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タンザニア旅 ④ マサイ族のマーケット〜ただいま南アフリカ

マサイマーケットは9時から開くらしい。
少し早めの8時過ぎにホテルを出て、周辺を散歩。
歩いて4分程度の場所にマサイマーケットを確認。もう少し歩いてATMでお金を下ろし、近くの小さなカフェで一服。
現地の人が朝からちょっと寄るようなお店のようだ。

米粉と小麦のパンをそれぞれ一つずつと、コーヒーをオーダー。
アルーシャでコーヒーが飲める!と喜んでいると、出てきたのは紙のカップに注がれたお茶のような薄目のコーヒー。
聞くと、これにスプーン一杯の砂糖を入れて、パンと一緒にいただくのがお決まりのスタイルだと言う。

試しにそのまま飲んでみると、確かにかなり薄い。砕いたコーヒーを煮出しただけのもののようだ。
やっぱり砂糖くださいと言って「でしょ?」と笑われる。しかしパンを口に含んだまま、甘いコーヒーを飲むと、思っていた以上に、いやかなりイケる。

空港の周りにも沢山のコーヒープランテーションがあった。スペシャリティコーヒーとしても有名なアルーシャ産コーヒーだが、日本で飲むようなドリップやプレスなんて飲み方をする人はこちらにはいなくて、みんな荒く砕いた豆を煮出したお茶のような飲み方が一般的なようだ。
さながらカカオ農家がチョコレートを食べた事がないといった話に似ているなと感じた。

湿度が高く温暖なタンザニア。しかしここアルーシャは高い山の麓にあるからか、冷涼で乾燥していて、過ごしやすい気候。
そして街路樹のジャカランダが至る所で満開である。

マサイマーケットはザンジバルの市場とよく似ている。元気の良い商人達が次々に呼び込んでくる。お決まりのセリフは「1分だけでいいから見ていってくれ!」だ。

アフリカンファブリックや民藝品はよく見かける物が多いが、流石マサイマーケット、マサイ族ゆかりの商品が充実している。
マサイソードにマサイスピアー、武器めっちゃある。ちょっと面白いなと思うが、どうやって持って帰ろうか(笑)

カラバシという木を使った水筒もよく見かけた。フォルムが可愛い。これにミルクを入れて飲むそうだ。
マサイの人々の暮らしはこのカラバシと黒檀(ブラックウッド)ととても密接なよう。この辺りの木材を使った日用品や工芸品はとても多かった。
とりあえずカラバシ水筒を一つ購入。ついでにマサイシュカ(布)も一緒に買うから安くしてと交渉する。
この水筒で給水しながら畑仕事するのはカッコ良さそうだ(笑)

※買った商品は現在配送中なので、後ほど家で開封して写真追加します。

少ないがいくつかのアンティークショップもあった。マサイ族が使っていたという約100年前の木製ポットが目を引く。
値段は15万シリング。日本円で9,250円程度。何度か交渉の後、10万シリングでどうかと言われる。もうちょい安くしてもらわないと無理と答える。マサイ、頭をかかえる。

アフリカの商人たちは最終的に「いくらなら出せるんだ?」と聞いてくる。
ここで出した金額と向こうの掲示する金額の中間をとりながら、交渉が進められらので、最初は思い切って半額以下の値段を掲示することをおすすめする。

70万シリングでどう?と聞く。マサイ、それは無理と答える。95万シリングが限界だというのでそんなに持ってないと言う。最終的に85万シリングで落札となった。
半額まではいかなかったが、約半額にまで落とす事が出来た。強気に出ると楽しめる。


ザンジバルで出会ったナイスガイの兄弟たちがマサイマーケットを案内してくれた。旅の中で出会った人からまた新しい繋がりが増えていく。and友人。



そんなこんなでバタバタとマーケットを回りきり、ここからホテルに戻って荷物の梱包、そして空港に移動する。
丸一日もいなかった。国立公園や野生動物の宝庫でもあり、キリマンジャロにも行く事ができるアルーシャ。もっとじっくり楽しみたかったが、仕方ない。ここもまたいつか訪れたい。

アルーシャからダル・エスサラームに戻り、ダルの空港で約11時間待機。
朝方の便でエチオピアを経由しケープタウンに戻る。

久しぶりのケープタウンの風景に安心感を覚えるくらいには、ホームタウンと認識し始めていた。
ただいまテーブルマウンテン。

切なすぎる夕暮れのテーブルマウンテン。


そこからは怒涛のようなスケジュールで、PCR検査をパスし、ケープタウンシティ内にあるグリーンマーケットスクエアを再訪。
アフリカンマスクなどの古い民藝品はここが一番安いし、充実している。
コンゴとリベリア産のアフリカンマスクを半額以下に値切った後購入。
タンザニアを経て、値切りスキルが格段に向上している。

やっぱり最高!グリーンマーケットスクエア!


店終いの様子。車の荷台に次々とマスクを放り込んでいく。



アフリカ最後の夜は、観光客らしくウォーターフロントのレストランで過ごした。
約二週間の旅お疲れ様でした打ち上げだ。

そして宿に帰り、すっかり忘れていた計画停電に「しまった!」と声を上げながらも、フライトの疲れを癒す為にそのまま爆睡した。

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