泣かない私であるために
大人になるって、どういうことなのか
わからないから私はまだきっと子供のままだ。
お酒飲んでいい、煙草も吸っていい、選挙権もある、世間的には、書類上は成人で、大人なはずだ。
けど私はまだまだ子供のままでここにいる。
きっとまわりの人から見れば些細なことで、いちいち心が揺れ動く。喜んで悲しんで不安になって怒って、浮かれてネットの海で暴れまわって大声で自分を叫ばずにはいられない。
そーいうとこ、子供っていうんだよ。
自分が子供なのはわかる。
ネットで知り合った大人はみんな「感受性が豊かだから」「多感な年頃ね」とかるーくあしらってくれるけど、優しくしてくれるけど、いつまでも子供でいられる?
きっとそんなことない。
気持ちを、感情を、抑えることは
きっと大人には必要不可欠。
信じて、純粋に、単純に、性善説に立って考えることは
きっと大人には出来ないことだ。
子供の自分の考えは甘い。
私はもう直ぐ社会人になる。
嫌がったって、その時は来る。
面接でよく聞かれる質問がある。
「あなたにとって『働く』とはどういうことですか。」
「やっと社会に参加できる、ということだと思っております。大学生になり、成人しても、私はまだ学生という立場です。お小遣い稼ぎのアルバイトでは完全な社会貢献はできません。それに私は現在も実家暮らしですので、家に帰れば暖かいご飯ができている、という状況が当たり前になっています。こういった、周りの大人たちに守られ子供として過ごしていた状況を、社会人として仕事をすることで『ようやく社会の一員となる』ように変えていけると考えております。」
大人に、なれない。
まだなれない。
子供でありたい。
やりたいことがたくさんあった。
籠にとらわれ監視されたままの不自由な、けれど自分の時間を自分の好きに生きられる自由はあとほんの数ヶ月で消え去ってしまう。
大学生になって、生まれてはじめて授業をさぼった日、学食でアイスを食べた。
甘くて、美味しくて、いつもと違う味だった。
あれは、不自由な自由の味だったと今になってようやく気付く。
馬鹿みたいに、騒いで!はしゃいで!大声で!私はここにいると、私の好きなものはこれだと、叫べる幸せ。
子供だから、何の責任もない子供の言うことだから、許された生き方。
思い通りにならなければ泣いて悔しがってよかった。
なにか良いことがあれば飛び上がって笑って周りに言いふらしたってよかった。
何も隠さない、心のままに、感情のままに、思うことすべて表せるのは
私が子供だから。
辛いこと、理不尽なことばかりな社会だと思う。学生のうちからそうだったのだから、本当に社会に出ればそれはもう今の私には想像もつかない苦労が待ち受けているんだろう。
苦しい時、悲しい時、決して泣いてはいけない。
泣いては不利になるだけだとわかる。幼稚園児の喧嘩じゃないもの。
弱いと、思わせたらつけ入られてしまう。
そういうひとは、意外とたくさんいる。
女だから、若いから、学歴もない、特筆するような才能もない。
そんなひとたちが、まず虐められる。
それでも声をあげて、正しいことは正しいんだと、力に、強さに流されず自分を持って、自分の意見を臆せず伝える。
そういう奴から、叩かれていく。
抑えなくては。
うまくこの海を渡りきるには。
素直さなんて、誰も求めていないのに。
純度の高い気持ちは、強いけど脆い。
このままでは欠けて、割れて、そのうち私は粉々の、もう見えなくなってしまったひと粒になる。
だからもう卒業だ。
社会に出るのとおんなじに、子供を卒業しなきゃいけない。そうでないと苦しむのは自分だと、自分でわかるくらいの頭は私にもあった。
だから、泣かない。
高校一年生の私が決めたことだった。
悲しくて、抑えきれなくなって、部活中に泣いたことがあった。
このままじゃ、いつまでたっても一曲も完成させられないよ。みんなが暇な日に合わせて練習日決めたよね、一度や二度来れなかったくらいで怒るのは良くないって、練習して待ってたのに。電車の中とか家とか、楽譜開いて個人練もしたのに。私は毎回練習してたからもう楽譜も指板も見ないで前向いて弾きながら歌えるよ。それなのにそんな、
