通俗道徳デスゲームと「家庭小説」の政治学――三宅青軒『家庭小説 宝の鍵』(1896)・大河内昌「家庭小説の政治学」(2015)の紹介


はじめに:小栗虫太郎の「家庭小説」(2021)

 ミステリ作品『黒死館殺人事件』で知られる作家、小栗虫太郎(1901-1946)の長編小説が新しく「発掘」されたそうです(音楽を「ディグる」の意味合いで「発掘」の語を使わせてください)。今年[2021年]の3月の頭にはニュースにもなっていました。整備が十分には進んでいない資料の山に分け入り、目録に記載されていない作品をご発見なさったとのことで、敬意を覚えます。(注意:本note記事は、2021年に書きかけで止まっていた文章をとりあえず体裁を整えて記事にしたものです。大半は2021年に描かれました)

 そのあらましを伝えるニュースでは、「発掘」された作品を形容して「家庭小説」という語が使われています(出版社による紹介ページでは、戦時下に書かれた「通俗的な恋愛小説」ないし「国策小説」と評されています)。この「家庭小説」とはなんでしょうか。ニュースや出版社による物語の紹介を読むかぎりでは、どうも漠然と今日の「昼ドラ」や、あるいは「メロドラマ」を想起させるようにも感じます。しかし、インターネットなどで調べてみると、英語圏や日語圏の小説ジャンルに関する議論へたどり着きました。

 そうして色々調べていくうち私は、三宅青軒(1864-1914)という作家の『家庭小説 宝の鍵』(1896年、青眼堂)に出会いました(「家庭小説」はジャンルを示す角書きです)。内容は、何というか、道徳的な感じの、少しファンタジーが混ざった冒険ありの児童文学という趣でした。思いのほか味があるなと通読してしまったので、折角だから紹介を書いてみようと思いました。

『宝の鍵』は、こんな感じで、Webで読めます。

 なお、以下に掲載した江永泉「ナタの時代、あるいはデスゲーム的リアリズム」でも、この小説のことは少しだけ言及しています(非常に手短な紹介にとどまりましたが)。

 物語の内容を、簡潔に言ってみます。「天帝」主催の「勤勉」&「耐忍」アクション継続チャレンジ(耐久型デスゲーム)に選ばれた10歳の子供が、よい経営者に目をかけてもらえたし、盗賊に騙され妨害されても援助者たちに助けてもらえたので、ついに「天帝」から報奨をもらって成り上がって親孝行(ここでは自らの扶養者に財産をもたらすこと)を達成する話です。

『家庭小説 宝の鍵』(1896)の梗概(1800字弱)

 以下では、この小説がどんなお話なのかを、ざっくりとまとめてみます。全2万字程度の短編ですが、7段落、1800字前後でまとめてみました。

:10歳の少年、信夫勤蔵(しのぶ・きんぞう)は生来利発であったが、家計を助けるために、日中は木こりとして働きながら、夜学に通っている。薄給での肉体労働に心がくじけてしまい、観光ポスター(錦絵)で見た東京の様子に憧れつつ、大金を得て親孝行して悠々自適に暮らす将来は来ないものかと空想に耽っていた勤蔵は、ある日、夢の中で髪も服も白い老人から宝の箱を渡される。「天帝」が、苦労に耐えて勤労する者へと鍵付きの宝箱を渡しているのだという。箱に掛けられた二つの鍵、「勤勉」と「耐忍」を自分で探すようにと指示された勤蔵は、老人の言に従い、岩を押しのけた穴に入って道を進み、渡守の舟に乗り、川向こうの「鍵町」へと辿り着く。

:町で柔和な笑みを浮かべる男(実は盗賊)に騙された勤蔵は、豪邸の蔵へ窃盗を仕掛けるその男を、そうとは知らず手引きしてしまう(なお、蔵への進入時に、塀を越え閂を開ける際の身軽さを、男に感心される)。警備に気づかれ男が逃げた後、蔵に取り残された勤蔵は、豪邸の主人であり実業家(呉服の卸売と小売)である福井徳兵衛の前で申し開きをして、自身の無知と軽挙を諭された上で、徳兵衛の店で働くこととなる。

