鄙足を運んで見に来るという辺鄙ファン(通称:辺鄙っピ)は多くないのだろう。彼女のまっすぐで意思と若気に溢れた眼を見た瞬間に私は些細な嘘をついていた。
「そうなんですか。嬉しいです」
「夜間飛行が大好きなんです」
「今日やりましたね」
「はい、とても素晴らしかったです」
「それはよかったです。ありがとう」
「こちらこそ。どうもありが…」
ピピピピ…
感謝を言いかけた時、彼女の手元にあったタイマーがビープ音を発した。「ストライク、バッターアウト、ゲームセット」その瞬間、薄くて膨れ上がったフグ風船の私は粉々に破裂し飛散。私は微粒子レベルに粉々になった。しかし新宿BLAZEのロビーの換気があまりに良かったのか、ロビーの外へと一瞬で気化し排出され、運良く被害者はゼロ。ネットニュースに悪名を轟かさずに済んだ。

「ありがとう」と書かれたチェキだけが東京都新宿区の空を泳いでいた。

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