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「たった一つの願いごと」

「言っておくけどね、別に予定がなかったわけじゃないから!」

世の中がクリスマスに浮かれている中、人もまばらな下り列車に揺られつつ、果歩はつっけんどんに言い放った。

実際、別に予定はなかった。

「わかったわかった、悪かったよ付き合わせて。」

隣に座る遼太がさも面倒臭そうに携帯をいじりながら返答する。そういうことにしといてやるよ、とでも言わんばかりの横顔が、また殊更に腹が立つ。
果歩は遼太を視界に入れないように、ぷいっ、とそっぽを向いた。

果歩と遼太は家が隣同士の幼なじみだ。

幼稚園に入園する、というタイミングで果歩の家が引っ越してきて、偶然隣の家の子どもと歳が同じだったことから、家族ぐるみの付き合いになった。

それから高校生の今に至るまで、果歩と遼太はありとあらゆる思春期を一緒に経験してきたと言って良い。

下り列車は閑散としていた。
そりゃあそうだ、今日、クリスマスなのに。イルミネーションやお洒落な街とは真逆の方向に進むのなんて、よっぽど奇特なやつぐらいだ。

隣のでくのぼうとか!

と、心の中で思いつく限りの悪態をついて、果歩はちらり、と、横目で遼太をうかがうように見た。

相変わらず、何が面白いんだか、携帯ゲームに夢中になっているその少年は、昔のあどけない、はにかみやの面影はどこへやら、いつのまにか、スラリとした高校生男子になっていた。

ーーー昔はあたしの方が身長大きかったのに。

ある朝、おはよう、と声をかけた遼太の視線が、随分上にあることに気づいてしまった日のことを、果歩は今でも覚えていた。
ずっと同じように並んでいた肩が自分よりも高い位置にあって、男子の中では細身のはずの遼太なのに、果歩よりよほどがっしりとした肩幅の存在は、突然過ぎて果歩を動揺させた。

幼稚園から高校まで、奇跡的に同じ学歴のまま進んでこられたけれど、次の大学受験はどうなるかわからない。
こいつ、いつからこんなに頭良くなったんだ?と、果歩はまるで知らない男の子の隣にいるような気分で、遼太を眺めながら違和感ばかり数えていた。

「何じろじろ見てんだよ。」

あまりにも果歩がしつこく眺めてくるので、さすがに気になったのか、遼太がようやく携帯から顔をあげた。

「別に。昔は可愛かったのになーって思ってただけですー。」

「まあ昔の俺はめちゃくちゃ可愛かったからな。」

否定しないのかよ!と、思いながら、けれど本当のことだったので、果歩はうんうんと頷いた。

「ね!可愛かったよね!女の子みたいだった!」

「お前は男みたいだったな。」

「ミニバスやってたから髪短かったしねー。お兄ちゃんともよく遊んでたし。」

「すげー進化したな。見た目だけでも女になってよかったわ。」

こうやって憎まれ口ばかり叩いて、10年以上一緒にいる。果歩のベリーショートだった髪はこの2年で伸びて伸びて、胸元まである。
男子同士の会話の中で、『髪はロングかショートか』の話をしていた時に、遼太がロング、と答えてから、何だか髪を切れなくなった。そんなことは口が裂けても言えないけれど、今の果歩にとっての遼太は、小さい頃の"だいすき"とはまた違う感情でそこにあって、この気持ちをどうすればいいのかわからなかった。

何よりも怖いのは、今の関係が壊れることだ。

『幼なじみって憧れる』

友だちにそう言われる度に、果歩の心の中にもやもやとした何かが渦を巻いた。
誰もそんなことは言っていないのに、『遼太と幼なじみって憧れる』に、聞こえてしまう。
贔屓目に見ても、遼太はイケメンの部類だった。

かくいう自分はというと、どこにでもいる平々凡々な顔の女子高生だ。輪郭が丸いのを何とか髪型で隠しているけれど、もっとしゅっとした、綺麗な女の子だったらなあと思わずにはいられない。

あたしが、好きだ、なんて言ったら、遼太はなんて言うだろう。

何度もシミュレーションした光景を、果歩はもう一度再生した。もし、オーケーだった場合、世界はきっとバラ色だ。朝だって何の苦もなく起きられるし、嫌いなしいたけだってちゃんと食べるようにする。

でも、ダメだったら?
もしくは、付き合ったあとに振られたら?