:熱心に働く勤蔵は職場で認められるようになり、銀行で大金を受け取ってくる仕事を任される。銀行から出店後、勤蔵は「天帝の使い」を名乗る西洋人に出会い、宝箱の鍵の授与式へと招待される。店舗への送金は代行するので授与会場に直行するようにと勧められた勤蔵は西洋人の呼んだ大男に大金を預け、西洋人に連れられるがまま謎の部屋に運ばれてしまう。豪華な食事などの接待を受けて夢心地になった勤蔵は「神の宮」で鍵を受け取る儀式の一環だと言い含められ、また軽業の才を発揮して、建物の窓から無音で手際よく侵入する。しかし、見覚えのある金庫に出会って、ここが日中に訪れた銀行だと(また銀行破りに加担させられていたと)と気づき、「盗賊だ」と叫び回った結果、すぐ発覚し収穫なしで撤退する犯人らに拉致される。

:山中にある窃盗犯たちのアジトで、リーダー格の人物は西洋人風の変装を解く。その容姿は、徳兵衛の蔵へと勤蔵を仕向けた柔和な笑みの男と同一なのだった。この横道曲之助なる盗賊は、勤蔵の身軽さを見込んで、自身の窃盗団に勧誘しようとしていたのだ。実は曲之助も宝の鍵を探していたが怠惰か短気かが原因で自分の箱を失ってしまい、代わりに窃盗に勤しむようになったのだと語る(ちなみに先の渡守によれば、箱を失った者は鍵町では暮らせないし、鍵を持ち帰れない者は渡河をさせない決まりなので、箱を失って故郷にも帰れぬ人々は皆、川に身を投げて死ぬのだという話だった)。

:一室に軟禁された勤蔵は、曲之助の語る豪奢な暮らしの誘惑を拒み、その子分の大男(権二)に尻を打たれても、盗賊になるくらいなら命もいらないと譲らない。籠へと入れられて底なし谷に吊るされても仲間入りを拒み、業を煮やした曲之助が縄を切ろうとするも、すんでのところで止めの声が入る。軟禁中の勤蔵に食事を配膳していた少女、お勝の声だった。勤蔵と同じく、騙されて山中にある曲之助らのアジトに連れてこられていたお勝は、実は、協力者を得て脱出する機会をうかがっていた。その晩にアジトを脱出した二人は、お勝のナビゲイトで勤蔵がアクションを頑張り鍵町へ帰還する。

:徳兵衛の下へと戻り、自らの失態を報告した勤蔵は、耐忍の力がないから騙されてしまうと徳兵衛に諭され、田舎にある別荘の庭を毎日掃除するようにと命じられる。別荘の庭に並んだ木々からの落ち葉を始めは残さず掃いていた勤蔵は、十二月に「勤勉」の鍵を獲得する。しかし、勤蔵が労働ばかりに身を砕く姿に同情した別荘管理役の老夫婦による(余計な)親切によって、ついに一日掃除を休んでしまう。その後、降り積もった三日分の雪が四日目の好天気で融けた出来事をきっかけに、庭の全体を毎日清掃するのでなく、徳兵衛が訪れたときに綺麗に見える範囲のみを掃き清め物思いに耽るようになる。そんな春のある日、勤蔵は「勤勉」の鍵を鳶に取られてしまう。

