波に揺られるまま帆船はあたらしき日の風を待ちながら眠るのか

2018年9月11日。

私にとって3回目のリリイベに行ってきました。
場所は池袋のサンシャイン、噴水広場。舞台『煉獄に笑う』からずっと足を運んでいる、安心して行ける現場。


この日にたどり着くまでの道のことを、長くなるかもしれないけど、ゆっくりでも確実に紡いでいきたい。


私はもう、疲れ果てていました。
推しさんのこと、大好きな気持ちは変わらないはずなのにほんの数ページのネット記事も読めないし雑誌も買えなくなりました。

毎日なにかが起こるというのはとても幸せで贅沢で、毎日新しい驚きに満ち溢れたオタク生活は本当に楽しい。その気持ちは今でも変わらない。
だけど、私はその大きな流れに乗り切れず溺れてしまった。全てを追いきれるわけない、ささやかな5等星ファンにとっては必須の「取捨選択」のスキルを私はリクルートスーツと一緒に脱ぎ捨ててしまったようなのです。

自分が今、推し活にどれだけお金と時間と精力を注ぎ込めるのか。
いちばん身近なそんな自分のことすらよくわからなくなっていたから本当に苦しかった。自分が自分でわからない、こんな想いは思春期の子供の悩みのようで恥ずかしかった。それでも不安で仕方なかったのです。

だって、私には未来が見えていないから。

私のTLには年下のフォロワーさんは殆どいません。
同級生だったり、お姉さんだったり、みんなもう既に社会人になっていて「きっと来年も自分は社会人をやっているのだろう」という気持ちが、意識していなくてもどこかにあるんじゃないのかな。
今を強く、たくましく、乗り越えている方々です。昨日も今日も働いて、チケットをとって遠征をして、残業したり、物販の列に並んだり…今が大丈夫だからきっとみなさん、来年も大丈夫なんです。会社辞めても、ボーナスが思ってたほどもらえなくても、きっとそのままに生きていく。学生でもまぁ、同じ。今年の単位が取れていれば来年は大丈夫。今までどおりをなんとなくでも守れれば

でも私はひとり怯えて
来年の配属も、仕事をしながら推し活をする心身の余裕があるのかも、一人暮らしの暗い部屋も、何も知らないから。
私はどうなってしまうのだろうと、そんなのわかるはずもないのに毎日ぐるぐると問答を繰り返してその度に恐ろしく不安になる。
何もかもがいくらあったって足りないのです。去年の私は大学一年生から微かにわずかに少しづつ貯めていたお金をすべて、ほとんど全てチケット代や物販、雑誌やCD、DVDなんかに注ぎ込んできました。一歩先だけを見て。その先はどうでもよかった。今が楽しければそれでよかった。だってみんな、言うじゃないか
「同じ演目は他にあってもこの公演は一度きり」
なんだって。私もそうだと思う。慌てて走って手を伸ばしてギリギリ掴める今だけ期間限定のこの幸せを追うのに必死だった。社会人になった後のことなんて知らない。むしろ、わずかなお金を持ち出してどこか見知らぬ陸の果てにでも飛んで死んでしまおうかとも思っていた。きっとこの「好き」も永遠には続かない。いつかは冷めるこの気持ちを今失いたくない、全てが見たい、全てが知りたい、泣き笑いして喜び悲しんで美しいあのひとをいつも瞳に写していたい。刹那の夢を一瞬でいいから本物にしたかった。
だから一歩先だけ、その先が闇でも地獄でも宇宙でも知らないし見なくてよかった見えなくてよかった。けど駆け抜けてこの上ない幸せを抱えきれないほど全身に受けて、そうして今になって怖くなった。自分の人生というものが、未来というものが大切なものだと言うことにやっと気が付いて、そうして手遅れ寸前の崖の上。

自分のせいなのはわかってる。
誰よりも自分が一番にわかっているからこそこの上なく悔しい。向こう見ずに始めた短距離走をゴール間近で急遽マラソンに変更したんだからそれは、それは息切れもするでしょう。それどころかあと一歩だけでも前にという気持ちすら薄れて完全に立ち止まってしまうところだった。
CDを積むひとが、認知をもらっているひとが、何公演分もチケットを持っているひとが、羨ましくなってしまって無茶をした。自分のペースも、自分にとって推しがどんな存在なのかということも解らず闇雲に走り抜けてしまったから、ほら、もうずいぶんと遠くまで来ました。

