大人になれば 40『The End・にまつわる日記的な・スーパーネオン』

五月十三日
ジ・オーパーツのレコーディング音源をちょっとだけ聴かせてもらう。ダメなことを歌っているのに閉じてなくて、とてもよい。
「くそう、哲郎さん、新たな境地を拓きやがって」と密かに悔しい思いをしていたら、トリビュートアルバムに入れるThe End『帰れない二人の自分』のカバーだと聞いて驚く。

五月二十八日
ネオンホールで『夜の美術部』。締切を過ぎても『大人になれば』が全く書けないので慌ててネオンホールのカウンターで即興的に書く。帰りがけ、哲郎さんが角居さんに「これ、お願いしていたThe Endのアルバムです」とCDを渡す。『The End1点物展』に角居さんも金工作家として参加するとのこと。とても楽しみ。

六月二日
軽く相談を受けていたThe Endアルバムwebサイトのラフ構成を夜のファミレスで慌てて書く。

六月二十一日
夏海さんからThe Endサイトではなく、ネオンレーベルのwebサイトにしたいのだが、どの制作ツールがよいか相談を受ける。この期におよんでまだ何か作ろうとするのか(風呂敷を広げるのか)とやや驚く。

六月二十八日
ネオンレーベルのwebサイトが公開される。トリビュートに参加しているミュージシャンの紹介文がいちいち面白くて、つい全部読んでしまう。アルバムが待ち遠しい。

六月三十日
The Endライブ&トリビュートアルバム発売日。
残業しながら発売記念イベントのUstreamを観る。主役であるThe End桜井さんの憮然としたような顔が面白い。
トリビュートが一曲ずつ流される。会場の沸き立つ声がたまに聞こえる。結婚式のような祝福感。
友部正人さんが歌うThe End『ロックンロール』。
Ustream越しの音だけれど、ぐっと惹きつけられる。
桜井さん、視線を止めて、動きを止めて、何かに対峙しているように聴いている。動かない。途中で曲が止まり、桜井さんそのまま。哲郎さんが声をかけるもそのまま。ふーと息を吐き、顔を上げ、天井を見つめる桜井さん。印象的だった。(※一)

七月二日
The Endライブ&トリビュートアルバム『だってあの娘が好きって言ったんだもの』(三枚組)を初めて聴く。
仕事の移動距離が長い日だったので、『赤いカウボーイハット盤』『白いハイウェイオアシス盤』『ライブ盤』の順に車のステレオにCDを入れていく。高速道路で流れる数多のトリビュート。そこには初めて聴くミュージシャンもいて。もちろん初めて聴くThe Endの曲も多くて。
ぼくは少し泣いてしまった。
どの曲がとか、どのミュージシャンがという感じと少しちがって。
ある日の景色をただ見ていたらなぜか涙が流れていた。そんな風に。(※二)

七月三日からしばらく
車に乗る度にトリビュートアルバムが流れる。目的地についても曲の最後まで聴きたいため近くをぐるぐる回る、もしくは車から降りられない現象が起きる。(鴨林さんも同様だったらしい)
「ああ、チャーリーはなんという力持ち」や「ロックンロールがやってきたらー」とTwitterでふと書き込みたくなりグッと我慢する時期が続く。

七月十八日
十八、十九日と『スーパーネオンホール 2015 summer ~feat. The End~』。前週の日曜に『coccon』を観に東京まで行ったので「(今週も)ライブに行きたいです」と妻に非常に言いづらい。大人しく家で家事をして過ごす。
家で夕飯を終え、Twitterを見ると、友人の大丸さんが「終わらない青春野郎の祭典 スーパーネオンホール @ネオンホール 灼熱です」とツイートしている。灼熱なのか…と羨む。

