魔法少女ラッキー・ミルキー

 ぽっかりと出た三日月が輝く夜空を、ひとつの影が横切る。
 猫だ。夜空と同じ闇の色をした猫だ。猫独特の敏捷性を持って屋根から屋根へ飛び移っていく。ただし象くらいの大きさなので、いかに軽やかな足どりでもトタン屋根をすこしへこませて。
「まーちーなーさあああい!」
 巨大猫をかわいらしい声が追った。鈴のような声は苛立っていたが、それすらかわいらしい。
 猫が追っ手の声に驚き立ち止まった瞬間、はるか頭上でなにかが光った。
「みるきぃぃぃ、ふらーっしゅぅ!!」
 光が声に乗って地上に降りそそぎ、巨大猫を包みこむ。
 まぶしい光は猫と共に消え、夜は闇と静けさを取りもどした。

「あーどっこいしょっと」
 猫の居た場所へ、空からひとりの少女が降り立った。
 小柄な小学生くらいの女の子だ。大きめのつるんとした靴にボーダー柄のハイソックス、ミニスカートにちょっと大きめのパーカーをかぶり、袖からはわずかに小さな手が覗く。どぎついピンク色の髪はセミロング。鼻先までずり落ちてきた小人のようなやわらかい生地のとんがり帽子を、面倒そうに上げる。
 パーカーのフードから、モルモットが顔を出した。
「終わったか?」
「うんっ」
 モルモットは少女の肩に駆け上がると、鼻をひくつかせながら、しぶい男の声でささやいた。
「じゃあ、もういいだろ?」
「まだだめー」
 少女はいたずらな笑みを浮かべる。
 どこか舌足らずな返答に、モルモットは憤慨する。
「まだなのかよ!! お前いつまでそうして」
「ん? あ・よっこいしょっと」
 突然少女がぺこりと頭を下げた。
 同時に頭のあったあたりを火が走り、小人の帽子をかすめる。
 モルモットはフードの中に身を伏せ、少女はずり落ちた帽子を押し上げながら、火が飛んできた方向をにらんだ。
「きたわね、ぶらっくまんと!」
 そこには中学生くらいの少年がひとり、何食わぬ顔で空中に立っていた。タキシードに身を包み、名の通り、黒いマントを風に泳がせている。
「ちぇっ。せっかくあいつに乗って緑町を潰して歩こうと思ったのに。ミルキーもわかってないなあ」
「わかるわけないでしょお! わたしのだいじなみどりちょうをでっかいねこなんかにつぶされてたまるもんですか! いいきかいだわ。あなたにはなしがあるの。ちょっとここにおりてきなさい!」
 少女は背中からステッキを引き出し、少年を指した。髪と同じ色の棒は金と白でリボンが巻きついたように装飾され、先端には王冠がついてた。少女は苛ついての仕草なのだろうが、ただぴょこぴょこといたずらに振っているようにしか見えない。
 少年は動じるようすも見せず、空中に浮いたまま足を組んだ。
「ここでも聞けるさ。話ってなんだい? ああ、‘ラッキー・ミルキー’ってフルネームで呼べってこと?」
「そうなの。っじゃなくて! ごほん。……ぶらっくまんと。どおしてみどりちょうをねらうの? そのもくてきはなに?」
「簡単なことさ」
 少年は空中を一回転すると少女の目の前に降り立った。
 虚を突かれた少女はきょとんと少年を見つめる。
 いつも険のある目が、不思議とやさしい色を持っていた。
「ミルキー。きみに会えるから」
「え」
 聞き返した時は、ブラックマントは空の彼方に逃げていた。
 ミルキーはステッキを振って怒鳴る。
「ちょっと、いまのははんそくでしょお! わけわかんないいいわけして、とっととにげるき?! おりてきなさぁぁぁい!!」
「怒ってばかりだね、ミルキー。たまには笑顔を見せてよ」
「おこらせてるのはあなたでしょっ!」
「ねえ、君の本当の名前はなに? いつかこの町内で会えるかな?」
「ぜったいおしえてあげない! あいたいならさがしてみなさい! でも、いそがないとあえないわよ、おとめのいのちはみじかいんだからっ」
「あははははっ! また会おう、ミルキー!」
「こら、まちなさあいっ! ぶらっくまんとー!」
 ブラックマントはマントを翻し、夜の闇に消えた。

