信教の自由

何かを信じるということを個人だけで行うなら、それは「内心の自由」の範疇であり、何人もそれを犯してはならない。つまり、組織団体結社を通さない純粋な個人による「信教」は、どこまでも自由ということになる。しかし、何かを信じること、「信教」「信仰」を組織団体結社を通じて行うなら、そこには当然、社会関係が生まれ、また当然、社会的行為と見做される。それゆえに「信教の自由」は「内心の自由」の範疇を外れ、その社会の秩序の範囲においてのみ保障される。

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