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「ガールズトークのススメ」

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

大抵の人間が一度は耳にする有名な書き出しが妙に気になったのはいつだろう。

慌てて開いた現代語訳の先を目で追えば、結果として書かれていたのは「ではなぜ人にこれだけの差があるのだ。」というような続きだった。

小さい頃から祖父の書斎にある本を片っ端から読んでいたが、その中で一番、本を読みながら考えさせられた。

そして気づく。

「人が人の上に人を置き、人の下に人を置く」

パズルのように単語を入れ替えながらようやくこの言葉に出会えたとき、納得のいくひとつの答えが、小さな手のひらにのせられたような気がした。

ーーー*ーーー*ーーー

「さーやかっ」

待ち合わせには早くついたので、改札の前で携帯をいじっていると、髪を綺麗に結い上げ、茶色のチェスターコートを着たあんなが近づいてきた。峯崎杏奈とは高2で同じクラスになり、その女子力の高そうな見た目とは裏腹に、サバサバした性格が心地よくて、自然とつるむようになった。

「あんたそれ寒くないの、足。生足?」

「やだなぁ、ストッキングだよ~さすがに。」

おどけてみせる色の白い小さな顔に、大きな、茶色がかった瞳がこちらを覗く。他人だったとしても視界に入れば目で追ってしまうであろう、恵まれた容姿だ。

「冬まで肌出してないと我慢ならないみたいな感じだから心配で。」

「冷えは女の敵です~」

今日寒すぎて腹巻してきたもん、と、服を捲ろうとするので、いや公共の場だから、と、窘める。

「よかった~、さやかなら突っ込んでくれると思った~」

「そのブリっ子喋りをやめろ、猫かぶり」

「なんのことかな~?ーーーね!てゆかさ、2Eクリスマス会、どうする?さやか行く?果歩は行けない…っていうか、行かないじゃん、たぶん」

「あー、何か高橋たちが後ろの黒板に名簿貼ってたね。私まだ出欠書いてないや」

「どうしよっかなー。仲いい子だけなら俄然行きたいけど。座った席によっては当たり外れありそうだしなー」

「あんたそれ教室で言わない方がいいよ、信者が泣き出すから」

「信者ならありのままの私を愛して欲しいけどねー。ありのーままのー…」

「わかった、わかったから公共の場で歌い出さないで。」

くだらない会話のおかげで、ようやくこの雑踏の中に自分の輪郭ができたような気がしてほっとする。

「ごめんー!遅くなったー!!!」

これだけの人の中でも、果歩の声はすぐ耳に届いた。駅の時計をちらりと見ると、待ち合わせの10時から2分過ぎたところだった。

「なんだ、早いほうじゃん」

「よく起きられたね~」

「ごめんってばー!毎度、本っ当にすみません!」

「まったく誰のためにこんな、クリスマスムードが致死量の街中に買い物行く羽目になったんだか」

「そうそう。いーなー果歩はー、らぶらぶクリスマスでさ~」

私とあんなで茶化すように言うと、果歩が耳を真っ赤にしながら、ちがうってば!と、慌て出す。

「何っ回も言ったと思うけど、そういうのじゃないの!」

「じゃあどういうのよ~?」

あんながまだ楽しそうに果歩を追求していて止めるのが勿体なかったけれど、どうする?早速お店見に行く?と、促した。さすがにこんな馬鹿なことばかりずっと続けていたら今日の用事が終わらなそうだ。

「どこから行く?とりあえずルミネの上、上がっちゃおうか」

「そだね。2人とも、今日は正直な感想お願いね!情けはいらないから!似合うか、似合わないか!気合い入りすぎか、ちょうどいいか!それだけでいいから!」

「まっかせといて。丸顔活かせる服選んであげるからさ」

「あんちゃん、そんなことばっかり言ってると来世で絶対丸顔に生まれるからね、その時にあたしの気持ちわかるよっ」

「果歩は果歩で可愛いんだから、気にすることないのにな~丸顔ぐらい」

「ぐらいって言うなー!」

「丸顔ぐらいいいじゃん。ほら行くよ」

「さやちゃんまで!」

裏切り者ー!と、後ろで果歩の声がする。
横にいるあんなと見計らったように目が合って、どちらからともなく吹き出した。

三人でくだらないことを、何の脈絡もない応酬を、こうして続けられることが幸せだ。とても贅沢だな、と、思う。

そして、それが永遠に続かないことも理解している。クリスマスが過ぎて、年が明けてしまえばすぐに三学期だ。

その次はクラス替えが待っている。

自分が居心地の良い場所を持っていることへの安堵と、それが永遠ではないことの不安は、ある日突然、同じだけの量で自分の上に降ってきた。
この冬が終わらなければいいのに、と、タイムリミットが近づくにつれて焦りだした脳みそが、二人のいない未来を想像させて、何度も警告してくる。

