リ・ブランディング

【2019年、春の下書き】

そろそろ新年度からの人事が少しづつ決まってきます

私にとっては初めての年度またぎ?なんていうの?まぁようは春から2年目になるってことです


服を選ぶことがどんどん難しくなってきた

朝起きて、今日着る服を選べない。

そんなこと学生のうちは無かったのに。
まぁうんうん唸って悩む日はあったけどそれでも

週5で着るのもいつも洗うのも弊社服だから
洗ったのそのまま休みの日も着ていて、かわいいよりもあったかいとか楽とか、そんなんで選んで。
もちろん仕事着は他のスタッフと被りないように色とか形とかで選んで。


中途半端に知識をつけてしまったから
この素材は…洗濯が…縫製が…とか型崩れするなこれ…とかそういうのもぱっと見ればわかって
それで、自分の心がときめくのは大体、というかほとんど、洗濯不可なのが分かった。同期と休みの日に買い物に行って、私が手に取る服ぜんぶ洗濯不可表示だったから途中から面白くなって「これは不可。」とか言って当てる遊びをしてました。商品で遊ぶな。

休みの日は(自分が何にもとらわれず自由に服を選ぶ日は)週に2日しかなくて、そんな一年で約100日しかないのに、そのうち70日くらいはだらだら家にいるか弊社服で済ますかなのに、
なのに服飾品を買うの?????
その、意味は?

誰よりも服が好きで、っていうか服を着るのが好きで、選ぶのも好きで、どこに着て行くならとか誰と会うならこれってあれこれ考えて、メイクとか小物も色とか雰囲気を合わせて、
そうやってセンスもないなりに、いまだに垢抜けなくて地味で中の下でも楽しく服と接してきたつもり。真摯に向き合ってきたつもり。ほんとだよ?


だから今年度はあまり服を買わなかった。 
それどころか断捨離しなきゃって思ってる。

でもそれはそんな悲しい理由だけじゃなくて
自分という個のブレを無くそうと思い始めたから。

自分の誕生の瞬間を、その日を、私はよく覚えている。

おっきなトランクを引きずって新幹線を降りて、初めて見る駅名と路線名にどきどきしながら地下鉄に乗る。
ネットに載ってた写真の空っぽの部屋は少し小さいのがかえって心地よくて、段ボールの山が届いた時はなんだか気が抜けてしまって不織布のケースに入ったままのマットレスにもたれて少し眠った。

今いるこの場所で「私」は始まった。

だから覚えている。まだ1年も経たないから。
それだけ鮮烈な感動がそこにあったから。

今では当たり前になった「ひとり」が嬉しくて仕方なくて、何をするのも初めてで、嬉しくて、楽しくて、何にでも胸が高鳴って。


【追記2020.04.05】

懐かしくなって休憩中にちょっとだけ心の中で泣いてた

売る側のエゴって凄まじくて
それを感じずに好きな服を好きなだけ好きな様に買えてたあの日々にかえりたいし
出来ることならもう服屋なんてやりたくないいますぐ辞めたいけどやめたってこのエゴが身体から抜ける事はないんだろうな、一度裏側に立つってそういうことだ

これなんでこんな安いの?
って、売れ残って在庫抱えてるからに決まってるし
これってシワになる?
とか聞かれても、なりますよ😆なんて言えるわけなくないか

一年が経って、わたしはまだ同じ部屋の床に寝そべる
一生この土地から動けないんじゃないかって気持ちになってきて、怖くて、逃げたくて、やっぱりここが好きになれなくて
地元がイチバン横浜県民だから、かえりたくて、でも実家には戻れないし、地域限定で働くなら今の会社にいる意味もなくて、行くあてなんてなくて、転職活動も毎回新幹線とかバスに乗って移動しなきゃいけなくて、でも仕事は週5で必ず入ってる
友達だってここにはほとんどいなくて、毎日寂しいって泣きたくなって、暗い部屋は怖いし、夜は眠れないし、誰も助けてくれない  

変わってくれなきゃ困るよとか
覚悟がないよねとか
なんでうちに来たの?辞めたら?とか  


【2021.08.17追記】

休職を経て

仕事で悩んでいるうちが華
という思いをもちました。悩みは歪みになっていって私生活に滲み出すものです。
眠れなくて、動かなくて、考えられなくて、ゴミをゴミ箱に放り入れることすら億劫でした。周りをぐるっと無意味達が囲む休日を過ごしていました。休日が来なければいいのにと思いました。この部屋で生きるのが苦しかったから。布団の上だけが安全地帯で、そこに全身丸まって全てから逃げるように眠るのです。一日中。ようやく動ける時間になると時短でお店は閉まっていました。もう行くあてはコンビニくらいしかない。欲しいものもないので外には出ず、翌日になるとのそのそと動いてやっとのことで仕事に向かいました。

涙は出ませんでした。
休職をする方は通勤中に涙が溢れて止まらなくなることがあるそうです。そんなこと一度もありませんでした。だって泣くのは舞台を見た時にと決めていたし、それ以外で泣くのは負けたようで悔しいから。ぼやんとして、それで、終わりでした。
耳が壊れそうなほど大きな音で刀ミュの曲を毎日聴きました。そうして曲に合わせて足を動かすと気付いたら職場の前までたどり着けるからです。音に合わせてカチカチと。脚をメトロノームの針のように正確に、カチコチと。すると楽しげに職場に向かえます。スキップするみたいに。軽やかに。


仕事はどんどん辛くなります
後輩ができて、部下もいて。お店の中間管理職のようなことをしているのですが、板挟みは苦しいものです。
上司はもっと苦しんでいるのを知っているから、なにも迷惑はかけまいと抱え込んでまた苦しくなりました。
いろいろな人に「それはあなたの立場で抱える問題ではない」と3年間ずっと諭され続けてきました。でも無理なんです。問題が見えてしまうから。それをなんとかしたいから。それが働くことの意味だと思うから。前に進みたいです。それだけ。毎日お店を開けて、閉めて、それで終わりなら私がここで働く意味なんてありません。変えて、新しくして、効率化して、楽しくして、決まりを決めて、工夫して、それから守って。そうして働くから楽しいはずなのに。同じことの繰り返しなら要りません。でもそう言うわけにはいかないみたいです。
変えること、変わることが嫌いな人が社会には意外とたくさんあるんだなって。知りたくない人って多いんだなって。もどかしいです。
戻るのが怖い。


でもこれが、自由を手に入れた、やっと自分を手に入れた代償なんだと思います。
だから受け止めるしかないことも、私がもっと成長して解決できる立場にならなきゃいけないこともわかってます。次こそは絶対に間違えない。抱え込まない。頑張ります。



自分を貫くのってやっぱり難しいことです。

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