 ひとり残ったミルキーは地団駄を踏む。
「あーもー、ぶらっくまんとのばかっ。おちかづきはこいぶみからってきまってるでしょお、いきなりめのまえにくるなんてはんそくよ! もう……どきどきしちゃうじゃないっ」
 真っ赤になってうつむく幼い顔に、モルモットがあきれたようにこぼす。
「命が短いってのは正しいよな。でも、乙女ぇ? よくもまあヌケヌケと言えるな、お前」
「あら、しつれいしちゃうわねえ、あたしはおとめよ。しゅじんがうわきしてるのをみてみぬふりして、もんくもいわずにしゅじんにつくしたくらいにね。りょうさいけんぼだって、それはそれはひょうばんだったんだから」
 ちらりと睨むミルキーに、モルモットは処置無しと目をそらす。
「お前の主人も、妻がこんなに図々しいヤツだとは思わなかっただろうな」
「おんなをつくることしかできないやくたたずに、わたしのことがわかるわけないじゃない。おんなとしんでくれてせーせーしたわ」
「ハッ。お前もかなりひねくれてるな。俺より悪魔に向いてんじゃねえの?」
「そんなにひねくれてる? でも、いわれたとおりかもしれないわねえ。だって89ねんかんずーっと、わがままひとついわないできたから。しゅじんがしんだとおもったらねたきりになっちゃうし。あんたみたいなしにがみがきてよかったわ。さいごくらい、たっぷりわがままいわせてもらうから」
「死に神じゃなく悪魔だけどな。俺はそっちの理由なんかどうでもいいと思ってたが、お前についてはどうしても一言言いたくなる」
「あら。なあに」
「なあ、89年分の欲の具現がコレってのはどうよ!? 魔法を使う少女なんて、現実味のない。悪魔が聞いてあきれるってのはお前みたいなヤツを言うんだ」
 言われて、少女は頬を風船のようにふくらませた。
「なによう、いいじゃない! むかしからあこがれてたのよっ! それにすっごくたのしいよお。みるきーふらっしゅがきまったときなんか、ぞくぞくしちゃうわ。んん~~っさいこう!!」
「くだらねえ。ラッキーミルキーなんて名乗って。頭痛いぜ」
「わるい? ほんみょうにはかわりないじゃない。でも、わからないものかしらね。ぶらっくまんとって、あんがいぬけてるかもねえ」
「そりゃご長寿名鑑にランクインしてる婆さんとは思わんだろ」
「きゃははははっ!! そーよねーっ!!」
 少女はひとしきり笑うと、スッキリした表情で空を仰いだ。
「そろそろかえろっか」
「そうだな」
「あーどっこいしょっと」
 少女は口をとがらせながら屋根を蹴った。
 遅れて背中が光りだし、輝きはうつくしい翼を形づくる。
「お前、魔法少女なら‘どっこいしょ’やめろよ」
「えへへっ。わたしもそうおもってるんだけど、これだけはあたまからぬけないのよねえ。あ・どっこいしょっと!」

 光の翼をはばたかせ、ミルキーは夜空を飛んでいく。
 眼下にひろがる夜景にをうれしそうに、やさしい笑みを浮かべて。
「きれいねえ。わたし、みどりちょうがすきだわ。いろいろあったけど、やっぱりうまれそだったまちだもの。ここをまもれて、すっごくしあわせ」
 ミルキーのつぶやきにモルモットは答えず、違う事を口にした。
「一応言っておくが、今の力を与えたのはこの俺だからな。お前が自由に動ける身体になりたいって言ったから変身能力を与えたんだ。満足した時点でお前は死ぬ。そしてお前の魂は俺の物になる」
「わかってるって。たましいなんてすきにしていーわ。うまれかわれないかわりに、こんなことさせてもらってるんだもん」
「おう。わかってるならいいんだ。……でもこっちはいい加減待つのに疲れてきてな」
「あーら。あくまのくせに、よわね? なっさけないわねえ! まだ、はんとしもたってないじゃない。しっかりしてよね」
「ボケ! ‘もう半年’って言うんだよっ! お前は自分が、悪魔があきれるくらい特別な例だって自覚しろ! ったく……人間は最長でも一ヶ月で満足して魂を渡してるってのに」
「えー? みんなそーなの? ちょっとじんせいやすうりしすぎじゃないのー? だっていっかげつじゃぜんぜんたりないじゃない。わたしなんて、はんとしでもまだまだたりないわよ。ぶらっくまんととけっちゃくがついても、そのあとでまただれかがみどりちょうをねらうかもしれないし。ああもう、ぶらっくまんとめ、こんどあったらぎゃふんっていわせてやるんだからっ!」
「お前、ブラックマントが好きなのか」
 とたんにミルキーは赤面して手をばたつかせた。
「えええっ!? すすすっすきなわけないでしょ、あんなひょろひょろ。だってだってごちょうないをはかいするっていってるあくにんだよ? だれがあんなやつ」
「あーそー。じゃあ嫌いなんだ」
「きらいじゃないけど。しゅじんよりはすうばいましなやつだし、ちょっといいかなって……あ、でも、ちょっと、ちょっとだけよ。ちょっとだけきになるのっ! だいたいねえ、あいつはしょたいめんから」
「ふーん」
「ちょっと! はなしはさいごまでききなさーい!」
「死ぬまで聞いてやっから早く満足してくれ、丑田幸子(うしださちこ)」
「‘らっきぃ・みるきぃ’!」
「くだらねえ事言っ――前! 前見ろ! 高架線!!」
「わわわわっ! あーどっこいしょっとー!」
 ミルキーが翼をかたむけると、目の前に迫っていた高架線が光の羽根をわずかに削った。火花が散る。
「びっくりしたあ! しぬかとおもったわ!」
「ほんっと、死ぬ気ないんだな」
「あったりまえでしょー!? はじまったばかりだもの、まーだまだいくわよー!!」

 丑田幸子、89歳。
 ただいま青春真っ盛り。

 (2004年12月16日up/2020年5月10日改稿)