七月十九日
ライブは諦めつつ家の掃除や買い出しや夕飯をしていると何だかスイスイと進む。六時前に夕飯の片付けまで済んでしまった。奇跡。これなら…と恐る恐る申告してスーパーネオンホールへ。
残念ながらジ・オーパーツの演奏は終わっていたが、タテタカコさんが始まっていた。邪魔にならないようにネオン物販コーナーの前に滑り込み歌声に浸る。タテさんの歌を聴くのはたぶん二年ぶり。以前より「強さ」を感じるのはなぜだろうと思う。The Endカバー『京都を離れる歌』では「男の子」を強く感じた。ぼくはタテさんの中にある純度の高い男の子が好きだ。(※三)
友部正人さんのステージ。友部さんの声。詩。歌。
友部さんのことを思い浮かべるとき、ぼくはいつも友部さんの握手を思い出す。CDや本を買ったときの友部さんとの握手。まっすぐで、きちんと力が入っていて、てらいがない。The Endのカバー『ロックンロール』もやはりそんな風にラストに歌われた。この曲はどこか悲しくて、そして青臭い。「ロックンロール」が青臭くなくてどうするとぼくは思う。ステージで歌う友部さんは今の、六十歳を超えた友部さんの、青臭さで歌ったと思う。曲が終わり、拍手、友部さん退場、拍手、拍手。友部さん再登場。拍手。
アンコール曲『ぼくは君を探しに来たんだ』が熱量高く始まる。
熱量。熱量。熱量。
タテさんに手を引かれ、The End桜井さんがステージに上がる。
驚き。拍手。祝福。
友部さんの歌に桜井さんとタテさんが参加する。拍手。声援。
「ぼくは 君を 探しに来たんだ」
桜井さんが友部さんの横で声を張り上げる。口を開ける。
叫ぶ。歌う。求める。
フロアが応える。フロア全体の合唱。ぼくは手を鳴らし、足で床を鳴らす。床を鳴らす。
観客に「もっともっと」と手を振っていた桜井さんが途中から手を止めて歌になる。「ぼくは 君を 探しに来たんだ」と叫ぶ人になる。ただ、歌になる。ぼくはまた少し泣いていた。

八月に入って
The Endライブ&トリビュートアルバムを一ヶ月聴いて、今はライブ盤をメインに聴いている。
The Endがライブで歌う『ダンボールおじさん』『前回までのあらすじ』『チャーリー・ブラウンの死』『のびのびジーンズ工場』『ニセモノのギブソン』『ロックンロール』『スターバックスソング』『ジョージア』がぼくの日常のちょっとした場所にいる。
もちろんトリビュートも好きで。(ダフーも好きになってしまった)
たぶん景色がちがうのだ。それぞれの。
オムニバス映画のような景色と町の外れのような景色。
ぼくはThe Endの熱心なファンではなかった。ライブに足を運ぶようになったのはたぶん一年くらい前からで。何気なくネオンホールで耳にして「え?」と思ってからだ。そのときも景色が見えたような気がした。それまでも何回か観ていたはずなのに。
ぼくは今、アルバムを楽しみながら、こっそりと次のライブを楽しみにしている。

(※一 あとで聞いた話では、電報メッセージ披露のコーナーで読み上げ役の哲郎さんがグッときてしまい言葉にならないというシーンもあったらしい。という話を聞いてぼくもグッとした。本人は否定していたけれど)

(※二 対談たっぷりのライナーノーツも面白かった。対談で語られる『引き潮』の「歌」としての在り方/扱われ方も興味深く、『赤』を聴いた涙目のまま『白いハイウェイオアシス盤』をセットし、一曲目から順を追って聴きこみ、やはり少し涙し、満を持してザ・ダフーの『引き潮』が流れたときの衝撃を察してください)

(※三 タテさんがステージからThe Endへのコメントを述べるとぼくの横に座っていた物販コーナーの人が誠実そうに頭をさげるのでふと見ると桜井さんだった。フロアを見ると「The End席」と紙が貼ってあって、椅子まで用意されているのだけどそこは空席で。なんだか桜井さんらしくて面白かった)

20150815

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