笑った奴らをぶっとばせ
他人の生き方に、考え方に、賛成できない時がある。納得出来ない時がある。
なんでそんなことしてんの!?
私も思わず言いたくなる時も、ある。
でも言っちゃったらだめじゃない?
思ってるだけなら、考えが違うだけなら、なんにも問題ないけどね。
長い間、オタクは迫害されてきた。
いわゆる、アニメオタクの皆様。
私はそういう時代に「反オタク」の派閥から「隠れオタク」の派閥に移動してきた人で。
チェックのシャツにバンダナ巻いてリュックで小学生みたいなスニーカー、厚いレンズのメガネ、極端に太ってるか痩せてるかのなんとなく清潔感のないイメージの人たち。すごい偏見。まぁ昔はわりとそういう傾向にあったなぁって感じもしなくもないけど。
オタクというだけで後ろ指さされる時代はあった
今は…うーん。そこまで理解はないけどひとつの生き方として世間様、からも容認はされてる気がする
私は、信じていたお友達に酷いことを言われたことがある
「推しがかっこいい〜とかいうよくわからない変な日本語を言いだす人の気は知れないけど久しぶりにミュージカル映画が見たいな」
ツイッターの、空リプです。
その人のTLでオタクは数人。中でもリア垢で観劇記録をつけていたから、これは明らかに私に向けられた言葉。
心底驚いたし、信じられなかった。
そのお友達は生粋の映画オタクで恋人とのデートより1人映画を選んだことがあるくらいの、そのくらいの映画オタクだ。
見に行った作品のパンフレットは必ず買うって決めごとは、観劇趣味初心者の私とおんなじだ。
あっ、相容れない。
3年間仲良くしていたひとだった。
ジャンルは違えどオタクはオタク。受け入れ分かち合うことはできずとも互いに認め合うことくらいはできると思っていたから、これは本当にほんとうにショックな出来事だった。
大好きな趣味を、
そんな奴のこと理解出来ないの一言で一蹴された私はずっとぐるぐると、いつまでも悩み続けていた。
そう、気持ち悪いのは私のことなのだけど、私は推しのことを周りに明言している。
だから、
「気持ちが悪い私が応援しているひと」
として認識される推しはどんなに不憫だろうと
何も悪いことなどしていないのに。
あのひとはただ、一生懸命にお仕事を、そしてファンにも優しい言葉と眼差しを。今日も。
なのに、なのに私が、
推しに出会えてからすっかりメンヘラ心は消え失せ精神はしっかりと安定していたのに、この時ばかりは夜も眠れぬ不安に押しつぶされた。
脱メンヘラ!なんて言って
何もかもてきとーにせず責任と当事者意識と、繊細な心を持って周りの人にしっかりと感情移入をしてあれこれ考えたりする(大学に入ってからこういう真面目に悩むことができる人はなぜかメンヘラだとカテゴライズされて大層いじられた)ことはやめた。
清く正しく、そう思う人が馬鹿を見る集団に何を言っても無駄だと思ったし、それに私は相当疲れ切っていた。
推しを知って私は、
毎日が明るいのだと、明日を生きることが楽しみなのだと、笑って幸せに生きるのだと
隠さず、この光をあたりに解き放った。
そうは言ったって人の本質はそう変わらないのだから、今まで通りにお友達はみんな仲良くしてくれた。
最近楽しそうだねと、声をかけてくれる人もいた。
可愛くなったね、も何度も言われた!
なんて嬉しいときめき!
幸せであることの喜びは、
周りと共有することに。伝えることに。
そこにある。
幸せには幸せが、ポジティブにはポジティブが、喜びには喜びが、プラスのことにはプラスのことが惹かれてやって来る。
だから私は絶対にやめない。
幸せな時には「私はとても幸せだ!」と叫ぶこと、それだけで見たくないもの聞きたくないことは勝手に離れていく。
それになんだか、いい気分。
馬鹿みたいよ、なんか。
俳優の追っかけなんてしちゃって付き合えるわけでもないのにって言った人たちが口を開けてぽかんとこちらを見ているの。
思わず笑っちゃう。
だからこれからだってずっと
笑った奴らを、うしろ指差した奴らを、
思い切り思い切り殴り飛ばせけりとばせ!
立ち上がれなくなるくらい思いっきり、とびっきりの笑顔でノックアウト。
幸せで殴れ!!!!!!!!
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