唯を選び続ける


息を吐くようにツイートした

「もう炎のように生きることもないのだなと思うと」

今のわたしの全て



何を考えるでもなく意識することもなくそれでも心から浸み出したのはこれが本心だからでしかなくて以前より数段つまらない生き物になってしまった自分への侮蔑のことばだと思う

自分を、世界と向かわせればなんだって自由に言えるし全方位に殺意を向けるのも愛をばら撒くのもなんでことなくてそれが私の中の普通だしそれで良いけど

だれかひとり、なにかひとつを対象にして目を合わせると途端に自分がダメになっていってしまうのがわかる。上手く距離を取れないし募らせて拗らせていくばかりだ


私は、人間関係リセット衝動が人一倍強い人間です
それをまた、しようとしています。



ばいばい、世界。
ちいさな箱庭で、わたしという個の居場所で、高校、大学、社会人一年目と多感なわたしを受け止めてくれた愛しきひとたち

見つけてくれてありがとう
忘れないでいてくれてありがとう

果てしなく数えきれない0と1の深い底でわたしはいったい何人目の迷い子だったんだろ
それに想いを馳せることもきっと少なくなっていくんでしょう


さて、最後に
私の名前の話をします

まずは、生まれた時に授かった、正式に届け出を出さない限り変えることのできない名前

平凡な苗字。
学年に1人はいるでしょう。この苗字に私は何度も助けられたし何度も傷付けられた。
全国に何人もいる顔も知らない同じ苗字の人たち。ひとりじゃないと思わせてくれて、たくさんいるうちのひとりにしてくれる。そんな優しさを勝手に感じています。ただこれが、両親との切り離せないもの…縁だとか遺伝子だとかそういうものを嫌でも感じる鎖でもある。
もちろん、テレビに映る人にも、舞台に立つ人にも、私と同じ苗字の方はいらっしゃいます。ですが残念ながら(?)「崎山」ではありません。えーん

一方で名前は珍名です。
親族の名誉のために言っておきますがキラキラネームではありません。普通に使われる常用漢字で構成されてますちゃんと。ちゃんとって何って感じだけど。
「どこまでも真っ直ぐに育って欲しい」という願いと、なぜか生まれ故郷横浜にちなんだ?文字の組み合わせです。なぜ出生地要素を名前に入れられてんだろ私は。別に変な文字でないので良いんですけど。
あと特に珍名でもなく普通に可愛らしいお名前の妹は母方の実家のある静岡県で生まれているんですけど横浜にちなんでいるはずの文字がお揃いです。どういう事なの。生まれとかもはや関係なくなっちゃってるんですけども。ちゃんとして両親。

珍しいお名前ってニックネームがつきにくいんですよね。本名の時点でオリジナリティ?人と変わった感じがするからいらないというか、たぶんそんな理由なんだと思うんですけど。


本名で呼んでくれる人が大好きです。

ていうかすきな人に本名で呼ばれたいです。

なかなか被らないから。その人の人生の中で私と同じ名前の方が登場する確率、めちゃくちゃ低いんです。Facebookで検索したらひとりだけ苗字も名前も、漢字とその読みまで全くの同名の方がいてびっくりしたしなんだか感動して全く知らない人なのにいきなりメッセージ送って友達申請したくらいなので。
だからたぶんきっとその名前は、その人の中で私だけを指す言葉になるんですよね。

いま引きましたか?自分でも打っててキモいなと思っていたところです。ひゃー



次は中学生くらいの時、まだHNがなんの略なのかも知らなかった時代にはじめて自分で作った名前。
紗々、といいます。
チョコレートじゃねーか🍫
いまの本名にならなかったから私は紗々だった可能性があったらしいです。かわいいよね。チョコだけどね。かわいいので使ってました。チョコレートの紗々も好きだしね。おいしいよね。
本名を打ち込むのが気恥ずかしかったので夢小説の名前変換で使ってました。苗字は考えてなかったから本名?なんて言うの?戸籍上の苗字と同じやつ!使ってた気がする。

次はなんだっけ、あー、「みるくてぃ」
おねがいマイメロディくるくるシャッフルって感じのふあふあネームですね。mixiで使っていました。高校の愚痴書いて炎上しました。人生初炎上ですうける
福山雅治さんの「milk tea」という曲からとりました。とってもいい曲なので聞いてね
福山雅治さんはいわば私の人生最初の推しです。顔も知らない時に親が車でかけていたラジオの声に恋をして、親に「40過ぎてるのよ!?パパとそこまで歳変わらないのよ!?」って言われても好きでした。割と全力で結婚したかったですね。リアコの目覚めです(?)

