感想:『かわいいウルフ』賛江

これは、海の響きを懐かしむ(小澤みゆき・戸田恵一・吉岡泉美。現・海響舎)編の文藝同人誌『かわいいウルフ』(2019年5月)を読んで書いた感想文です。

本書の160頁の中にもりこまれている内容を、全て紹介するのは難しそうなので(そして、目次や概要の紹介ならば本書の告知HPがすでに明快に紹介しているように思われるので)、幾つかに絞って、感想を申し上げます。(なお、以下に小澤みゆきさんがデザインした告知HPのアドレスを引いておきます)

それでは、私的な話を交えつつ、あれこれと述べていきます。

まずはブックデザインから。もちろん、カバーのおもてに描かれた(私には竹久夢二の挿画を思い起こさせもする)、ヴァージニア・ウルフの大首絵が印象的なのですが、それを外して眺めてみても、繁茂するようにちりばめられた草花の紋様が目に映り、清楚とした雰囲気を漂わせつつも軽やかな清新な植物の息遣いを栞にして閉じ込めたような装丁で、とても素敵なものでした。また、小澤みゆきさんや杉原和音さんのみならず、幾名もの方が描き、本書にふんだんにちりばめられているイラストたちは、いずれも、凝った紙面構成の中で、ぴったりと身を落ち着けているようで、デザインというものの大事さを身で学ばせていただきました。

これまで、私にとってのヴァージニア・ウルフのイメージは、『自分だけの部屋』や『女性にとっての職業』といった著作を残した小説家、という偏ったもので(小説は読まずじまいだったので)、とりわけ印象に残っていたのは、作家として自立するための条件に鍵のかかる部屋と金銭がいるという切実に響くことばと、自らの心のうちにやってきて悩ませてくるという「家庭の天使」を斥けようとする際のことを語る、あのいささか物騒なくだりだったのでした(どこかで、それらの箇所や、著作の要点だけ、教えられていたのだと思います)。そのようなわけで、「かわいい」(チャーミング)というコンセプトを打ち出して、ウルフの紹介をしてくださる本書は、私にとってたいへんありがたいものでした。

まんが「Who is Virginia Woolf ?」は、エッセイ四コマ風の読みやすい紙面構成の中で伝記的な情報を簡潔に教えてくれるものでしたし、作品解説「ウルフ長編作品への招待」も、個々の作品の印象深いフレーズを引きながら、概要を示し、さらには読み手の感じた魅力までもが一貫した解釈の下に語られている、巧緻なものでした。どの作品解説も、「シリアスとユーモアの間を不安定に揺れ続ける」(11頁)という、ウルフの小説の魅力が、伝わってくるものでした。私自身がいちばん気になった物語は『灯台へ』(1927年)ですが、いちばん魅力を感じた解説は『フラッシュ――或る伝記』(1933年)でした。ここでは日暮真三が作詞した曲「あ・い・うー」(1996年4月)が参照されていますが、この曲の歌詞はなるほど転生そして転性であるし、あるいは、生成変化などという文言を使いたくなるようなもので、こんなふうに魅力を伝えてもらえると、これはもう読むしかない、という気持ちになるので、これを書き上げ次第、ウルフの本を探しに行こうと思います(また、『幕間』新訳も、楽しみに待ち望むことになりそうです)。また「形態素解析でみるヴァージニア・ウルフの文章」には、計量文献学的なアプローチが作品の魅力や構造をどのように明らかにするのかという、その一端を学ばせていただきました。それにしても、企画・編集のみならず、まんが、作品解説、分析レポート等々と、多彩なコンテンツを掲載してもいる、主催の小澤みゆきさんの熱量に、圧倒されます(私も私のやるべきこと、やりたいこと、頑張ろうという気持ちになり、励まされます、ありがとうございます)。

片山亜紀「『ダロウェイ夫人』の音楽たち――万霊節の調べ」は、ウルフの小説『ダロウェイ夫人』(1925年)の中で(実は)参照されている、リヒヤルト・シュトラウス『万霊節』(1885年)を取り上げるエッセイです。批評家、ジョセフ・ヒリス・ミラーによる指摘を再検討しながら(ミラー『小説と反復―七つのイギリス小説』玉井あきら他訳1991年に所収された、「『ダロウェイ夫人』:死者の蘇りとしての反復」を参照)、このシュトラウスの歌曲の意味合いと、それが『ダロウェイ夫人』という小説の中に(ウルフの手で「変奏」されつつ)どのように織り込まれ、それが物語の中でどのように活きているのかを解説してくれる、魅力的なエッセイでした。

