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ネオンホール『名なしのゼロ』の田原さん不在のパフォーマンス。

(2017年10月29日のFacebookから転載)

先週のネオンホール『名なしのゼロ』の田原さん不在のパフォーマンスがとてもよかったです。

どういうことかというと、
一)電話をもった成田さんが舞台に上がる
二)ネオンに来れない田原さんが電話の向こうで詩を朗読
三)それを聞く成田さんがほぼ同時に詩を発声する
四)それを聞く/観るぼくたち
というパフォーマンスでした。

舞台に上がるのは成田さんで、でも朗読されるのは田原さんのいつもの詩で、でも実際に朗読するのは成田さんの肉体で、でもその背後に田原さんの存在をじわじわ感じて。
「でも」が何層にも折り重なる不思議な状況で。

いる/いないとか、共有/非共有とか、今こことか、ここにいないことを思うこととか、表現の実体とか、肉体の実体とか、同時性とか。
いろんなことをいくらでも考えられる状況で、まるで優れた現代アートのようでした。

これ、自分が発見したかったなあ。くやしいなあ。今からでも「これはぼくのです」っていいたいなあ。

こういうことがあるから『名なしのゼロ』は油断できない。

(2017年10月29日)

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