自己肯定感について
最近どうしたら自分を好きになれるかということをよく考える。熟語で言えば自己肯定感について。
今までは、自分は自分が嫌い、自己肯定感が低い、ということを半ば己の個性、ラベルのように意識していた。そういう詞に出会うたびに頷いて安心感を得たりもする。それを最近は少し変えたいと思う。
きっかけは最近読んだ「彼が通る不思議なコースを私も」という小説。https://www.amazon.co.jp/dp/4087455319/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_r.hsCb0P3P36H
重要な登場人物である教師が、「子どもたちにはできるだけ長く生きてほしい。そのために本当に必要なことは何だと思う?夢や希望?じゃないんだ。自分を好きになることだよ。そのためには誰かに愛されるという経験が必要なんだ。」(僕の要約です)というようなことを語るんだけれど、さて自分はどうか。
もう僕は子どもではないとして(これは精神的な話ではなく年齢や環境、社会という客観的物差しによって定められていて)、子どもの頃を思い出すと、誰かに愛されるという意味で僕は十分に恵まれていた。家族はこの目から見れば優しい。そうじゃない家庭もあるらしくて、ほんとうに恵まれていると思う。家族じゃなくてもいいけれど、愛されるということの具体例を、いくつか記憶の中に呼び起こすことができる。
だから僕には、誰かに愛されるという経験がまだ足りないか、それ以外の何かが必要なんだと思う。それがまだ分からないから今これを書いている。
「愛されたいならそう言おうぜ」って言われたって、ただそれだけで愛されるかはわからないよね。自分を愛するのが先か、人に愛されるのが先か、それは卵が先か鶏が先か、と同じ議論なのかな。
お前はもっと帰納的に決断しなさい。人生の岐路に立ったとき、大学の先輩にそう言われた。分かりやすく言えば、理屈で考える前に今までの良かった経験を元に決断しろということなんだと思う。
有精卵を温める方が上手くいったか、雌鶏を飼って卵を産ませる方が上手くいったか、まずはその経験をしなくてはいけない。それを思い出さないといけない。卵か鶏か、どっちか買うお金を惜しまない。
無闇に喩え話をしてしまって、結局僕が何を考えていたのか分からなくなってしまったよ。思ってるだけじゃ伝わらないね。
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