spica.7 声には出さない



「いいよ」

って言いながら良くなかったこと。


「大丈夫」

って言いながら、大丈夫じゃなかったこと。



そういう記憶は忘れないし、きっと簡単には忘れられない。




以前久しぶりに高校時代の友人とmixiを開いて、当時の日記や写真を爆笑しながら見ていた時に、なぜ大学以降と高校までとで友人との付き合い方にうっすらと変化があるような、濃度が薄くなったような気がするのはどうしてだろうと考えたことがある。


小学校~高校までにお互いがお互いの変化にあれだけ機微だったのは、結局のところ「毎日同じ領域に存在する必要があった」ということに起因していて、嘘も偽りも確かに感じていなかったけれど、何時もそばにいない分、今は確実にそれぞれの優先順位は下がってしまって、何かが足りないような、でも一緒にいたいような、そんな境界線をうろうろしている。



悲しいような、けれど仕方のないことのような。



自分だって、あの頃より友人たちのことを一番にずっと考えられているわけではないくせに、自分のことをもっと考えて、なんて、虫が良すぎる。

そう思う。




綺麗な月を見ながら、大好きな人たちの顔を思い出す。

笑った顔と泣いた顔、真剣な顔、怒った顔。

その人の顔の種類を知っていれば知っているだけ、大好きの量も大きい気がする。




弱音は吐いてほしいけど、自分の弱音は吐けない、なんて、実はすごくぜいたくな悩みなのかもしれない。






〈了〉








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