メモ?(エアガンで撃たれたときの記憶、物語にできること)
私はエアガンで撃たれたことがあります。たしか5歳~7歳の頃のことです。それは私が当時住んでいた家の近くにある公園で起こりました。顔は知っていた、2つほど年上の小学生に、急にエアガンを向けられて、逃げたら背後から撃たれたのだったと思います。右足のむこうずねを撃たれたのだった気がします。20年以上前の話で、発砲音と撃たれた感触は覚えているけど詳細は曖昧です。年長の小学生にBB弾で脚部を撃たれたのは、たしかです(と私は主張します)。それは、私の記憶では、当時の地域で大事になるわけでもなく済まされていた(ありふれた?)一幕で、私にとっては今まで一度きりの〈銃弾で撃たれた〉体験です。この体験(の記憶)は、何なのでしょう?
いや、何であるかは明らかでしょうか。ある時点に、ある地点で、ある年齢の人間が、ある年齢の人間に、遊戯銃で撃たれた。そういう出来事。それは読み手が何か意味を見出しうる情報なのか。当座の読み手と別に、あるいは全ての読み手と別に、書き手が意味を見出しうる情報なのか。これを書くのは価値がある行為なのか。価値とか意味とかなくただ事象があっただけか。――さしあたり、この体験(の記憶)は、どのように使えるのか、と問いを立ててみます。――この記憶がいま〈ひっかかる〉と、私は感じています。
例えば、遊戯銃使用者に対し教訓話を一席ぶつのに、この体験は役立つかもしれません。私が撃たれたのは年齢一桁の頃なので、ゼロ年代のエアガンの社会問題化を背景としたらしい、準空気銃の所持の禁止を定める銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)第二十一条の三の施行以前の出来事で、エアガンが現在より緩く、というか無造作に小学生の手に渡っていた1990年代末の日本の一地域の一挿話に過ぎない、といった前置きの上で、遊戯銃で撃たれた際の体感や、公園にいただけで標的にされた事態の恐怖などを語りつつ、また遊戯銃での負傷の危険に触れながら、遊戯銃の〈正しい〉使用法とか心構えを説き、モラル向上を訴える話をするのに、使えそうな記憶ではあります。
ちなみに、上の段落を書くために軽く調べたら菊澤信夫「危険なエアソフトガンを巡る遊戯銃業界の取組について――準空気銃規制に至るまでの経緯」(『警察学論集』第59巻10号2006年10月)という文献が見つかり、内容は閲覧できていませんが「エアソフトガン」という呼称が気になってさらに調べたところ、「空気銃[airgun]」の場合は所持に公安委員会の許可が必要なもの、いわゆる「実銃」を指し、カタカナの「エアガン」はもっぱら「エアソフトガン」、所持許可が不要な遊戯銃のことを指すという使い分け方があるようだと知りました。規制対象が「エアソフトガン」だから「準空気銃」だったのかと、少しだけですが遊戯銃に関連する知識を深めることができました。
このような教訓話の事例として記憶を用立てたり、あるいは自分の何らかの思い入れ(銃砲類への、また特定個人や地域や暴力などへの)の理由を説明したりするのにこの記憶は使えそうです。――この記憶を〈使えそう〉などと形容するのは不埒でしょうか?――私はこの記憶と、どういう距離で接すれば〈いい〉ことになる(あるいは、周りから〈いいとされる〉)のでしょうか。――そもそも〈いい〉語り方が何かを定めたくて書いているのだろうか?――正直、私はこの体験との距離をいまだに測りかねているようです。
