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18歳から一度も車を運転してしなかった理由

車を運転したことがありません。免許を取ろうとして、限られた資源のことも意識したからです。これは、恐れ多くも他者に対して18歳の私の考えを押し付けるものではありません。ただの、神奈川県の徒歩で暮らせる地域の者の目を通した景色の一つです。

自転車は電気使わない物もあります。
電車は数百円で遠くまで行けます。
タクシーを利用します。
ネットスーパーもあります。
フードデリバリーサービスもあります。
緊急時は、警察・消防・救急車も重要。
もちろんご家族の介護や、お子さんを保育園に連れて行くのに資源を使うことは大切。
単に、私は車を使わずに生きました。もちろん、不便さはあります。資源を増やすことは僕は出来ないから、使わないという形、電気もPCではなくスマホに特化して消費電力を落とすことにしています。ミニマリズムの方向性です。

このコンテキストで、出前館の若者の仕事ぶりに感動しています。リソースは彼らと、次世代に使って欲しいと。

単純な話、何となくラーメンを頼んだら、目の前で熱々のスープを注いで、具も分けて、伸びないように、お店の出来立ての味を届けようと工夫してくれました。90年代のラーメン屋さんは、「あいよ!」って、出来立てを冷まさずにこぼさずに届けてくれました。30年経って、サービスが変化しました。EC黎明期に働いた業界を見ているから、新しい技術で社会に新しい価値を提供している点で、仲間だと思いました。

車で渋滞すると車という便利さで不便さが起きていますよね。乗らなければ渋滞減るはずなんです。家族や社会への責任や、車やバイク自体を愛している方は、ガンガン乗って下さい。私が1人分だけど、乗らないことで、資源の節約も渋滞の緩和にも貢献できる。

資源の話は、お借りした地球の環境はパブリックだから、お借りした時より綺麗にしてお返ししたい、という姿勢とも似ています。僕らは豊かで便利な世界に生きているから、暮らしに少し不便を取り入れると、無理なく継続しやすいです。

人生の季節が巡り、秋から冬へ季節が変化することは加齢に見えるのだと思います。3歳の子が成長することと、若者のきらめきと、壮年期の厚みのどれもら変化の一種だと思います。

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