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反論する義務(obligation to dissent)

ぼくの高校は「文化祭が面白い学校」という自負が学生たちにちょっとあった。ぼくが3年生のときの全校集会で、1年男子が「強制参加なのはおかしい。自分は勉強したい」と全校の前で発言して「なんだあいつ…」と不穏な空気になったことがあった。実際にその男子は四面楚歌な応対を集会で受けていた。

ぼくは勉強なんて全然したくないけれどそういう奴がいても全然おかしくないと思ったので発言席に立って、「お前の意見は間違ってない。ただ人と違うだけだ。自分は勉強したくないからやらないけど、お前みたいなのがいても全然いい。やりたいと思ったら勉強すればいい。それを揶揄する方がおかしい」と発言したら何となくその場は収まった。別に収めようとして言った訳じゃないけれど。

それ以来、「皆の意見」というものを全然信用していない。その場の雰囲気で言っているだけだと思っているし、それが悪いとも思っていない。ただ、「そういうものなのだ」という実感を得たことは自分には役立っている。

ということをこの方のツイートを見て、30年ぶりに思い出しました。この方の趣旨(反論する義務:obligation to dissent)のような立派な人間では全然ないけれど。たぶんぼくは尻馬に乗るのが生理的に嫌いなのだ。昔から。

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