ぼくのねがい 前編

(「ぼくのおとうさん」の続きになります)

ぼくにはお父さんがいた。 
ハゲで太り気味の、よくいるサラリーマンだった。 
ある日。会社の帰り道、剣が迎えに来た。 
お父さんはトパーズというドラゴンにまたがると、ぼくと通勤鞄を置き去りにして、いってしまったんだ。 
そして、それきり。 
お父さん。 
ぼくは今、なにしてると思う? 


ACT.1   再来 
 
 夕陽に消えたドラゴンを見送って20数年。僕は大人になっていた。3年前に結婚して、もうすぐ子供も生まれる。昼間は中小企業のガードマンに従事し、夜は机に向かって童話を書いている。二足草履の生活だが、執筆の仕事も絵本雑誌のコラム連載を書いていたり、来月には二作目の本が出版されるなど、ようやく波にのってきたところだ。この調子でいけばいつかは執筆業を本業にできるだろう。 
 だけど今これから書こうとしている話は仕事に関係ない。生まれてくる我が子のために、とっときの童話を一冊だけつくるために、こうやって時間の余った時にすこしずつ原稿を書いている。話はドラゴンに騎乗した勇者が主人公で、彼は夕陽を背に旅立つところから始まる。話の元は僕が知るファンタジーの真実、小学校の時に遭遇した事件にほかならない。

 ためらうことなく剣を手にして、ドラゴンと一緒に目の前から飛び去った父。取り残され僕はどのくらい呆然としていただろう。家に帰って母――お母さんに通勤鞄を差し出し、ぼんやりとこう言った事を覚えている。 
「お父さん、ドラゴンに乗って、行っちゃった」 
「……そうなの」 
 凍りついた笑顔はそれきり何も言わなかった。それだけで、わかった。 
 もう帰ってこない。ぜったいに帰ってこない。 
 ここではじめて涙があふれた。たくさん泣いて、泣きやんだあとは父を憎んで恨んで泣いた。それを何回も繰り返した。死んでないのに、偶然すら期待させない別れなんてあんまりだ。
 だけど心のどこかで父が誇りになっていたのも確かだった。
――風を切って飛ぶんだ。気持ちよかったぞ。
 夕陽の色、切れ味が見てわかる剣のきらめき、ドラゴンの眼光、有無を言わせない迫力を持った背中。
 総毛立つ瞬間の数々は、今でもありありと感じることができる。父の自信に満ちた笑顔と言葉は、大人になった今でも僕の心をとらえて離さない。 

「んむう」 
 僕はパソコンのキーボードに伏せて目をつむる。かれこれ二時間、イメージがふくらむばかりで筆は一向に進まない。題名、主人公の名前はおろか書き出しがどうにもハマらない。
 物語のはじまりは凄いインパクトを与えるようなものにしようと思っている。勇者らしく鮮やかで堂々とした、あの剣のように。

 その時、ペーパーナイフが天井から降ってきた。 
 レイピアに見立てたそれは、硬い音を立ててパソコンの横に突き刺さり、反動で剣全身を痺れさせている。
 現状を把握できずぽかんとしていると、追って声が聞こえてきた。
「おいおい、ずいぶん細い腰をしてるじゃないか。これで務まるのかねえ」
 ためいきまじりにつぶやく甲高くしゃがれた声は、爺さんが孫の不出来をなげく口調に近い。
 見上げると、小人がいた。
 小人といってもかわいらしいタイプではなく、腹までのびる豊かな髭とごつい鼻が目立つ顔立ちで、白雪姫にも出てくるあのホビット族だ。宙に浮いたまま足を組み威張ったように見下ろしている姿は、陽気といわれるホビット族とは思えない態度なので、余計に現実味を感じさせる。
「ホビット……」

「いかにもわしはホビット族だ。お前が王の息子だな?」
 ホビットの口調は堅く、目つきはどんな過ちもゆるさないような気迫を持っていた。

 しかし問われたところで僕は完全に混乱している。
 自分の身になにが起こっているんだ。
 存在しないはずの小人がいる。次に、降ってきたペーパーナイフ。そして質問の意味。
 これらのつながりがわからず、軽いめまいすらしてくる。
 でも、心のどこかで現状を冷静に見ている部分もあった。だけどその仮定が現状と合致するのか、はっきりした確信がないだけに肯定もできない。父は王かもしれない。でも違うかもしれない。
 ホビットのいう王は誰か、それは父なのか、先に確認しなければ。
 そう考えたとたん心臓が跳ねあがり、興奮に舌がこわばってきた。
 もしかしたら、また。
「おお、王って、親父のことか?!」
 ホビットは目をしばたかせたが、かまわず僕は父の姿を並べていく。
「親父は太い剣を持って、ドラゴンに乗って飛んで行ったんだ。ドラゴンは琥珀色の眼をしていて、名前は」 
「トパーズ。王の竜だ」
 ホビットの言葉は、神聖な事のように静かで独特の重みがあった。
 時計の長針がかちり、と時を一つ刻んだ。
 