言えなくて泣いた。そんなこと言えなくて泣いた。
うわ、こいつ、泣いたよ。とりあえずなぐさめるポーズ取っとくか。 「……大丈夫?」
声が聞こえた気がした。
泣かないって決めた。
あの時の私の気持ちが正しかったのか、間違っていたのかは今もわからない。
でも、泣いたのは良くなかった。
おとなはなかない。
私の周りにいた年上の人たち、あまり大人と呼びたくない人たちは、みんなよく怒りよく泣いた。どこから出てるのってくらい大きな声が出る。恐ろしかった。
私もそう遠くない未来でそうなることが。
マイナスの感情を表すことは、周りをひどく不安に不快にさせる。プラスの感情だって誰かを不安に不快に不幸にしたりもする。
だからマイナスを無くして、プラスも抑えて、穏やかに、慎ましやかに。
面白さのかけらもない社会のパーツの1つに、大人に、なっていかなくちゃ。子供のまま取り残される前に。浮かないように、言葉や行動で深く立ち上がれないほど刺されないように。
泣かないようにすることは私にとって難しいことだった。
もともと全く笑わない笑えない子供だったから、プラスを抑えるのは簡単。テンションが上がったらすぐ別のことを考えれば良い。
でも泣かないように、は? どうしたらできるんだろう。抑えて、殺して、見ないように聞こえないように。思考の波から溺れる前に顔を出して馬鹿みたいな顔でおどけられるよう。
結局は時間だった。
私はうまい解決策も探せないまま、高校を卒業して、大学生になって、ああもうすぐ3年生だなぁって。
ミュージカル刀剣乱舞とであうまで。
私の涙腺はもう堅く動かなくなって、役目を終えたんだと思ってた。泣くのは良くないことだから、感情を表に出して良いことなんてないから。
まさか、と思うとは思うがここまでがプロローグだ。ここからが書きたかったことだ。
ミュージカル刀剣乱舞は私に泣き場所をくれた。
劇場の中は暗く、あたりはみんな人で埋め尽くされているのに、舞台の上にしか「誰か」はいない。客席はないのと同じだ。
でも客席はぎゅうぎゅうで、みんな泣いたり笑ったり、とても自由だ。好きな時に、感じたように、感情が溢れでる。隣の人が息を吸って吐く音も全部聞こえた。
1人で泣いて笑えるのに、1人じゃない。
そんな不思議な場所は他にはない。
泣くのをやめていた反動がきたのか、壊れてしまったかと思うくらい涙が出た。
綺麗なお洋服、ハイブランドのバッグ、あの人は関西の訛りだから遠征の人だ、メイクが綺麗、なんだかあの子は高校生みたい、痛バに大量の缶バッジ、あの靴かわいい!、あのひと今日でみるのは4回目なの!?
いろんな人がいた。
みんな、泣いて笑って、キャーキャー声をあげていた。幸せな空気があの空間全部にぎゅぎゅっと詰まって満ち溢れて、それでも収まりきらなかった分はまだ寒い春の夜にとろけて流れ出していった。
大人も、私と同い年くらいの子も、たぶん私より年下だなって子も。
あー、いいんだな。
許されるんだな、これ。
こんな幸せでいいんだな、そっか。
こんな素敵なの、はまっちゃうわけです。
何度も見たくなっちゃいます。
劇場で私はまた何度も何度も、泣いて笑って大忙し。感情の流れが追いつかなくてとにかく眩しくて、きらきら。
周りに何か言われても、お金ないって慌てても、
もうすぐやってくるいつかのために大人にならなきゃいけなくても
好きでいていいんだなー。ここにきて、ぼろぼろ泣いたって、大丈夫なんだなー。
息苦しいときに、答えをくれるんだなー。いつだって。
赦された。
泣かない私であるために、
泣きに行くためにチケット取って、ちょっと甘いもの我慢してみたり、スキンケアちゃんとしちゃったりして、洋服選んで、靴もバッグも、前日はトリートメントして早寝しちゃうとか、髪巻いて気合入ったメイクしちゃって、劇場まで。
前に進んでく日常で泣かないように、なんでもないある日の非日常で泣きにいく。
ミュージカル『刀剣乱舞』 ~結びの響き、始まりの音~
はじめてのライブビューイングにひとりで行ってきました。
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