:徳兵衛に事の次第を報告した勤蔵は、その鳶は天帝の使いであると指摘し、勤蔵に悔悛することはないかと問う。毎日、隅までの庭掃除を怠り、徳兵衛が目視する範囲だけを整えていたと告白した勤蔵に、徳兵衛は「天帝の眼」は日夜どこでも監視していると説き、これから改めて「一生懸命、陰陽[かげひなた]なく働くがよい」と勤蔵に訓示する。その後、大いに勉強に励み種々の困難に耐えた勤蔵の下に二羽のハトがやってきて、「勤勉」と「耐忍」の鍵を、ついに与える。両親のいる故郷に戻った勤蔵が宝の箱を開けると、中から家や着物、米や道具が言った通りに出てきて、両親も喜ぶ。

三宅青軒『家庭小説 宝の鍵』(1896)は、こんなお話でした。

『家庭小説 宝の鍵』の見どころ

1.さながらデスゲーム
 教訓話とエンタメを両立させようとした結果、えげつない設定になっている感じがしました。さっきの梗概で言うと「箱を失った者は鍵町では暮らせないし、鍵を持ち帰れない者は渡河をさせない決まりなので、箱を失って故郷にも帰れぬ人々は皆、川に身を投げて死ぬ」のあたりの設定です。

2.えげつない天帝
 上の話と関連するんですが、(自分の目線で)見どころがあるやつに宝箱を渡して専用のフィールド(鍵町)で鍵探しをするように促すけど、途中であきらめたプレイヤーからは鍵を奪うし死んでも関知しないです、っていうのはデスゲームの運営と大して変わらなくないか、と思っていました。

3.まじめな(?)意図
 
どんなつもりで作者はこんな話を書いたのか、って気になったんですが、著者のまえがきはこんな感じでした。

われ此頃少しく感ずるところありて、家庭小説と名づけ、親子夫婦打ち寄りて共に読むべきやうのものを作り試みぬ、斯は只小児のみに読ましめ小児をして可笑しがらせるのみのものならず、父も母も共に之れを読みて興味を感ずべく、やがて感じ得たる事を其子女に語りて教訓となすべく子女も亦知らず〳〵人間の踏むべき道を覚り、序に容易き文章の書方も知得せしめんとの事なり。啻にそれのみならず、学校の教師が之れを用ひて、これまでになき一種風がはりの修身談を為すにも勝手よからしめんと思ひつ、足らぬ智慧ながら、かにかくと趣向をつけ、随分苦心の末、僅かに此小説を物しぬ。

三宅青軒「序」『家庭小説 宝の鍵』青眼堂、明治二九年一二月

 要するに、ご家庭でも読めるし学校でも教科書代わりに使える、面白い話です、という体裁でした。
 現在だと、この物語から引き出せるような教訓、なんだか頑張れば報われるけど頑張らないと死ぬ、みたいな殺伐とした自己責任論っぽく映る面があるんじゃないか、とか思います。いわゆる「通俗道徳」ですね。自分の「ナタの時代」でも少し取り上げたんですが、2023年記事で木澤さんがいい感じにまとめてくれていたので、そっちを引きます。

歴史学者の安丸良夫は著書『日本の近代化と民衆思想』のなかで、この時期に形作られていった労働にまつわる道徳を「通俗道徳」と名付けた。すなわち、勤勉、倹約、謙虚、孝行、さらには忍従や献身といった徳目からなる生活規範である。これらの「徳」を実践することで、富や幸福がもたらされると信じられていた。当時の大部分の日本人は、社会的な圧力や習慣によってそれらを内面化することで、これらの通俗道徳を自明の当為として生きていたという。

木澤佐登志「まるで奴隷…惨めな労働に道徳的な価値があるとされたのはなぜ? 生産性という病(2)」『学術文庫&選書メチエ』2023.04.01、p.3

 こんなわけで、このnote記事の「通俗道徳デスゲーム」というタイトルを私は思いついたのでした。
 ただ、ひょっとして『宝の鍵』って小説、マジを装いつつも「通俗道徳」を皮肉っているのではないか、との疑いも、実は個人的に消えていません。