 ホビットはパソコンの液晶ディスプレイに腰かけ、もったいぶった口調で自己紹介をした。
 名はクリスマス・キャラウェイ、王の友人だという。チェスをさしたり愚痴を聞いたり、時に政治の助言なども求められたりする間柄だと自慢気に話した。年寄りの言葉に耳を傾けるだけマシな見込みある若造だと笑う。
 話が終われば、次は友人の息子である僕をじろじろ見つめ、大きなためいきをひとつ。
「全然似てないな。顔は肖像画にあった若い頃のあやつにそっくりだが、身体も雰囲気もまるで駄目だ。なってない。まあ、戦いの無いこの国に居ちゃ仕方ないかもしれんが、王家の血を引いてるならもう少し威厳というものが備わっていてもいいだろうに」
 これにはカチンときた。父を知っているとはいえ、初対面の小人に言われる筋合いはない。
「うるさいな。こっちにいた頃の親父は三段腹でトロかったんだぞ。それこそ王家の威厳なんか無かったんだ。その親父が実は王様だから息子のお前も威厳を持てったって、無理なこと言うな。だいたいなんの用だ。王の友人だから僕の顔を見にきただけなら、見ての通りだ。作家とガードマンを兼業して生活に奥さんがいて、それもじき親になる。王子らしくしろだなんて無茶」
「お前の日常に用はない」
 僕は現実をあっけなく斬り捨てられ、言葉を詰まらせた。
 クリスマスは髭をひと撫でして僕の顔を見据える。
「なんの用か聞いたな。わしの用はひとつだけ。お前が行動するかしないか、それを尋ねるのが用だ」
「行動」
 固唾を呑む僕にホビットはごつい人差し指を突きつけ、ゆっくりと机の端に向けた。
 突き立ったペーパーナイフがつめたく光っている。
「剣を取れば王の元へ誘おう。取らなければそれまで。お前は二度と呼ばれない。選択は一度だけだ。取り消しは許されない」
 厳格な表情で立ち上がると、静かに、はっきりと宣告した。
「王の息子よ、選択せよ。――王の元へ来るか」
 一瞬、脳裏にドラゴンの影と親父の背中が横切り、子供の切羽詰まった声も響く。
――おとうさん、待って!
 それはランドセルを背負った僕の声なのか。それとも。 
 
 
ACT.2  行動 
 
 汗ばむ手を握り、唇を噛みしめる。胸を突き上げる想いは熱を持ち、痛さに息が詰まる。
 ああ。僕は父に会いたい。会ってもう一度話したい。どうして行ってしまったのか、理由はなにか。話したいことは山ほどある。
 いや。本当の理由はもっと些細なものだ。叶うことない夢を叶えたいだけ。
 トパーズに乗りたかった。風を切って飛びたかった。子供の頃、何度も描いては絵の中でうっとりした。ドラゴンに乗って飛ぶことは、どんなに気持ちがいいだろう。
「僕は」 
 乾いた唇からしぼりだす声は凍りついたようにこわばった。すこしでも喉のこわばりを抑えるよう、緊張で冷たくなった手を組みキーボードに目線を落とした。
 とたんに現実が鮮やかに蘇えってきた。
 生まれた時から住むこの街は、ちっぽけでつまらない典型的な田舎だ。毎日同じ繰り返しで、生きていることすら嫌になることも数多くある。でもどこかに必ず光があった。願えば叶う夢も少なからずある。だからこそ生きていけた。なにより今は彼女と生まれてくる自分の子供という、大切で護りたい存在がある。

 みにくい、故にいとおしい、どれもかけがえのない、僕が生きる世界。
「僕は」
 再三、脳裏に浮かんだ夕陽に映えるシルエットに問う。
 母を誰よりも愛している、と言って元の世界に帰った父。その愛する者を置いていった気持ちは、剣を持った時に振り切ることができていたのだろうか。僕もここで剣を手にしたら振り切っていけるだろうか。いつも僕を支えてくれるあの笑顔を……。
 彼女を愛している。誰よりも愛している。もうすぐ子供が生まれるんだ。生まれる場所に立ち会って、この手で抱くと決めてる。だからなんとしても側にいてやりたい。それなのに、胸を焦がす想いはあらがえばあらがうほど止まらない。
 行きたい。
 行けない。
 飛びたい。
 でも。
 耳の奥でトパーズの咆吼と幼い僕の呼び声が共鳴して混ざりあい、そのまま警鐘になって僕を打ちのめし、たまらずうなり声を漏らす。責め苦から解放してくれるならば、とナイフに目をやり、あえいだ。だめだ。自殺だけはだめだ。

 じゃあどうする。
――選ぶしかない。

 どのくらい時間が経ったのか、クリスマスが口を開いた。
「選択したか」
 憔悴しきっている僕は頭をもたげ、左右に振る。それしかできなかった。
 宣告者は片眉を上げる。
「それは否という意味か」 
「違う。……どうしても決められない」
「そうか。では、剣を取れ」
 聞き間違いかと思ったが、ホビットは机に刺さったペーパーナイフを顎で指した。
「あれをお前の手で引き抜いて、そのまま妻を刺してこい」
「な」
「妻を刺し殺してこい、と言ったんだ」
 頭の中が一瞬で沸騰した。立ちあがった勢いで椅子が転がる。
「なんだそれは!!」
 胸ぐらをつかもうとした手をホビットは軽く跳んでかわし、そのまま剣の柄に器用に立つ。剣は重さを感じないのか微動だにしない。
「なんだ。できないのか」
「できるわけないだろう!! これは僕の事で、彼女は関係ない!」
「関係ある」
「ない!」
「妻の存在がお前を悩ませる、それで充分関係しているのだ。悩みがなくなったときに、はじめて正しい選択ができるというもの」
 僕はなにか反論しようとしたが適した言葉が見つからず、歯を剥いて小人をにらみつける。
 憎しみの視線を浴びるほうは、慈悲のかけらすら感じさせない目で見返す。
「妻を殺せ」
「嫌だ!!」
「……選択は成された」
 そう重々しく言うと、柄を蹴る。剣は小さく深い穴を残してかき消えた。
 同時に僕は床にへたりこんだ。
 倒れた椅子の足に腕をぶつけ、椅子のタイヤがカラカラと間抜けな音を立てた。
 
 こうして、父とドラゴンに会うチャンスはあっけなく消滅した。
 あの時のように、僕の目の前で。