産みの苦しみ

文章書くの得意じゃない。
すごくすごーーくにがて。上手くかけないし、今まではもちろん評価もされてこなかったし、なにより書ける時と書けない時の差がすごくて苦しくなる。

書きたがりなのに、書けない。
上手く言葉にならない。思ってること言葉にしてもいまいちはっきりしない。もやもや、もやもや、心の中で渦巻いたまま。

高校生の時、好きな漫画の二次創作小説を書いていた。すごーくすごーーくへたくそなやつ。
当時は、受容するだけじゃなくて私も何か発信しなくてはという思いに駆られて、苦しみながら書いていた。

もともと私はきっと、文字を書く人ではない。どちらかというと絵を描く人に近いのかもしれない。絵はびっくりするくらいへたくそで、画伯、って感じだけど。
頭に浮かぶものは文字じゃなくて映像だ。カラフルに色が付いていて、止まってくれなくて、生放送みたいに頭の中を流れ続けてる。
それを捕まえて上手く言葉にするのが苦手だったから、私の二次創作小説は、私の世界、仄暗い雰囲気だけが残った味の薄いものだった。

書き上げて、満足して、浸ってから、読み返して、気分が悪くなる。
伝えるためでなく発信するために書かれた文字。自分勝手で独りよがり、私を端的に表す文章。投稿のボタンを押すまでその欠点にいつも気付けない。

さらさら書いて、楽しくなって、後から見たらこんなもんかと思っちゃう。
本当に苦しいのは生み出す時よりその後かもしれない。

特に、いいものがかけた後。

私は伝えるための文を書くのはやっぱり苦手だから、何を書いても自己紹介になっちゃう。
でも時々、いい自己紹介もかけたりする。その時の熱が、そこにあるような文が書ける時がたまーにある。


私がいまいってるのは、このまえの、
触れてもらった話
のこと。


読んでもらえた、ひろめてもらった。
その先でまた、読んでもらえた。

あの日の私の心は、それだけで報われた。

なにより嬉しいのは、読んでもらえること。私は自分の文にやっぱり自信はないけれど、それでも読んでもらえたことは幸せなことだ。

泣くのをこらえながら文字を打ち続けた私は、電車の中で乗り過ごしそうになりながら書いた私は、幸せ者だ。

嬉しいのと悲しいのがごちゃ混ぜだった私は、文字にして改めて見つめる自分の気持ちに満たされた。
偉いぞ私、よく、言葉にできました。
上手じゃなくても、褒められた感情じゃなくても、書き記して、それを自分で受け入れられただけで。


だから、今は苦しい。
何も書けない気がする。書きたい思いはたくさんあるのに、上手く手が動かない。自分の感情なのに、自分で掴めない。ふわふわ、追いかけるたび、遠のく。

そうする間にも考えてることは、ぐるぐる、ぐるぐる…ずうっとぐるぐる心の中をまわり続ける。
とめどなく。捕まえられる時まで、つむじ風になって。心を乱す。苦しくなって、それでも、書かずにはいられない。


産みの苦しみがあろうとも、その先に何もなかろうと、私はきっと生涯ずっと書きたがりだ。

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