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大人になれば 06『停電の夜に・秘密・人質の朗読会』

ひとは不思議だ。
話すべきことを秘し、話すべきではないことを話す。ぼくはたいてい言葉が多すぎるけれど。

すこし昔、『停電の夜に』という短編集が話題になった。新人作家であるジュンパ・ラヒリがこのデビュー作でピュリツァー賞を受賞したことが大きなニュースだったけど、ぼくはそれよりも彼女の書いた短編の設定が印象に残った。とても鮮明に。

それは毎晩一時間だけ家が停電となる電気工事の一週間をきっかけに、若い夫婦が夕食にろうそくを灯して互いに秘密を一つずつ打ち明ける遊びを始めた物語で。

もちろん内容も胸を打つのだけど、ぼくはこの設定を知ったときになんというか悔しかった。正直、やられたと思った。何もやっていないのに。

この設定はあらゆる物語を内包していると思った。
愉快にもできるし、悲しみにもできるし、空っぽにもできる。そして、それら物語の核を「秘密」が担っている。この設定は人の奥の奥の方に潜っている核にさまざまな角度からアプローチできる状況を用意している。すごい。くやしい。まだいうか。

秘密は不思議だ。
誰もが持っているし、誰もが持っていないことになっている。生に対する死のように。

ぼくは二十代の頃から夢想している撮りたい記録があって、それはまず世代も性別もばらばらの人を十人用意するところから始まる。八十代の老人であったり、プロのサッカー選手であったり、ゲームが大好きな中学生女子であったり、いろいろ。

彼らはそれぞれ別々の部屋に一人ずつ案内される。そこは真っ白な六畳ほどの部屋で椅子一つしか置かれていない。
彼らはそこに座る。
椅子の前にはビデオカメラが置かれている。

それだけであとは何も起こらない。彼らはそわそわし、部屋の外の誰かに呼びかけ、それでも何の反応もないので出ていこうとする。でもドアには鍵がかかっている。出れないことへの怒り。焦燥。行動。それでも何も起こらない。ついに諦めた彼らは椅子に座って悲嘆にくれる。

それでも何も起こらない。
あるのはただ一台のカメラだけ。

いったい彼らは何を語りだすのだろうか?

きっと最初はこんな仕打ちへの怒りだったり、解放への懇願だったりするのだろうけれど、それすらも虚しく疲れた後にいったい彼らは何を語り出すのか。八十代の老人は、女子中学生は何を話し始めるのか。

ぼくはそれが知りたい。ひどい仕打ちだけど夢想だからいいじゃないかと。きっとそこには耳を澄ませるべきものがあるんじゃないだろうかと。ぼくは夢想する。たまに自分自身もその部屋に入ったりもして。

小川洋子の『人質の朗読会』を読んでいたら、なんだかこんな内容になってしまった。

海外で反政府ゲリラの人質となった(最後にはゲリラの仕掛けた爆弾で死んでしまう)日本人八人が、持て余した時間や気持ちを紛らわすための手段として始まった奇妙な朗読会の物語です。

何でもいいから一つ思い出を書いて朗読しあう。大切なのは、ただ思いつくままに喋るのではなく、きちんと文章に書いて、正確に伝えること。

一人が書き上げた物語がそのまま一章となり八章までの朗読会。最後の九章が救出のため現場を盗聴していた特殊部隊員の話で終わる。「人質だけでなく、見張り役の犯人たちもまた朗読にじっと耳を傾けているのではないか、と私は感づいていた」

この本のトーンはどこまでも静かだ。静謐といっていい。八人の朗読も静かに、密やかに、注意深く語られる。物音を立てないように。何かを失ってしまわないように。耳を澄ませられるように。ぼくたちが持っている物語にはそれだけの価値があるのだろう。きっと。

p11からの引用で終わります。

今自分たちに必要なのはじっと考えることと、耳を澄ませることだ。しかも考えるのは、いつになったら解放されるのかという未来じゃない。自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ。

執筆:2014年2月21日

『大人になれば』について

このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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