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インドに住む88歳のラストサムライ

GW中に衝撃を受けた本と出会った。

佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)
1935年岡山県生まれ。25歳の時、高尾山薬王院にて得度。1965年、タイに渡り、その後インドに入る。1967年、龍樹菩薩の霊告により、B・R・アンベードカル博士由縁の地、ナグプールに赴く。以来、アンベードカル博士の仏教復興運動を継承し、現地の仏教徒を導く。1988年、百万人の市民の署名によりインド国籍を取得。およそ1.5億人とも言われるインド仏教徒の最高指導者。

佐々井秀嶺 プロフィール

佐々井秀嶺氏を知ったのは、前述した「小野龍光」氏の取材記事を通じて。

小野氏も佐々井氏を知ったのが「世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う」を通して。読んだ時に衝撃を受け、インドに旅した時に佐々井氏にお会いしたいと願い実現したそう(その後、佐々井秀嶺氏が小野氏の師匠となる)

「小野と申します。白石さん、ご本、読ませていただきました」
「ありがとうございます。小野さんは今、何をされているんですか?」
「坊主です。まだ数か月の新人ですが」
「ああ、ご実家はお寺ですか?」
「いいえ、跡取りとかではなく、前世はITベンチャーの投資やCEOをしていました」
「前世?」
「はい。数か月前までの人生は、もう全て前世なんです」
「……ええと、何でITの方が坊主に?」
「インドを旅する前に、白石さんの本を読んで衝撃を受けて、佐々井さんにお会いしたら『坊主になれ!』というので、頭を丸めて帰国しました」

文春オンライン

簡単に佐々井氏のことをまとめると

・幼少期の怪我がきっかけで体が思うように動かなくなり生きる意欲をなくす。また、女性関係で苦しむ内容も相乗し、多数の自殺未遂を起こす。
・出家し色欲から脱却しよかけていたが、修行先のタイで女性関係でトラブルが起きピストルで撃たれかける。その後、ここにいてはダメだと導きに従いインドに渡る。
・ヒンドゥー教のカースト差別に苦しむ人々を仏教に改宗させ、宗教的な抑圧から解放する人権運動に従事。同時に、少数派である仏教徒の人権擁護にも取り組み、仏教の再興を志してきた。
・石を投げられたり馬鹿にされたりしながらも布教活動だけでなく住む人たちのために炊き出しや地域貢献活動を行う。民衆からだんだんと受け入れられてくる。
・長年にわたるこれらの活動が認められ、2003年にはおよそ1億人いるとされるインドの全仏教徒の代表として、政府が組織する少数者委員会の委員に抜擢された。この委員は政府の副大臣に相当する要職。
・ヒンドゥー教を始めとした他教や面白く思わない政治家、役職を奪いたい同門の仏教徒僧侶から何度も暗殺されかける(現在進行形)
・暗殺の危険と隣り合わせなのに関わらず現在も鍵もついていない古びた小さな部屋で他の僧たちと暮らす
・インドの首相や政治家たちからも存在は認知されており尊敬されている、一方で疎ましく思っている連中も多数いる
・インド政府からインド国籍を与えられたがその前に国籍取得を阻む者たちもおり、国外退去命令に背き牢獄に入れられた。その事を知ったインド人仏教徒たち50人ぐらいが警察に乗り込み猛抗議した。暴動になると驚いた警察が釈放。釈放後に地元紙が一面にその様子を掲載したところ、仏教徒の弁護士たちが大抗議を始め、10万人規模の抗議集会を開催。その後、無事国籍取得。

仏教は元々インド発祥にも関わらず、現在はヒンドゥー教が主流となっており、仏教徒は差別されていた。政治にも利用されているのは垣間見えるが、過激ヒンドゥー派もおり、元々仏教徒の修行場所や遺跡跡などもヒンドゥー過激派が占拠したり勝手に立て替えたりしているそう。

そうした状況を食い止めるべく、佐々井氏は私財を投げ打って仏教徒にとって重要なエリアの土地を買い占め、遺跡や建造物の発掘を進めている。だが、国を通して正式に入手しているのに、歴史的建造物などがでてくることで政治的に困る国会議員や他教によって妨害され、発掘が遅々として進まず、長年戦っている。

こんなエピソードも。

日本ではお釈迦様の誕生日である4月8日を花祭りと言って祝うが、インドでは5月の満月の晩、その日をホーリーマンと呼んで祝福する。
長年、仏教の聖地を他教の占領から取り戻すべく数万人規模のデモ活動を行っていた佐々井氏だが、この5月の満月の晩に世界平和を願って佐々井氏と仏教徒たちの座り込みを行った。翌日の新聞の一面には、この座り込み活動の写真とインド政府が地下核実験を行ったという二つの相反するニュースが並べて掲載された。佐々井氏はこの記事を見て腹わたが煮えくり返った。戦争体験者でもあり、日本に落ちた原子爆弾の悲惨さを理解しており、ましてや世界平和を願っているところになぜ核兵器を開発するのだと激怒した。

ここからの行動がすごい。

佐々井氏は首相官邸に乗り込んで抗議すると決めたのだ。各地域にいる他の僧と信者もぞくぞくと首都デリーに集まり、最終的には5000人規模のデモ隊となった。佐々井氏は仏像とともにトラックの荷台に仁王立ちしながら首相に一言物申すと息巻いていた。

目的地に辿りつく前に数百人の機動隊に囲まれる。全員が銃を一斉に構えている。「抵抗すると撃つぞ!」そう言われても佐々井氏はひるまない。武士らしく死ぬ覚悟だ。行け、撃つなら撃て!と息巻いて進み続ける。

想像してみてほしい、東京のど真ん中で袈裟をきた数千人の坊主集団が仏像と共に首相官邸を目指していたら一大ニュースになるだろう。

佐々井氏は拡声器を使ってありったけの声で叫んだ。
「バカ首相、でてこーい!」
後にも先にも日本人がインドの首相をバカ呼ばわりする人は佐々井氏以降現れないと思った。

何重もの機動隊のバリゲートができていたが、抗議を続けていると、ぱかっとバリケード開いた。その間から警察の特別車が佐々井氏の前までやってきて国会まで連れていくと言われる。結果首相は不在(ということにしたのだろう)だったが、核反対の嘆願書を渡してこのデモは一旦収束した。殺されてもおかしくない状況で無事に国会を後にして戻ってきた佐々井氏を他の僧や信者たちは大歓声をあげて出迎えた。

翌日からメディアではこの抗議活動が連日取り上げられ、一般市民にも特大のインパクトを与えた。

著書にはさらなる詳細、他にもたくさんの考えさせられるエピソードが多々あるので気になる方はぜひ手にとって読んでほしい。


読了して感じたのが、佐々井氏が本気でインド民衆のために、志をたてて、死を覚悟しながらも活動しているところだ。本書の中で何度も「日本男児たるもの」という言葉が出てくるが僕は佐々井氏こそ、「武士道とは死ぬこととみつけたり」を体現しているラストサムライだと思った。

読んでいる最中に何度も涙が出てきたことも久しぶりだった。自分自身、佐々井氏ほどでないにしろ社会のために貢献できるような生き方をしたい。1人で熱くなって顔が浮かんだ何人かの大学生たちにこの本を強く勧めた。


追伸
これだけ見ると佐々井氏は徳の高い(実際高いのだが)厳しい方のように思うかもしれませんが、明るくてお茶目で下ネタなんかも普通に言う愛らしい僧侶らしい(著者の白石さんもそう綴っている)。確かにこんなチャーミングな笑顔な方はなかなかいない!

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