「わかりやすさ追求」のファスト・アンド・スロー
現代社会では「わかりやすさ」は正義です。わかりにくい情報は見向きもされないばかりか、悪として排除・矯正の対象になります。
ヒットした専門書やビジネス書はまもなくコミカライズされます。
予言します。
そのうちハンス・ロスリング氏の「ファクトフルネス」のコミカライズが出版されるでしょう。
先月出版された武田砂鉄氏の「わかりやすさの罪」という本は「現代はわかりやすさ偏重。だが、わかりにくいものや複雑なものに触れた時に人は思考を深める。」という視点の小論をまとめたものです。
左派的な論客らしく個別の意見の中には賛同しかねるものが多かったものの、テーマ設定と全体に流れるわかりやすさ偏重への不快感については我が意を得たりと感じました。
ただ自分は「それでもわかりやすさ追求は無くならないし止まらないだろう」と感じます。この世界で、受け手のわかりやすさを度外視した情報を発信し続けられるとしたら、それは強者の特権か芸術家の才能です。
自分は、わかりやすさ追求は本能だと考えます。
私達はネットの海が「〇〇について調べてみました。出身大学は?家族は?年収は?・・・いかがでしたでしょうか?」ブログに汚染されていることを嘆きますが、それを求めているのは他でもない私達の「わかりやすさ」への情熱ではないでしょうか。トレンドブログもまた、レジ袋やペットボトル同様に有用で需要があるがゆえに生まれ、ネットの海のゴミになるのです。
「わかりやすく伝えること」と「わかりやすさを求めること」
「わかりやすく伝える」のは知的な行為でしょうか?
答えはおそらくイエス。わかりやすく伝えるためには、必要な情報を明確にし、不要な部分を削ぎ落とし、構造を単純化し、受け手の前提知識に沿った深さで提示することになります。
「シシトウが辛くないのは、シシトウも唐辛子の辛味成分のカプサイシンを作る遺伝子を持っているが、通常は発現しないため。生育環境におけるストレス等が原因で発現すると辛いシシトウになる。」
ググれば一発で出てくる情報ですが、この形になるまでに結構もまれた表現だと推測します。「種類が違うから」で終わらずに「カプサイシン」「遺伝子」「辛いシシトウ」といった一般に認知されているキーワードを網羅した簡潔でわかりやすい説明です。
このような「わかりやすい説明」を考える行為は知的です。
では、「わかりやすさを求める私達の態度」は知的でしょうか?
これはかなり怪しく見えます。知的というよりは、もっと反射的で、直感的で、感情的な態度に見えます。
「わかりやすく伝える」ことと「わかりやすさを求めること」はおそらく異なる方向を向いた処理です。
わかりやすさを求めるファスト氏
人間の脳が行う様々な処理について「理性と感情」「知性と感性」のように、機能を2通りに区分する例えが昔から使われます。
古いところでは感性を重んじる「右脳派」と論理を重んじる「左脳派」があります。ただ、専門家によると、これは言語野が左脳にあるがゆえの比喩であり、実際は絵を描く時には左脳も使い、計算する時には右脳も使っています。
ここでは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマン博士のシステム1(ファスト氏)とシステム2(スロー氏)という比喩で話しましょう。世界的なベストセラーになった「ファスト・アンド・スロー」の骨格になる考え方です。
対象が持つイメージから直感的・経験則的(ヒューリスティック)に判断するのがシステム1、論理を積み重ねて判断するのがシステム2です。
「神経質で内向的なスティーブの職業は図書館司書か農家のどちらか?」
この質問に「なんとなく陰キャは図書館司書をしてそう」と思ったらシステム1が働いています。「いや、就業人口では図書館司書より農家が桁違いに多いから農家の確率の方が高いのでは?」と思い直した時はシステム2が働いています。
今回の話題では「わかりやすく説明する」のはシステム2が大活躍する分野ですが、「わかりやすさを愛する情熱」はシステム1が大いに関係していると考えます。
スティーブの職業の例では短絡的で頼りなく見えるシステム1ですが、我々は生活と生存にシステム1をフル活用しています。
いちいち論理を重ねていたら毎朝着る服を選ぶだけで疲労困憊してしまいます。「太字強調は重要なポイント」という経験則を無意識で処理できなければ、文章の概要を捉えるのに倍の時間がかかるでしょう。
負荷をかけずにおおむね正しい選択をしてくれるシステム1は効率的なので、システム1の提案は魅力的に感じるようにウェイト付けされています。
「わかりやすい情報」はハックされている
一方、私達が目にする情報の多くは、受け手のシステム1をハックしようとする意図を持っています。
例えば、意思決定では3つの選択肢があれば中間が最も魅力的に見える傾向があります。そのため、定期購読プランの中に明らかに劣る選択肢を入れたり、スマートフォンのストレージも最小サイズは少し不安になるような水準になります(現在フラッシュメモリを最も高額でエンドユーザーに売っている会社はAppleでしょう)。
「わかりやすく伝える」「バカでも分かる」「予備知識ゼロ」
わかりやすさを全面に出した説明の背景には、発信者の善意やトラフィック獲得のための努力と並んで、受け手のわかりやすさへの愛情をハックする意図が盛り込まれているという視点を持つべきです。
わかりやすさには、アルコール、ニコチン、ギャンブル同様、依存的な快楽があります。
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