4.たのしい変装
 
というのも、この小説、主人公の信夫勤蔵をたぶらかす悪役の横道曲之助のことをやたらイキイキと描いているんですよね。作者の三宅青軒は、以下の本でも紹介されているんですが、どっちかというと明治のハチャメチャなエンタメ小説の書き手として名を残したひとみたいで、やっぱりエンタメにアウトローを活写する方が筆がノッたのかな、「通俗道徳」に乗っかって成功する道を外れても、どっこい何とか生きている、ってキャラを書きながら作者は何を思っていたんだろうな、なんて思いを馳せたくもなります。

 そしてこれは個人的趣味ですが、私は、怪人二十面相(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)とか、七変化を見せるアウトローの姿に魅せられてしまうタイプなので、横道曲之助みたいになりたいとは思わないですが、やっぱり印象に残ってしまったのでした。

愛と計算、家庭と市場:「家庭小説の政治学」

 ところで、ここまで見てきた「家庭小説」というのは日本語のジャンル名ですが、元ネタは英語圏っぽいです。三宅青軒『家庭小説 宝の鍵』が1896=明治29年ですから、この名称には百年以上歴史があるわけですね。ある日本文学研究者は、このジャンルに関して以下のように説明しています。

家庭小説という概念が登場したのは明治二十年代の末である。代表作と言われる徳冨蘆花『不如帰』、菊池幽芳『己が罪』『乳姉妹』、中村春雨『無花果』が出始めるのは明治三十二年を過ぎてからである。[……]また、翻訳の中に家庭小説の角書きを持つ別の系統の作品群がある。『家庭小説 未だ見ぬ親』など、今では児童文学に範疇化されている作品群である。

(飯田祐子「《読まない読者》から《読めない読者》へ:「家庭小説」からみる「文学」の成立とジェンダー化過程」『神戸女学院大学論集』1997年7月p.4)

 ただ、国産の「家庭小説」の手前には、こんな翻訳小説もあるようです。

(オリーバー・ゴールドスミス『家庭教育 園之咲分』植木貞次郎訳、開新堂、前篇明治二二年八月、後篇明治二三年五月)

「家庭教育」という角書き(現在でいうところの検索タグとかジャンル表示に近いもの)は、明らかに「家庭小説」を連想させると思います。ちなみにゴールドスミスっていう書き手はイギリス系アイルランド人作家らしくて、例えば以下のページのように、18世紀以降の英語の児童文学について述べるときに名前が挙がったりもするらしいです。

 それで、上記では「家庭小説」という語がこんな文脈で登場します。

 18世紀半ばまで、子どもの本の多くは「努力と勤勉が人をいかようにでもする」といった宗教的倫理観に支えられた道徳的・教訓的なものや、啓蒙的な「お説教臭い」作品が中心で、どのような本が子どもに喜ばれるかといったことが考慮されることはありませんでした。
 そのような中、「おもしろくて、ためになる」子どものための本の出版を初めて本格的に手掛けたのが、ロンドンの書籍商ジョン・ニューベリー John Newbery(1713~1767)です。『小さなかわいいポケットブック』(1744)は、子どもの教訓だけでなく楽しみを与えた最初の本と言われています。ニューベリーは、増え続ける都市部の中産階級の子どもたちを対象に数多くの子どもの本を出版し、その名はアメリカでもっとも権威のある児童文学賞(1922~)に冠されています。
 このころから次第に、子どもたちに教え諭す単純な教訓物語よりも、楽しませることを意図した方法で表現することが重視されるようになり、軽妙な挿絵入りで子どもの内面への洞察に優れた作品も現れ始めます。19世紀半ばには、ジュリアナ・ホレイシア・ユーイング Juliana Horatia Ewing(1841~1885)、メアリ・ルイザ・モールズワース Mary Louisa Molesworth(1839~1921)や、1873年に創刊されたアメリカの児童雑誌”St. Nicholas”に連載された『小公子』(1886)のフランシス・ホジソン・バーネット Frances Hodgson Burnett(1849~1924)らによる少女小説、家庭小説が盛んになります。

