夢はド派手に
帰省してきました。
この街に戻ってきたことを、日常に帰ってきたことを、心から後悔するくらいステキな連休でした
希望休を出したわけじゃないのに金土の稼ぎどきに2連休
いろんなことが苦しくてつらくて、あぁもう何もかも放り投げられたらってどうしようもなくなった時にはもう夜行バスをとってました
遅番なのに残業しちゃって走って家に帰って慌てて荷物まとめて名古屋駅百合の噴水広場
ちょっと背伸びして買ったジャケットと大阪リリイベの時に衝動買いしたミッフィーちゃんの生首マフラーでいざ地元へ
ねえ今気づいたミッフィーちゃんの生首実家の机の上に置きっぱなしだ
冬を乗り切れないよどうすんの
はぁー
そんなこんなで愛すべき地元横浜へ
髪を切り
お友達カップルの無自覚惚気を浴び
久しぶりのみなとみらいを歩いたら
そう、ライブです。
大学のサークル時代の先輩のファーストワンマンへ
横浜のライブハウス(この表現があっているのかわからない)は初めて行くところだった
彼女はいちど大学を出て社会人になって
それから会社を辞めて
うたを歌っていきていくことを決意した人
うちのサークルには社会人になってもライブをやったりネットに歌動画をアップしたり、うたうひととしての活動を続けてる人が一定の割合でいる中で
(私の知る限りは)はじめて本業を歌にしたひと
あまりに歌唱力に優れ、しっかり者なのにどこかぬけていて、あまりに人を惹きつける。なおかつ、見目好い。
私は1度しか一緒に歌ったことはないけど本物っていうのはこういうことだって思いました。コーラスが楽なんだよねちゃんとした人がリードボーカルをやると
嘘みたいで夢見たいな時間
サークルのみんなでやじってつっこんでコーレスは周りのどのグループより全力で
でもみんながきっと羨んでた
大学生にもなって歌ってる人たちなんてそう、そんなもん
本当は歌っていたい歌って生きたいのに、社会はそれほど甘くないからそこまではしない
いまの幸せを手放したくない、飢えたくない、失敗したくない
きっとみんな20年と少しの人生の中で、音楽と生きれたらと考えたことがあった人。
もしかしたら今だってそう思ってるかもしれない人。
みんなが手放した夢を持って、ひとりきりでお客さんを集めきった彼女にどれだけ拍手を送っても足りない
手を伸ばすことがどれだけ難しいことか、全員がわかってた
遅すぎるスタート、社会の冷たい視線、見えない明日、これまでのレールの上の人生
4年制大学を卒業できる(サークルに恋愛にうつつを抜かして卒業できない人もうちのサークルにはたくさんいるけど)人は、もう知っている
このまま就職してほどほどに、みんなが目指すのは何よりも難しい「普通」
働いて、昇進して、結婚して、子供を迎えて、幸せに、普通を、理想を、掴むためにもがくのがここまでいい子でやってきた僕らの「正解」
僕たちに歌っている時間はない
どれだけ歌を愛していても
歌に愛される人間はわずか一握りで
その中でもたくさんの人に聞いてもらえるような成功を掴めるのはほんのひとさじ
自分の才能と、勇気と、親をはじめとする周りからの支援、全てを信じて飛び込むリスクと、望んだものを得られる確率はどちらが高いかなんてFラン文系の私たちにだって計算する前にわかったことだ
いまのこの時代を生きる子どもに、夢をみる権利などないのだと思う
夢らしい夢をみられない
親の言うように医者になり弁護士になり教師になり公務員になれば、資格があって手に職つければそれが幸せなんだといわれて育つなら
うたって生きたいと思う心は育たず枯れる
私は共感性と感受性がバグってるから彼女の歌を聴いてぼろぼろ涙をこぼし大きすぎる感情に心がうねりそうして思った、
「私も、この人のように自分の役割を知って自分のやりたいことをして生きていきたい!」
枯れた植木鉢に溢れ出るほどの涙
潤された土からは、
何も芽生えなかった。
そうだ私のやりたいことなんて、夢なんて
ほんの幼い、ランドセルを背負う頃にはもう刈り取られて根も残っていないんだった
どれだけ何かに誰かに心動かされても私のやりたいことはもうわからない
夢なんて見つからない、今さら夢を見ろと言われる方がくるしい
もう私には何も残ってない
夢を見る心ごと幼い私のところに置いてきた
わたしは空っぽだからこんなにもいろんな人にものに心のあったところを染められるんだと思う
夢を持つ人に、夢を追いかける人に、夢を追いかけたことのある人に、怖いくらいに惹かれて焦がれて、そうして自滅する。自分の失った物を抱いて輝く人に上手な好意を向けられない。自分のこの愛の異様さを自分で認められない。
MCでその人が言っていた、
「働く意味も生きる意味もわからないけど、君の歌を聴いて応援したいと思った、それが自分の生きる意味だと思いたい、といわれたのが心に残っている」
という言葉に驚かされた
そんなにも重い感情を、他人の生きる意味を自分のうたに乗っけられてそのまま歌えるものなのか
それが、ステージに立つ側ってことなのか。
それなら私はもう歌う人なんかじゃない
こうして文字を打ち続けることも私の生きる理由でも価値でも意味でもなんともない
ある日突然誰かに意識を乗っ取られてもきっと変わらない私
何も宿らない植木鉢に涙で濡れた土の重みだけが残っている。それだけが自分の持っている全てで、全部ひっくり返して頭を突っ込んでわんわん声を上げて泣きたくなる。汚い自分の泣き声だけが耳に反響して頭が痛くなって、ひとしきり泣いたらそのまま淵から落ちたい。風だけを感じて。真っ暗な視界のまま。
最愛の推しにしがみつくのを辞めたいま、働く理由も生きる理由もなく、でも誰かにそれを預けられるほど器用じゃない。
存在がどこかにかき消えてしまえばいいと嘆くのに全身が私を忘れないでと叫ぶこの矛盾を私は許せない
ひそかにでも夢を見られない自分を大切にできるほど優しくもない
着地点を見失ったから終わり
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