全然だめだ。
もう、遼太と一緒にいられないなんて、考えるだけで涙が出そうになる。そんな世界になるくらいなら、今のままでいい。ずうっといい。

果歩は、父親と兄と三人で暮らしていた。
物心つく前だったから、あまり記憶に残っていないけれど、果歩の母親は病気でなくなっているらしい。
覚えていないから、正直に言うと、あまり悲しくない。
けれどもしお母さんがいたら、こんな時どうだっただろう、と、考えることはある。

ーーー応援してくれたりするのだろうか。

ぼんやりと、母親の面影を記憶の奥から引きずり出そうとしたけれど、情報が無さすぎて何も思い出せなかった。

「おい、ついたぞ。」

遼太が一人で立ち上がるので、果歩は慌てて後について席を立った。
正直、どこに行くのかもさっぱりだったので、果歩は駅名の書いた看板を見て、首をかしげた。

「川越?」

看板にはそう書いてあった。

なんで、何が楽しくて、クリスマスに川越来てるの!

と、もはや突っ込む元気もなくて、何も言わずに遼太について歩いていった。

「ねえ、もういい加減に教えてよー。今日何しに来たのー。」

「うるせえな。お前今日暇だって言ったろ」

「はあ?暇なんて一言も言ってないでしょ!」

「空いてるか聞いたら、空いてるっつったろ」

「"一応"あいてるっていったの!!」

「一緒じゃねーか」

「一緒じゃないですー!ニュアンスの差ですー!」

こんなに可愛くなれない女子が、世の中にいるんだろうか。
我ながらホント、残念なやつだ。

と、果歩は喚きながら思った。

本当は、もっと可愛くなりたい。

クリスマス空いてる?の返事も、
もちろん空いてる、会えるの嬉しい!

って、きらきら笑って言いたい。

なんで、嬉しいことを嬉しい、って言うことが、こんなに難しいんだろう。

「ほら、ついた。」

え?と、顔を上げると、小さな路地の中に、たくさんのお店がひしめき合っていた。石畳の、小さな京都のようなその路地は、香ばしいお醤油の匂いと、暖かい熱気に包まれていた。

「何、ここ!」

興奮しながら振り向くと、遼太が携帯を見ながら答えた。

「駄菓子屋横丁」

「それなに!」

「なんか駄菓子屋が狭い路地にたくさんあるとこーーーおい、聞いてんのか、勝手に走るな」

「たこせんだって!えびせんにたこ焼きはさんであるー!めっちゃ美味しそう!」

「わかったよ、落ち着けよ…」

たこせんを買っている間に、遼太が可笑しそうに笑っていたことを、果歩は気づかずにいた。

路地は思ったよりずっと短かったけれど、それでもテンションを上げるには十分だった。焼きたてのせんべいや、綺麗な金平糖や、持ち帰るのが大変だからやめろ、と、遼太に止められたけれど無理やり買った世界一長いふがしを、買っては食べ、食べては買って、この不可思議なクリスマスへの違和感を、いつのまにか、果歩はすっかり忘れていた。