第1章 初期の児童文学 ‐ 教訓物語から日常小説へ」国際子ども図書館
電子展示会『ヴィクトリア朝の子どもの本:イングラムコレクションより』

 こんなわけで、どうも「家庭小説」のことを考えるには英文学での使われ方も観ておく必要がありそうでした。それで読んでみたのが大河内昌「家庭小説の政治学」(『東北大学文学研究科研究年報』2015年)という論文です。こういうとき恒例であるようにCiNiiで「家庭小説」っていうので検索して調べてあれこれ見ていくうちに出会ったやつです。

https://tohoku.repo.nii.ac.jp/records/2159

この論文だと、家庭小説については、こんな風に説明されていました。

ジェイン・オースティン(Jane Austen)の作品に典型的に見られるような、若い女性の恋愛と結婚を描く「家庭小説」(domestic novel)は、十八世紀~十九世紀イギリス小説の中心的ジャンルのひとつであった。また、「幸福な家庭」あるいは「家庭をまもる天使のような女性」というイメージは、イギリス小説にくり返し登場するモチーフである。とくに家庭小説と呼べない小説においても、政治的・経済的な世界では得られない幸福と安らぎを与えてくれる場所として、幸福な家庭しばしば物語の内部に描き込まれる。「幸福な家庭」というイメージは、イギリス小説に反復して登場する文学的なモチーフであり、ひとつの「トポス」と呼ぶこともできるだろう。[……]それは、十八世紀イギリスで成立した近代的な市民社会が生みだしたものである。すでに何人もの研究者たちが指摘しているように、家庭という理想の誕生と小説という文学ジャンルの勃興には深い関係がある。

(大河内昌「家庭小説の政治学」『東北大学文学研究科研究年報』2015年、185頁)

 ということで「家庭小説」は、非常にざっくりと言えばヒロインが恋愛や結婚をするまでを描くジャンルだということになっているようです。ですがこの論文で興味深いのは、家庭小説――特にこの論文で取り上げられているのは、今日でいうハーレクイン小説にも通じそうな、メイドが館の主である貴族と結婚するタイプの物語です――を「階級闘争のアレゴリー」として読解する先行研究を踏まえつつ、当時のイギリスでは「近代的な商業社会がジェンダー的に女性として表象されていた」と論を展開しているところです。

古典的なシヴィック・ヒューマニズムによれば、国家と政治に関する公的な世界(ポリス)が男性市民の活動の場であり、それ以外の経済的な領域(オイコス)は女性や召使の活動領域であるわけだから、経済が女性のイメージと結びつくのは不思議ではない。また、経済活動にかぎらず、商業社会がもたらす洗練された社交もすぐれて女性的なものとされた。

(大河内昌「家庭小説の政治学」『東北大学文学研究科研究年報』2015年、185頁)

 18世紀のイギリスでは、商業社会の発達とともに強まった奢侈的な風潮を「「女々しさ」(effeminacy)」と呼んで非難する「シヴィック・ヒューマニスト」たちがいたらしく、そのため、いわゆる中産階級と結びつくような商業社会を支持する側は、当時の文脈上で言うところの「女性的なもの」を擁護する論陣を張っていたそうです。

 というわけで館でメイドとして働くヒロインが貴族に結婚を申し込まれ、ついに館での地位を不動のものとする小説(リチャードソン『パミラ』1740年)も、このような観点で見れば「自由な言論と説得を武器とする中産階級の柔和な文化が、名誉と英雄的行為を重視する貴族階級の伝統的価値観に勝利する」物語として読めるようです。論文内では、「近代的個人は何よりもまず女性であった」の一文で知られるという、ナンシー・アームストロング『欲望と家庭小説』(1987年)のパミラ評が先行研究として引かれています。