好きな曲をいくつか挙げます
ひまわり
決してメジャーじゃないけどいちばん好きな曲。さきやまさんの「Salvia」を聞いた時に思い出したのもこの曲でした。雲ひとつない夏の日の茹だるような暑さと愛した人の思い出がはっきり浮かぶ名曲。多くは語りません。とにかく聞いて。
「squall」
公式のURL見つけられなかったけど名曲なのでみなさん知ってるでしょ(てきとう)これはspiさんがSTAY WITH MEっていうカバーアルバムの中でも歌ってらっしゃいます。みんな原曲聞いたことあるだろうしそっちを聞いてみてね。同名のファンミで物販として初めて世に出たものなのだけど関内まで物販だけ買いに行きました。妹のおつかい。大人になればこの曲みたいな恋ができるのだと初めて聞いた時に思って、いまでもこんな甘く苦しい幸せはひとつの理想形です。
最愛
福山さんが主演を務めたドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場版「容疑者Xの献身」の主題歌。(オリジナルの主題歌版は柴咲コウさんが歌ってらっしゃっていてこれは福山さんのセルフカバーです)自分の恋愛観にこれより近い曲に私はまだ出会ってません。苦しくなるからなかなか聞けない。今さっき聞きなおしてまた号泣してた。映画…というか東野圭吾さんが書かれた原作本もよろしくお願いします。私は共感し過ぎてボロボロになりました。

次は初めてツイッターで使った名前「ぐらにーた」
初めて買ったスマホ(当時はガラケーが主流でした)に付けていた名前から。本体が苺のグラニータ(イタリアのシャーベット)に似ていたので。
たくさんの思い出が詰まった名前です。当時の豆腐メンタル私と知り合ってくださった方で今でも「ぐらちゃん」と言ってくださる方もいます。なつかしー。
ツイッター家族なるものが流行っていたので作ってみたり。素敵な絵を描かれる旦那様がいました。今思うとあれは確かにリアコです。詳しくは言葉にすると余計に寂れていってしまう気がするのでここには書きませんが、相互フォローの鍵垢だけで構成されたTL、通称「箱庭」で日が昇るまで人狼ゲームなどしていました。あの時に知り合えた「おとなのおねーさん」、今思うと当時大学生だね、ヤバいな年齢追い越してしまった。わたしはこどものままいまだに心の奥からあの箱庭を取り出しては眺めて、それからまた深くに仕舞います。

(あとこれは使っていた期間と場所が極端に狭いのだけどいちおう。「kikka」 pixivのユーザーネームにしてたりしました。菊の花、きっかです。切り取っておいて酷い未練だ。ごめんなさい。私をゆるさないでね。)

そのはじめての愛着ある名前を捨て、アカウントはそのままに名前とユーザー名を変えました。新しい名前は「ありす」
出来るだけその辺にたくさんいそうな没個性の、頭の悪そうに見えて外で呼びやすい短めの名前に、という基準で決めました。長く使うつもりもなかったので安直。こんなにもつとは思いませんでしたね。
ここにいる間私はずっと苦しんで苦しんで苦しみ続けて、じぶんがめちゃくちゃになっていくのを止めようと泣き叫ぶことしかできなかった。ごうごうと音を立てて燃え盛る炎のように生きて、自分の身をも焼き尽くして燃え尽きるまで踊りました。
さきやまさんを見つけられたのもこの私でした。たくさんの幸せをありがとう。大好きです。そう何度でも言いたい。いつまでもいい続けたい。

他にもaから始まる名前はいくつか。
「as(あず)」「あんず」
構って、愛して、大事にして、私だけ見て、特別扱いして、世界中でたったひとりのお姫様にして!そんなワガママで出来たふたつ。英熟語のas soon asと、デレマスの双葉杏ちゃんからとりました。切迫してなかったし大してその気もないのに婚活は始めるのが早いほどモテるらしいとか聞いて軽い気持ちで始めたマッチングアプリなどで使っていました。この世には私じゃなくて「女子大生」と付き合いたい気持ちの悪いひとたちがたくさんいます。リアル知り合いでもないのに大学名を聞くな。ネット経由の会話しかしたことないのにいざ初対面で手を繋ごうとすな。触れるな近寄るな詮索するな。とにかく、私に触らないで。絶対に。


もうひとつ最新のもの、いまは伏せておきます。
好きなものに関連する単語で「ひとり」というニュアンスの入ったものです。
これはまあ2度目のリセットといつ終わらせられるかもわからない今後の人生への決意みたいなものです。
人はひとりでは生きていけないですし、私は特に誰か(任意の人と言うわけでなく自分が愛したくて愛されたいひとという意味)がいないと本当に何もできないのですが、それでもひとりで生きていける強さが欲しい。貯金はないし舞台も長らく行ってないけどそれでも経済的な面ではいまギリギリなんとかなっているのであとはメンタルですね。自分との戦い。
極端で馬鹿なことをしてるのは理解しているけどこれは自傷なんです。まだやめられそうにありません。どうかゆるしてください。でも試し行為はもうやめます。ただ、あなたが私を好きでなくても私があなたを好きでいてしまうことにだけは目をつぶってください。見なくていいです、応えなくていいです。ただ私はあなたを好きでいたい。


どの名前の「わたし」と出逢ってくれた人もありがとう。心から愛しています。
どの名前で呼ばれても私は幸せでした。



ひとつひとつの名前とサヨナラをしていって、脱皮を重ねていくようにここまで這いずって来ました。
おかしな事に何度殻から外に出てきても自分は蝶々にはなってないんですよね、はぁ。でもまた次こそはを信じるしかないです。死ねない限りは。


ciao, il mondo.
またどこかでお会いできたら、どうか手は振ってくださいね。何度名前が変わっても、たとえひとりでも、私は私を歌い続けるから。

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