寂しい。
悲しい。
ずっとこのままがいい。

ーーー私だけなのかもしれないけれど。

ーーー*ーーー*ーーー

あたたかい布団から出るのが名残惜しいけれど、胸のうちに光が灯ったみたいにわくわくする。

峯崎杏奈は目覚めた布団の中でもぞもぞと体を丸めた。今日はさやかと果歩と三人で買物に行く。首だけ布団から出すようにして壁にかかった時計を見ると、そろそろ起きた方が良さそうな時間だ。

顔を洗い、コンタクトを入れる。髪にホットカーラーをセットしながら化粧水を叩き、ベビーパウダーと透明のマスカラで簡単に顔を整える。
高校生のうちからがっつり化粧をする必要はないと思っているけれど、それでも肌に負担をかけない程度に見た目には気をつけたい。

見た目って大切だからなあ。と、ぼんやり思う。

自分の容姿のおかげで許されてきたことが、人生のうちで結構ある。やりたくない役回りや損な役回りは、出来る限り避けて生きてこれた方だと思う。
それでも、人間社会とはよく出来ているもので、何かがプラスになると代わりのマイナスが発生する。

ーーあたしのマイナスは、女友だちに恵まれなかったことだ。

最初はだれかれ構わず友人になった。
向こうから寄ってきたし、友人関係で特に困ることはなかった。

面倒になったのは、初めて色恋沙汰に巻き込まれてからだ。

漫画でありがちな、友達の好きな人が自分の事好きになっちゃった、的なシチュエーションが何度も目の前で起きた。

『あんなちゃんひどい…』

と、目の前で泣いた女子たちを、一人ずつ覚えている。一生忘れないだろう。あたしに、『ひどい女』のレッテルを貼った女たち。
こっちが泣きたかった。けれど、当時免疫のなかった自分は塞ぎ込むしかなかったのだ。

ーーー自分の恵まれた容姿に開き直ってからは、似たような女子たちとつるんだ。

所謂、リア充、と呼ばれるような、派手な女の子たち。彼氏と可愛いものの話しか興味がなくて、中身のまるでない話。優先順位がはっきりとしていて、均衡を保つ様にある程度努力さえすれば一緒にいられたので、幾分妬んでくる子達より楽だったかもしれない。

それでも、一緒にいる努力をしないといられなかった。友達ってこんなもんか、と、半ば諦めもついてきた。

そんな頃、高2で二人と出会った。

冷めたような雰囲気で近寄り難いさやかと、満面の笑みで人懐っこい果歩の組み合わせは、傍目にもバランスが良かった。
もちろん、今まで散々期待を裏切られていたから、猜疑心の塊のあたしは、二人にあらぬレッテルを貼った。

イイコのふりして他人を突き落とすタイプと、男ぶって他の女子とは違いますよタイプ。

表面上は仲良くしながら、相手の出方をうかがっていた。

そうして、けれどすぐに気がついた。

果歩は、いい子だ。
さやかも、かっこいい。

ある日、例のごとく、自分の好きな人があんなを好きになったことを妬んで、よからぬ噂をたてようとした女子に、果歩は喰ってかかった。あの時声を荒らげても、果歩自身何も得しない状況だったのに。あの子、あたしが止めるのも聞かずに、恥ずかしいくらいに怒ってたっけ。

『それ、あんちゃんが悪い?!あんちゃんのせいなの?!』

顔を真っ赤にして、涙目で怒鳴った果歩を見て、ああ、この子は友だちだ。あたしの為に初めて怒ってくれた友だちだ、と、あんなは驚くほど冷静に、自分の感情の変化を理解した。その台詞、あたしが言いたかったんだ。ずっとずっと、ずーっと思ってた台詞。

冷静さを失った果歩を宥めながら、今度はさやかが出てきて、理路整然と筋道を立ててあんな側の正当性を説いた。さやか、容赦なかったな。顔には出さなかったけど、親しくなった今思うと、あれは怒っていたんだ。さやかなりに。

春に出会った二人と過ごした日々が幾重にも降り積もって頭をよぎる。杏奈はふと動けなくなった。
起き抜けに入れたホットティーが冷めている。
時間が経ってしまったのだーーーあっという間に。