 手放しでは肯定できないとしても――大河内論文ではイーグルトンによる指摘を参照して「十八世紀のイギリスの「女性化」が、現実社会における女性の地位向上を意味するわけではない。それは、女性を抑圧する装置が新しく洗練されたものになったということを意味する」(188頁)とも述べられていました――「中産階級」や「商業」や「柔和」が当時の文脈で言う「女性的なもの」と結び付けられる中で、それの勝利を寓意的に描くものとして「家庭小説」を捉えることができるようです。

 実は、論文ではここまでの話が前置きであり、「家庭小説が表現する女性的徳――パミラが体現する「徳」――は、商業活動もしくは市場経済とどのような関係をもつのか」がこの論文の主題だったりします。なので、ここまでの議論を踏まえた上で話はさらに掘り下げられています。利害計算とは一線を画すような感情としての愛が働く領域であるはずの家庭こそが、しかし市場経済で必要な社交の徳を培う場として期待されてもいる、という二重構造を捉えながら諸作品を吟味して、論文は以下のように結ばれます。

けっして身分の高くない若い娘の心理を描写するのに、これほどまでに膨大なページ数を費やすというのは、家庭小説が西洋の文学史において最初に始めたことであった。それは近代の市民社会において、若い女性の胸中に宿る不随意的で没利害的な愛というものに大きなイデオロギー的意味が付与されたからである。上で述べたように、若い女性の愛こそが家庭を市場経済から切り離す原動力である。もしそうだとすれば、平凡な娘の胸中に宿る愛こそ、近代の市民社会の存立を可能にする条件であり、それを説得力豊かに描く家庭小説に託されたイデオロギー的使命は、非常に大きなものであった。

もちろん、家庭小説に先立ってそうした愛という感情が存在していたと考える必要はない。家庭小説という言説が、没利害的で純粋な愛という概念を作りだしたのだと考えるほうが自然かもしれない。しかし、家庭という親密な領域と経済活動の領域が不可分であり、背後でつながっているからこそ、多くの家庭小説に見られるように、社会的・経済的な分野での解決不可能な葛藤が、家庭や家族の問題に翻訳されて、象徴的解決が与えられるという戦略が可能となるのである。この象徴的解決がイデオロギー的な効力をもつのは、市場経済と家庭が、じつはおなじもの──近代的市民社会──の二つの側
面であるからにほかならない。

(大河内昌「家庭小説の政治学」『東北大学文学研究科研究年報』2015年、185頁)

 こんな結びを読みながら考えたくなったのが、これらの「家庭小説」と、現代のエンタメ――いわゆる「ナーロッパ」的な異世界が舞台の作など――との関係でした。例えば私が三宅青軒『家庭小説 宝の鍵』を「通俗道徳デスゲーム」な内容だと形容するとき、やっぱり頭に浮かんでいたのは、ある種のなろう系の小説でした。でも、考えてみたら衣笠彰梧『ようこそ実力至上主義の教室へ』シリーズ(2015-)のほうが、この呼称に相応しいかもしれません。そして思えば、階級制バトルって意味だと、思いっきりコメディだったけど井上堅二『バカとテストと召喚獣』(2007-2015)とかも当てはまるのではないか、とか気づいて話の広がりが結構ありそうだな、ってテンションになってきました。
 いま挙げたのは、想定読者が男性のラノベだったと思うんですけど、大河内論文を踏まえるとむしろ女性向けラノベや女性向け異世界小説みたいな話についていろいろな吟味も可能になりそうだな、って気がしています。あとは男性向け・女性向けみたいな括りって意外と崩れもするし(自分がパッと連想するのは「転スラ」や「はめふら」の受容とかでした)、この記事で扱ってきたような「通俗道徳」とか「家庭小説」とかの観点で眺めたら、あれこれの作品を同じ地平でながめながら魅力を探ったり、あれこれの描写とか展開とかの良し悪しを吟味したりして、うまい感じに語れそうだな、なんてことを思いました。

 ダラっと書いていたら、思いのほか長くなりました。読んでくださりありがとうございました。 (了)

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