実際、私の幼少期で、痛みで忘れがたい出来事はこのエアガンで銃撃された体験よりも、スポーク外傷で片方の足首が裂けて(アキレス腱は千切れずに済んだ)病院で縫合された5歳頃の自転車事故だし、――当時の私はその頃ドクターマリオを見知っていたからか外科医に針と糸で傷口を縫われている間「いたいよドクター」と、うわ言のように繰り返していて、その件は後で笑い話にされました。――〈銃〉は危険で有害で、と遊戯銃でプラスチック弾で撃たれただけの私が語るのも、あるいは人を傷つける道具を面白がって使うような子供は云々、などと私が語るのも、どうにも私自身で妙な感じを覚えてしまいます。私は、そういう語りかたではこの記憶を〈腑に落ちる〉ものにはできないようです。そもそも、プラクティカルな治安対策に貢献をしたいとか、私を銃撃した相手を裁きたい(または当時の私のような人間を銃撃するような人間が厳しく裁かれる世界になってほしい)とか言いたいのでもないような、――というよりも、それが言いたいこと〈ではない〉のかどうかすらも、よくわからないのです。私の中で、この出来事の意味付けがうまくできあがっていないのだと語る方が、いまの私にはしっくりきます。――私は、明確な〈言いたいこと〉が決められないままにこの記憶を誰かと〈シェア〉したがっています。明確な態度が固められないままに。――でもこの体験、今のうちに言葉にしておかないと、そろそろ〈なかったこと〉になってしまうのではないかとの不安はありまし……。……あった気もします。
小学生が小学生にエアガンで撃たれるという出来事は今日も起こっており、それは例えばこんな風にニュースになって〈シェア〉され、様々なスタンスからのコメントが加えられたりしています。――私にとり、問題は、徐々に薄れていく私の記憶を穴埋めするのがこういうニュースやコメントの語りであり、あるいは特定のニュースに限らず、〈シェア〉される諸見解から導出される〈社会通念〉であり、そのような〈社会通念〉の方向付けが(完全に同意するにせよ、部分的に否むにせよ、まるで違うと言うにせよ)私の体験の意味合いを他所から固めていってしまっていることです(?)。――私が私の体験を、自分なりに〈腑に落ちる〉ようにするに前に、それがいかなる〈問題〉についての事例で、いかなる〈見解〉があるのかが、先取りされていってしまうような……。けれど、こうした屈託の語り口も、すでに何かの話の引き写しめいている気もします(そもそも私は〈社会通念〉のよしあしの話をしたいわけではなかった気がする)。私は、小学生が公園でいきなり別の小学生にエアガンで狙われて、逃げたところで背後から足を撃たれるのが、〈大したことじゃなかった〉と言いたいのではないはずです。逆のはずです。だけど、それは「実銃」と直面をする体験とは異なるものであって、でも私にとってそれは何か銃のことを考えるときに思い出されてしまうものでもあり、悪いやつがいたせいで起きた贖われるべき罪過として済ませうるものではなく、かといって、愚かないし狂ったやつがいたので生じた起こるべきでなかったアクシデントとして済ませうるものでもなく……。――ここで「……」にどんな言葉を充てればいいか、わからなくなってしまい、私は言葉に詰まります(話の筋が縺れていき、いわば、座礁してしまいます)。
ただ、こんなとき、記憶をよすがに物語をつくるのが、〈腑に落とせない〉ものを〈腑に落とせない〉まま〈差し出す〉のに役立つのかもしれない、と私は思います。――例えば私は〈エアガンで撃たれたことがあり「ゾンビ」と呼ばれてもいたモンスター好きの子供の物語〉を語れるかもしれません。――小学校の高学年、10代の始めの頃、走り方が何かおかしいと言われがちだった私は、級友と外でサッカーボールで遊んでいるとき、公園のフェンス越しに、別の小学生たち、私の見立てでは9歳~10歳頃の子供に「ゾンビ」と囃し立てられていたのでした。――私にとって、ゾンビを銃で撃つゲームや、モンスターを倒しつつマップを踏破していくゲームの攻略本と、特撮の怪獣や怪人の図鑑、生物図鑑は地続きなのでした。――〈ザコモンスター〉が、自分が弱いから馬鹿にされていじめられるのだと思い長い時間をかけて瘴気を吸収し、醜悪な〈ボス〉になって、けれど力及ばず〈主人公〉に滅ぼされたり、ほんとうは強くなりたいのではなく孤独が嫌だったと今際の際に回想したりするゲームに、私は触れていたのでした。――思い出されてくる諸々のエピソードを、どこかに区切りを置いて整理することで、私は、あるキャラクターの視点を追体験させる流れをつくれるかもしれませんし、あるいはより断片的なその時々の瞬間的記憶に焦点を定めて、明確な輪郭を結ぶほど強固な因果連関ではないが、ぼんやりした人生像が読み手に想像できる程度には関連性が見出せる、諸出来事の重なりを語りうるかもしれません。