休日だというのに、今日は弟の野球の試合があるとかで、朝から杏奈以外の家族は出払っていた。
一人ぼっちのリビングに、テレビの音だけが空気を読まずに楽しそうだ。

また、春になったら、あたしは人間関係をやり直せるのだろうか。二人はいい子だから新しい友だちをすぐに作るだろう。そうしたら、あたしとはもう遊んでくれなくなるだろうか。

あたしばっかり、淋しいのかなーーー。

ふと時計を見ると、もう出る時間だった。
我に返って、慌ててコートを羽織る。イヤホンを耳にねじ込むと、プレイリストからクリスマスソングを選んで再生する。
空気の読まないテレビを消して、火の元を確認する。

耳元でイントロのオルゴールが聞こえる。
マライアキャリーの『恋人たちのクリスマス』。

ーーーAll I want for Christmas is you.

これが、恋人に向けた歌だってわかってる。
だけどあたしは、恋人よりも二人といたい。

ーーーなんて、あの二人に言ったら、どんな顔するだろう。

果歩は笑いだす、きっと。
で、さやかは『頭打った?』って言う。

勝手に二人を想像して、笑いがこみ上げてくる。
自然と早足になって、白い息が立ち上る空を見上げながら駅に向かった。

ーーー*ーーー*ーーー

「やっぱ最初のお店かな~。」

「お店の人が勧めてくれたやつ?」

「ううん。そっちじゃなくて、ライトグレーのトレーナー地に、袖が紺のもこもこしたやつ。」

「あ、さやちゃんが選んでくれたやつ?」

「うん。あれが一番似合ってた気がするな~。」

「確かに。気張り過ぎてなくて良かった。」

一通りのお店を物色したあと、作戦会議と称した昼食を取る。混み合った店内にようやく三人で座れる席が空いて、それぞれランチのセットを頼む。杏奈の希望でイタリアンの店に入った。

買う洋服は、だいたいの目星をつけた。
ライトグレーのトレーナー地に、袖が紺色の切り替えたトップス。
下はショーパンに、デニールの薄いタイツ。靴は歩きやすいように履きなれたエンジニアブーツ。コートは杏奈とお揃いで買った茶色のチェスター。
できる限り出費が少なくすむように、杏奈が果歩の手持ちと考えてコーディネートしてくれたのだ。

「本っ当に、今日はありがとう!二人とも!」

「私別に何もしてないけどね。」

沙也加が食後のホットティーに口をつけながら言った。横で杏奈がにやにやしながら、もちろん事細かに報告してくれるのよね?と、冷やかし気味に果歩を見る。

果歩の瞳にじわっと涙が溢れた。
驚いたように二人が静止する。

「あ、あのね…こんなこと、言ったら、また笑われちゃうかもだけどね、あたし、二人とずっといれたらなって、思うんだ。」

恐らく、本人も泣くつもりがなかったようで、戸惑いながら慌てて頬を拭った。

「あたし、ほら、お母さんいないし、他の子とはちょっと違ったりして、別に気にされることはそんなにだけど、でも、気にされないように努力したりして、でも二人は、なんかそういうの関係なくて、一緒にいるの、すっごい楽でーーー…」

後から後から、果歩の頬を絶え間なく雫が伝う。本人も自覚があるのか、あたし何言いたいかわかんないね、と、自分で付け足した。

「とにかくね、あたし、三年生になっても、大学生になっても、二人と仲良くしたいんだ。」

わーん、と、声が聞こえそうな泣き方だった。果歩が幼稚園時のように泣き出した。

沙也加はしばらくぽけーっとし、それから急に、笑いがこみ上げて、さらに目頭が熱くなった。
ああ、なんだ、一緒だったのか。
淋しいのは、私だけじゃなかったんだ。

「何それ、そういうこと口に出してわざわざ言っちゃうの?果歩泣きすぎー、馬鹿じゃないのー」

杏奈がおどけたように果歩を叩いて笑っていたけれど、その色素の薄い瞳がぼんやりと滲んでいたのを、沙也加は見逃さなかった。

果歩は素直で、とても素直で、こういう何一つ隠せないところが大好きだ。
人は人の下に人を置くけれど、自分の価値が下がる度に、ここにいる誰かがきっと、掬いあげてくれる。

まだあたたかいホットティーに、もう一度口をつける。
泣いてぐしゃぐしゃの果歩と、それを泣き笑いしながら眺める杏奈と、三人の視線がちょうど交差して、口に含んだ紅茶を吹き出しそうになりながら、沙也加はそれでもこの贅沢な時間がずっと続きますように、と、願わずにはいられなかった。

〈了〉

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