spica.1 大きな声で唄えなかった。



夜道で、大きな声で唄いながら自転車に乗っている人をみると、「いいなぁ、いいなぁ。」と思う。(と、同時に、せっかく気持ちよく歌っていたのに、うっかり同じ道を歩いちゃってごめんなさい、と思う。)


自分のことは、そこまで音痴なわけではないと思うのだけれど、道端で鼻唄を奏でることすらできない自分にとって、自由に、大声で、何にも悪びれずに歌って通り過ぎていく人々は、何だかどこへでも行けそうに見える。


本当は死にそうなほど苦しくて、臆病な人だったとしても。



唄うことは好きなので、どうしても口ずさみたいときは、こっそりする。


マスクの下。

傘のかげ。

電車が通り過ぎる音。


そんなひとつひとつに紛れて、こっそり唄う。

たったワンフレーズを、大切に大切に口にする。





言葉が大好きだけれど、言葉にすることは苦手だ。

特に、自分のこと。



選んで、吟味して、ようやく自分の意思を上手に「言葉」に変換出来た頃には、大概その話は終わってしまっている。

自分の気持ちを言葉にすることは、大切なことであればあるほど、口をつぐんでしまう。

余計なことはたくさん、それはもうすごい量を、話せてしまうのに。



マガジンのタイトルに置いた「spica」は、大好きな曲の一つだ。

スピッツの古い曲なのだけれど、どうしても好きなフレーズがある。



「しあわせは、途切れながらも続くのです。」



あぁそうだなあ、と、一番初めに歌詞を耳にしたときに思った。

いつもいつも楽しくて、はちきれんばかりのしあわせを抱えて、みんな生きているような気がしていて、どうして自分はこんなに淋しくなるんだろう、楽しいときもたくさんあるはずなのに?と、真夜中にとつぜん一人ぼっちになったような日もあって。


その全部を、この唄が、このたった一行で、わかってくれた気がした。



SNSの向こうで、こんなに素敵な笑顔のあの子も、この子も、眩しくて楽しそうで、どこまでもうらやましいけれど、でも、きっと、毎日笑っていられるわけじゃない。

そう思うと少しだけ救われる。



自分の「負」の感情と向き合うことが苦手で、言葉はいつも綺麗事で済ましてしまうけれど、世の中にも、自分の中にも、割り切れない「毒」はたくさんあって、それと同じくらい「すてきなこと」もあって。




自分のことを、自分の考えたことを、正直に、ありのままに。


spica.




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