有職料理

ここ五年くらい、ずっと気になっていたことがある。
生業として料理人の人生を歩んできた武士たちのことだ。

おそらく、江戸時代。
為政者が固定し、政治的に安定した時代に、料理人という職業が武士組織内で継続化されただろうとぼくが勝手に思っているのだ。

わかりやすく言うと、「山田大名の料理は代々鈴木家が拝命してきた」みたいなことです。もっとアイコン的に言うと、「江戸城で徳川家の食事を代々料理してきた武士」ですね。
ぼくはそんな彼らにすごく興味がある。

彼らはアイデンティティとしては武士である。
しかし、生業としては料理人である。

この二重構造。

武士の誉れを抱きつつ、料理人として腕を磨く。
時の最高権力者に一番近く、武士として一番遠い。

同じ武士組織でも法律や人事や経理のようにマクロな面で影響力を持つことはなく、最高権力者に一番近く、武士として一番遠い。
しかし、催事において失敗することはおそらく死を意味する。

彼らはどう生き、どう腕を磨き、何に悩み、屈辱を感じ、矜持を持ち、死んでいったのか。

読みたい。
今すぐ読みたい。
過去の古文書でもいいから読みたい。

そんな気持ちでじりじりしていたら、wikipediaでこんな一文に出会った。
平安時代貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理が、公家風の料理形式として残った料理である「有職料理(ゆうそくりょうり)」という言葉を調べていたら下記の一節があったのだ。

江戸時代初期、徳川家光が行った二条城での後水尾天皇御成行事の際、天皇家側の料理人2名(高橋家、大隅家)、徳川幕府側の料理人2名(堀田家、鈴木家)の他に京都の町方の料理人から生間(いかま)家が抜擢されて調理に携わったことから、生間家は八条宮家の料理人をその後代々拝命することになる。明治時代になり桂宮家(八条宮家の後裔)が子孫断絶により絶家したため、生間家も下野し、その料理法は京都の民間の限られた料亭に伝えられた。
現在、宮中でも皇族の結婚式などの中継で会席料理などとは大きく異なる盛りつけの日本料理が見られることから、生間家が伝えた物とは別の有職料理が伝えられている物と思われるが、外国要人などの接待にはもっぱらフランス料理が使われており、極限られた儀式でしか食べられない物のようである。(wikipediaより抜粋)

徳川家光が主催した天皇との食事会。
天皇家側の料理人2名、徳川幕府側の料理人2名、京都町方の料理人。

さらっと書かれていますが、これはドラマじゃないですか。
天皇家、徳川家それぞれの料理人はどんな覚悟でこの料理会に挑んだのか。
どんな料理を作ったのか。
献立の記録は残っていないのか。
町方の料理人は存在感をどう見せつけたのか。

すっごく知りたい。
読んでみたい。
誰か書いてくれないかな。

本屋大賞を受賞した『天地明察』 は和算と太陽暦をモチーフにした最高に胸が熱くなる人間青春譚だったけれど、そんな一冊になりえるドラマだと思う。
冲方丁さん、書いてくれないかな。

ぼくたちは毎日を泣いたり笑ったり生きているけれど、きっと百年前も三百年前の人たちもそう生きてきて、もしかしたら今のぼくらよりもっと色濃く生きてきて、そんな彼らの生きざまを見ることができるのが読書の醍醐味じゃあないかと思うんです。

それは知識として知った方が得だとか、30分でわかる武士料理人の歴史とか違う。
ただ読みたいんです。

でも、読書なんて趣味なんだから、本来そうなはずで。
なぜだかこの国では「本を読みなさい」「本を読むと役にたつ」なんて声が出てくるけど。

鉄道好きが電車のことを知りたくてたまらないように、ぼくも興味ある本を読みたくてしょうがない。
読書も鉄道もプラモデルも編み物も映画も音楽も落語もあらゆる趣味は「偏愛」という一点において等しいと思う。

国の国民読書年や学校の読書感想文なんていう偏愛のかけらも感じない施策なんて吹っ飛んじゃえばいいのに。

wikipediaで出会った一文に血沸き肉躍った一日でした。

20101213

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