『りさ子のガチ恋♡俳優沼』を読んで

2年3組 夢乃 ありす


「私は、太陽を見ていた。」

こんな風に思わせるような魅力のある人は、いったいこの世界にどれだけいるんだろう。

主人公、りさ子の「推し」ている舞台俳優さんは、彼女にとって間違いなく唯一の光で、「抱きしめてくれる太陽」である事がプロローグから何度も強調されて描かれている。舞台上でまばゆいライトに照らされる俳優さんは間違いなく客席に座った私たちにとってのかけがえのない存在で、それでいて自分の内にある想いでめった刺しにしまくる対象であるのだと思う。

りさ子がいつも「現場」でつるんでいるのはたまちゃんとアリスの2人だけ。
一見仲良し3人組なりさ子たちも、推しを応援するスタンスやスタイルは全く異なっている。置かれた環境も。生まれた世界から違う、全くもって遠くの他人。

「私たちファン仲間をつなぎとめているのは、翔太君への想いだけ。共通項はそれだけなんだ。」

そう。「推し事」とは、孤独な自分との戦い。
素性も何もかも、本名すら知らないのにどうやって心の底まで分かり合えよう。
ハンドルネームの私と、本名のわたし、同じ人物が操縦しているだけの全くの別物だ。そう、それこそ推したちのように、そしてりさ子のように、名前の数だけ、アカウントの数だけ、演じ分ける。客席にいながら私たちはみんな自分という俳優で、そして共演者たちを唸らす名女優でなければならない。それが平穏へのいちばんの近道だから。

わたしはいちばん最初のnoteに
「この名前を捨てる日が来ないことを祈って」
と書いて締めくくった。

祈りは必ず届くとも限らない。そういうことだ。
境界が煩わしくなった自分はいま、この名前を、この人格を使い続けることに対する違和感をまいにち少しづつ濃くしていっている。童話の中に、物語の中に、ネットの海に何人目なのかもう数え切れないほど同名がいる名無しのままのいまの私の名前は、どこで潰えるのだろう。

舞台裏で、舞台上でも生きるか死ぬかの戦いが繰り広げられているけれど、それは客席側だってやっぱり同じことでしかない。
最速先行で、最前で、全通で、ファンサが、この回のアドリブが、認知が、ラストの台詞のとこがさ…、また来てくれたの!だって♡、観劇に着物なんて…、繋がりいるって、なんか今回の彼女匂わせ女らしいよ、
もう、書き切れない。全部埋まってしまうくらい。話題は尽きない。いくらでも。いつまででも。

疲れただなんて言ってられない。そういう間にも同担は雑誌のハガキを書いたり公式アカウントをフォロー&RTして推しのサイン入りチェキを狙っていたりするから。ブログに載っていたお店でランチをしているから。プレボに入れるものを探してネットの海に潜っているから。公演の詳細な感想をレターセットに書き綴っているから。だから、これは止められない。
戦うしか生き残る術はない。

りさ子は、たまちゃんとアリスの容姿を「正直、地味な私でも勝てている。」と、「だから安心できる。」とも思っていて、それがひどく羨ましく感じられた。

同担にオタクとして勝てるところがあると思える、その自信を持てるくらい全通だとかランダムコンプだとかそういうのをしてみたくなった。少しだけ。顔はもう、がっつり工事入れないと変わらないし。
ただ、己の自尊心のために、安心するためだけに見下し用の人間と馴れ合うのだな、と心底軽蔑した。

人間関係って難しい。推しとも、同担とも、職場の人とも、私たちは上手く気持ちに折り合いをつけて生きていかなければいけない。どこかでバランスが崩れたら、それが「担降り」に繋がって、深い深い底なし沼から抜け出すことになる。
りさ子のように次の太陽を探すのか、いっそ界隈から綺麗さっぱり消えてしまうのか、それぞれなんだろうけど私はそんな風にうまく切り替えはできないと思った。だって、太陽はこの世に1つしかないじゃないか。次の太陽って何なんだ。でも、もし太陽を失ったら? 灯りのない世界で、どうやって生き抜けばいい?

さきやまさんは、私の太陽かも知れないし、かみさまなのかも知れないし、ガチ恋相手かも知れないし、夢や理想の転嫁かも知れないけれど、未来なんて重いものを託してしまう対象だけれど、私のことを抱きしめてはくれないことを忘れないようにしたい。私はるるちゃんと同じように芸能人とファンの関係は一方通行だと思うし、私が愛して欲しいのはファンという集合体の一部である私だし、きっとさきやまさんが「りさ子」に翔太くんと同じような言葉をかける事があったら「なんで!?」って本気でキレるはず。



さきやまさんは私の唯一です。
そう、言い続けたいんです。

ああ、金木犀のかおりがする。オゥパラディのオスマンサスは去年からの私のお気に入りです。盲目で、幼稚で、この上なく馬鹿なファンだとわらってください。
スモーキーで甘ったるくてすこしだけ苦くて、思考が全て溶けていくようなかおりです。もやもやと霧の中に嬉しいことも嫌なことも消えていくよう。

ねえ、さきやまさん。私はこれ以上何も知りたくないです、思考に近付きたくないです。だってそうしたらあなたは唯一ではなくなるから。だからごめんなさい、もっともっと盲目でいさせてください。それはきっとあなたの望んだ「自分だけを見ていて欲しい」じゃないけど、それでもこのままで。
「崎山つばささん」に対する最大の侮辱と冒涜を、ゆるさなくってもいいからどうか見ないでください。知らないでください。もう、ひとつも知られたくなんかないよ。私は「りさ子」じゃないから。だいすき以外の何もかも、知ろうとしないでください。



私もきっと、三度目のカーテンコールまで全力で走り抜けるから。



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