Kawaiiモンスター

「かわいい」は人を狂わせる。


傾国の美女、とか。ファム・ファタル、とか。そういうシンプルなやつから

飼ってるねこちゃんに尽くしまくるとか、推しにお給料全部つぎ込みたくなるとか、そんなのも。

「かわいい」が原動力になって、私たち今日も生きていたりする。

「かわいい」の持つ力は強大だ。


見かけが愛らしいという意味のかわいいはもちろん、
すてきだね、いいね、魅力的だね、
そんなのとかごちゃまぜの、多義の「かわいい」もある。どちらも強い。


私は、かわいいに魅入られて狂ってしまった人のひとり。

親戚の中でいちばん年上の子ども。
久しぶりの赤ちゃん登場に親族みんなが沸き立った!

動いた!泣いた!はいはいだ!ミルクだ!

こっちでつつかれ、こっちで抱かれ、みんなの前でにっこり笑顔。人見知りのない、愛想の良い赤ちゃんだった。

「かわいい!」の言葉を浴びるように受け取った。


動物の赤ちゃんはみんな、親に愛されしっかり面倒を見てもらうために、愛らしいと思われるような見た目になるそうだ。
丸くて大きな目やまるい輪郭などがその要素だった気がする。英語の教科書で読んだ話だ。

赤ちゃんだからかわいい!はもちろんあったけど、敢えて自分で言おう。
私は小さい頃とぉっても可愛かった!
周りと比べてもだ。

道を歩いていてもかわいい、お買い物に行った先でかわいい、電車に乗ってる時にかわいい
知らない人からもたくさんのかわいいを貰った。

モデルのスカウトもあった。(貰った名刺は何処かに行ってしまったのでそれが詐欺なのか本物なのか確かめる術はもうない)

そんな子どもが行き着く答えは一つ。

「わたしって、かわいいんだ!」

調子にのる。当たり前に。


かわいいかわいいともてはやされるのが当然のことで
にっこり笑って手を振れば大人はみんな私の味方になってくれた。ちょっとしたおひめさま気分。

調子に乗っているのを隠せる程度の知恵は持ち合わせていたので、
「えへへ、ありがとうございます😊」
と恥ずかしそうに照れ笑い。ぜーんぶ計算のうちだった。


なんて憎たらしい子ども!



そんな日も長くは続かない。
小学校4年生頃から、もらえる「かわいい」の数はだんだん減っていった。

おかしい。私はかわいいのに。なぜみんな私に「かわいい」をくれなくなったの?

いらいら、むかむか、
なんだか寂しいし悲しいし。

少しづつ塞ぎ込んで、魔法のおひめさまタイムも終わり。

鏡を見て、周りを見て、びっくり。
あれ?私はかわいいはずなのに…確かにかわいかったはずなのに…

その頃だったと思う。
かわいいをくれる人に極端に懐くようになったのは。

今だって同じ。

かわいいは貴重なものだとわかった。努力の上に成り立つものだということも。

だから頑張って頑張ってようやくもらえたひとつの「かわいい」は私にとって何物にも変えがたい喜びになる。

「かわいい」が私を満たす。

食べ尽くせばまたおろおろ歩き回る。

次の「かわいい」をもらえるまで。

飢えた、欲の塊。


きっとみんなも「かわいい」の力の強さを知っているから躊躇わず、私は今日も「かわいい」を告げるし

私は今日も「かわいい」を待ちわびて不恰好に口を開けている

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