私は、エアガンで撃たれる側で、走るのが下手で鬼ごっこで鬼になり続ける側で、「ゾンビ」と呼ばれる側で……、でも、私がフラフラと独特の足捌きをするのを、ひとは面白がって見ており、私もそれをたのしんでいた、気もする。私が学芸会で悪役を演ると、はまっているね、と言ってくれたひともいた、気がする。――私はいきなりエアガンで撃たれるのが、楽しかった?――いや、たしかに私は怖がっていた気もするが、それが危ない行為でゆるされるべきでない行為だとも、あのとき公園にいた私は考えられてなかったような気もする(エアガンは決してそんな風に使われるべきでないし、一般に、同意もなしに遊び相手でもない誰かをエアガンで撃つのは、実現すべきでない出来事だとは言いたいけれど)。私は、起こるべきでない出来事が、現に起こるところで、恐怖や怒り以外の感情を体験していた、気がします。――とても曖昧な、子供の頃の驚きや怯えに、いまになって言葉で別の意味を与えなおしているだけなのかもしれません。でも『ゴールデンアイ 007』(1997)のようなゲームを楽しんで――このFPSゲームがともだちの家にあって、私は一緒に遊んでいた――いた私はエアガンに――いきなり狙われて、逃げて撃たれてすら?――どこか、ワクワクとした高揚すら覚えてしまっていた――それはその頃の私があまりに子供でリスク認知ほか社会通念の内面化や基礎知識の習得が不十分だったからかもしれません――ように私は物語を書こうとしながら思って……、思い出し、こうして書いてしまいました。――そんなおかしな心情を書こうとしていたはずがない、と今の私は頭の中で言う(いまも、言っている)一方、私のどこかは、これを〈腑に落ちる〉として受け取ったようでした。――繰り返しますが、当然ながら、無防備な人間をエアガンで撃つのは絶対にやめてください。暴行罪ほかに問われると思います。私は人に悪事を促そうとしてこれを書いてるのではありません。
ただ、私は私にとって、エアガンで撃たれた体験は、イヤでおそろしかっただけでも、理不尽で怒りを覚えただけでも、ありふれていて致し方はないがうんざりするだけでもない、ある出来事として残ってしまっているのだと、何らかのやりかたで語っておきたかったようです(などと書きつつ、自分で、嘘だろこれ、ホントなのか、と問う声もする。これは、良心の声なのか)。――記憶から記憶を引き出すようにして重ねつつ、ひとつの体験談、キャラクターやイベントを構築しようとするとき、その談の主意に収まりきらない何かが、ふと浮かび上がってきて(不意に思い出される別の記憶、思っていたと意識していなかった気持ち、懐疑の声、ほか)、話が、つくり上げようと目論んでいたのとは別の意味合いを帯びながら形になってしまうことがあります。記憶を体験談に加工するのが物語の唯一のつくり方だとは、もちろん私も思いません。それにどちらかといえば、初歩的な物語のつくり方だ、と言えるかもしれません。――この物言いだと何かがまずい気もするので付け足すと、私が学ばされてきたカリキュラムの中では、回想して気持ちを書くような機会は学校や社会の中で妙に多く、エピソードを寓話や説話に埋め込む手本はそこらにあり、逆にデータの蓄積からありうべき因果関係や相関関係などを勘案したり、断片的な描写群を秩序立てた形に再構成する作業の機会やその手本などは思いのほか乏しかったような気がしています。――ただ、私の手元にある記憶を、いまの私自身が、そうであるべきと思うものに収まらないような仕方で形にするのが、物語にできることのひとつではないかと、あのときエアガンで撃たれた子供の私以外の私たちのことをも思い出しつつ、そう言いたくなってきていたようです。――すっきりしたというわけではないのですが、いま書けそうなことはここまでのようでした。
[了]
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