ねぇ、ここはどこですか。

私は何をしにこんな所まで走って来たの。楽しく幸せな気持ちになるはずだったのになんで夜ごとこうして苦しんで眠る間に涙を流しているんだろう。
なにもかも見えなくて、でも真っ暗なわけでは無くて、青い空と一面の草原、それしか見えないような、明るいのに、希望的なのに、なぜか恐ろしい。卒業もできる、就職もできる、次に進めるのに目眩がして立っていられなくなってその場にしゃがみ込んでどれだけ時間が経ったのか。気が付いたら周りは見渡すかぎりおんなじ景色で自分がどこから来たのかも、どこに向かうのかも忘れてしまった。


ミュージカル刀剣乱舞
阿津賀志山異聞 巴里

ミュージカル刀剣乱舞は今の私のはじまり。
すべての出会いの結び目。
だから絶対に絶対に、この目でこの耳で、そして肌で全て感じたいと思った。テレビ画面越しであの日に初めて見つけたあのひとも、こうしてこの夏もあの日と同じように、いや、それ以上にいっそ暴力的なほど魅力的に心を撃ち抜くんだろう。
絶対に絶対に、可能な限り何度でも、たとえ来年の私が財布に小銭だけになってもやしに醤油をかけて生き抜くようになったとしても絶対に絶対に絶対に劇場に行くと決めた。

厳正なる抽選の結果、残念ながら今回はチケットをご用意することが出来ませんでした。

チケットを、ご用意することが、出来ませんでした。…なる、ほど。そうね、うん。
心の中にいくつもいくつもはしった大きなヒビに、また何度も何度もこの文字列を見るたびに楔が打ち込まれてぼろぼろ崩れ落ちてもう一度くっつけて…

大好きなお友達にチケットを譲っていただけて、またしても私はやさしいひとの温情でもって劇場へ。(今年の上半期だけでチケットをお譲り頂いたのはなんと3回目でした)
でも、
感想もなにもnoteに書き記していないから私がどうなったかはもう察しの良い方なら気がつく頃ではないかな。うん、その通りです。

最後の一撃を真正面から受け止めて、それからさほど日をあけずライブビューイングへ。高校時代のお友達と一緒だからって無理やりあげたテンションが痛々しい。開場前に飲み干した抹茶スモアのフラペチーノの味だけが今でもまだ鮮明に思い起こされる。

もう限界だ。

甘ったるい味と右腕だけの筋肉痛
お土産だよ、私。忘れないで、永遠に、覚えていて、せめて自分だけは。
苦しいのも悲しいのもそれはそれとして良いもの、でも空っぽだった。それすらもなかった。頭にはしっかり残っている、こうやって始まって、ここが変わってて、ここがもっと素敵になって、それからそれから…だけど受け止める器を無くしてしまったから素敵な公演が滝のように私の頭の上からつま先より下へさらさらと流れていって、もう記憶の中にしかいなくなってしまった。

家に帰って久しぶりに意識がある中泣いた
訳も分からなくて怖くて不安でこのまま私なにも受け止められなくなったら劇場に行くことすら怖くなってしまうと思って声をあげて泣いた。ずっと、眠る前まで。やっと念願叶って幸せで満たされているのに、こんなところで終わってしまうのかと、こんなにも突然にやってくるのかと、「好き」の気持ちが消えるより先にリタイアすることになるなんて信じられないと思った。
もう終わりだ、今の私の終わりだ。さよなら、さよなら。

交換してもらえたチケットホルダーから最後の一枚、夏の終わりのお祭りもぴりぴりって半券が戻ってきてあっという間。
耳の奥を突き抜ける空砲の音と日焼け止めなんて御構い無しの直射日光と一緒にこの季節も終わり。さよなら、さよなら。

大好き、だいすきだよ。
でも見失ったから。身体が動かないから。

夏が終わって、秋の風が吹くような、肌寒い時期がやっとこちらに近づいて来て、ほんとうにどこかで金木犀が咲くようなそんな日に
私はやっと、やっとの思いで池袋駅のホームに降り立つことになる。

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