路地と少し離れたところに、たこ焼き屋さんがあった。

「お前、たこ焼き食う?」

「食べる!」

「買ってくるから、お前ここで待ってろ。」

たこ焼きの露店から少し離れた椅子に座り、遼太の後ろ姿を見送った。スラリと伸びた背は、また少し、高くなった気がする。
何これ、デートみたいーーー。

でも、デートではない。

果歩は、はあ、と、大きなため息をついた。
あいつ、なんでわざわざここまで来たのよ。

「あの、」

と、突然呼び止められた声に、果歩は驚いて顔をあげた。年配の綺麗な女性が、こちらを見て心配そうな顔を向けている。

「違ったら、ごめんなさいね。このハンカチ、あなたの落し物かなあって。」

見ると、彼女の手には果歩のハンカチが握られていた。

「わ、それ、私のです!すみません。ありがとうございます!」

母親の、唯一形見のハンカチだった。
綺麗な桜が刺繍されたそのハンカチは、ここぞという時の、果歩のお守りだった。

「よかったー!これ、すごく大事にしてるやつで。拾っていただいて、ありがとうございます。」

「ーーーーどうした?」

たこ焼きを持った遼太が、少し慌てて、そして怒ったような顔で、ベンチに戻ってきた。

「あ、これ。落し物拾ってくれたの、この人。」

本当に助かったー、と、喜んでいる横で、遼太は気づかれないように安堵した。

「すみません、ありがとうございました。」

遼太が声をかけると、少しだけ気まずそうに、その女性は、いえ、と言って、

「それじゃあ、楽しんでね。」

と、果歩を見て微笑むと、去っていった。

「何あの人、めっちゃいい人ー!よかったー。それにしても、なんであんな焦って戻ってきたのよ。」

「ーーーたこ焼き冷めると思ったんだよ。」

「はあ?」

「ーーーあと、お前がまたなんかやらかしたんじゃねーかと思ってな」

このトラブルメーカーが、と、悪態をつく遼太の頭を叩きながら、果歩はそれでも、遼太とここに来れたことを、お母さんがいたらなんて言うだろう。と、こっそりハンカチを握り締めた。

「お母さんがいたらあんな感じかなぁ。」

「なにが?」

「さっきハンカチ拾ってくれた人。すごい綺麗だったー」

「だとしたら、娘がこんな野蛮なのおかしいだろ」

「なによ!例えばの話でしょー!」

ーーーーーーーーーーーーー

帰りの電車で、案の定果歩は寝た。

「だから嫌だったんだよ、こんな長いふがし買うのー…。」

やっぱり俺が持つことになるのか、と、遼太はこれみよがしにため息をついた。これを買った当の本人はしあわせそうな寝息をたてている。

遼太の携帯がブルブルと振動した。

『今日は本当にありがとうございました。』

メールを見ながら、遼太は数日前に、家の前でばったりと出会った、メールの送り主のことを思い出していた。
今考えても、果歩より先に自分が、あの人に会って本当によかった、と、それだけは神様に感謝している。

遼太ですらそれまで知らなかったこと、そして、果歩が未だに知らないこととして、ひとつだけ果歩の家には秘密があった。

果歩の母親は生きていた。

写真もなければお墓参りにも行かないことを、果歩の父親は、写真は処分してしまった、とか、お墓は遠いから、と言う理由で果歩に説明していた。
遼太も、別にそれを疑うこともなかったし、果歩の家はそれなりに上手くやっていたので、特に心配することもなかった。

ーーーあの人に会うまでは。

学校からいつもより少しだけ早く帰宅して、遼太は、家の前をうろついている女の人と出会った。

「何か用ですか?」

インターホンを押すのを何度もためらう姿に、業を煮やして声をかけた。

その人は、果歩の母親だった。

果歩の母親は、果歩をおいて、新しい家庭を持っていた。その説明を聞いたとき、そして、果歩とその兄にのこのこ会いに来たその女性に対し、遼太は少なからず苛立った。

果歩たちの母親は死んだことになっていること、これ以上果歩の迷惑になるようなことはしないでほしいこと、を、なるべく感情的にならないように話した。

話しながら、けれど、この一件を自分で決めてしまっていいものか、という少しの不安がよぎった。

果歩のためだと思う。
俺自身は、そう思う。

でも、果歩なら、どうしたいだろう。

ーーーとりあえず、連絡先を交換した。

「お前、お母さんに会いたいとか思ったりするの?」

気づかれないように、なんの興味もなさそうに、さりげなくそう聞いた。

「えー、どうだろう?たまにあるかなあー」

でも、写真も見たことないから、お母さんだってわからないかも、と、果歩は言った。

それなら、と、思った。

『あなたの住んでいる土地の、出来るだけ近くの観光地に行きます。そこで、遠目でよければ、果歩が今どうなってるか確認してください。』

念の為に、声はかけないでください、と、つけた。

たこ焼きを買いながら、ふと果歩の方を見て、二人が話していたときは本当に焦った。

余計なことだけは言わないでくれ、と、それだけを祈ってベンチに戻った。

ーーーー何も知らずに平和ボケした顔で寝やがって。

メールは、今日の感謝と、果歩の成長を喜ぶ言葉と、そして最後に

『あなたのような人が、果歩のそばにいてくれていることに、安心しました。』

と、綴られていた。

当たり前だ。今までもこれからも、果歩のそばにずっといるつもりだ。

ーーーでも、この鈍感女にどうやって伝えたらいいのか。

はあ、と、またひとつため息をついて遼太が視線を上げると、窓の外を白い粒が横切った。

少しずつ量を増して、白さは街の頭上にきらきらと降り注いだ。

「クリスマスに誘ってもなんにも思わない奴がいるかね。」

少しずつ白さが深くなる街並みを横目に、もう一度隣で眠る果歩を眺めて、遼太は起こさないように気をつけながら、小さく笑った。

〈了〉

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