また、所収されたウルフの短編「Kew Gardensキュー・ガーデン」(初出1919年、小澤みゆき訳)は、私の初めて通読したウルフの小説となりました。イギリスのキュー王立植物園の写真も掲載されており、訳者による簡潔な導入や註と合わせ、場景をイメージするよすがとして、いずれも、とても助かるものでした。私はとりわけ、焦点がするすると移行していくような描写の妙をあじわいました。ひとつひとつのダイアローグ、それが示唆するように思える背景の広がりにも関心を惹かれましたが、同時にそれらがカタツムリの動きの描写とも共々に一つの流れに織り込まれているようで、微細な動きを捉えていたカメラがどんどん引いていき空中撮影の映像になっていくかのような最後の記述を含め、流麗な感触を覚える短編小説でした。

ひとつめの特集「感想企画 ウルフのティーパーティー」は、私にとって本当に興味深い企画でした。ウルフの著作をめぐる文章を、会社員、喫茶店主、エンジニア、小説家、……といった、さまざまな人々がさまざまな仕方で記しており、文というものは(生と同じく)かように多種多様なのだと、大仰かもしれませんがそんな気持ちになりました。にゃんこ「夢のような話」から水原涼「井戸、三葉虫、妹」まで、率直な感想文、回想、さらにはウルフの著作に触発されての詩や小説まで、ここに寄せられた文の多種多様さと、雑多になってもおかしくないそれらが一つの流れのようにも思える編纂の巧みさとが相まって、この感想集自体がいわば集合的な意識の流れのようでもあるようにさえ思われて、趣深く感じられたのでした。また、熱海凌、太田知也、斎藤賢爾などの文を読みながら、いつだか目にした円城塔の小説や、笠井康平『私的なものへの配慮 No.3』(2018年)なども思い出し、記憶と記録の区別の問いなおし(それは、文字あるいはそもそも言語というものの発明に由来する問いなのかもしれないですが)、セキュリティと認証、「人間レコード」をめぐるあれこれなど、さまざまな水準のさまざまな思念が目まぐるしく走馬燈のように私の中で流れていきました。文藝同人誌上での「意識の流れ」とSFの、おそらく必然でもある偶発的なであい。

そしてまた短編、小澤みゆき「滾りの瞬間」は、読んで、撃たれるような瞬間のある物語でした。冒頭の擬音語の描写や、マンスフィールド「至福Bliss」(初出1918年)を読み上げるくだり、等々、文章でなければあじわえない情緒の効果的に描かれた小説であるようにも思いましたが、みだりに私的なのぞみを言えば、コミカライズも是非読んでみたくなるような、そんな物語でした。震えるような声で先生がヒロにあやまる、その瞬間、ヒロに映る世界はどんなものだったのか、……などと想像がひろがっていきました。

この『かわいいウルフ』の特色として、ウルフ自身の作品だけでなく、ウルフ作品のアダプテーション(n次創作)にもふんだんに触れている点が挙げられると思います。ふたつめの特集「鑑賞企画 オルランド・ア・ラ・モード」は、そうした点でもこの同人誌のメイン・コンテンツのひとつと言えるものであったように思われました。ウルフの長編小説『Orlando: A Biography』(初出1928年)原作の演舞や劇作のレポートに加えて、日本映画やボリウッド映画での作品リメイク案の構想という(メモどころではなく、詳細に書き込まれた)、ものすごい内容もあり、たのしく読ませていただきました。

赤口樒・小澤みゆき「映画『フリーク・オルランド』鑑賞後対談」は、ウルリケ・オッティンガー監督のドイツ映画『フリーク・オルランド』(1981年)の感想会で、私はまずこのような映画があることを知らなかったので、興味深く拝読しました。副題が「伝記[A Biography]」であるウルフの『オルランド[Orlando、邦訳では「オーランドー」表記でも知られる]』自体、齢30にして突然女性になったり、300年ほど生きていたりする人物オルランドの、破天荒な伝記(という体裁の)小説であるわけですが、それをさらに、ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才と評されもする映画監督が翻案したということで、瞠目するような内容になっていることが、映画未見の私にも、対談からうかがうことができました。同じニュー・ジャーマン・シネマ系の映画だと、ファスビンダー監督の『ケレル』(1982年)を観たことがあったので、あんな雰囲気なのかしらと想像したり、また時代を無視した小道具の登場するアナクロニズムがマシマシのシュールな伝記映画ということで、デレク・ジャーマン『カラヴァッジォ』(1986年)を観た記憶を思い返したりして、ワクワクとした気持ちになりました。赤口・小澤対談では、『フリーク・オルランド』の他にも面白そうな映画がたくさん紹介されていたので、私は休日の楽しみが増えました。小澤みゆき「鈴木清順版・映画『フリーク・オルランド』を勝手に考える」も、鈴木清順監督の映画作品への愛にあふれた翻案あらすじで、大正浪漫三部作を観賞したくなりました。

種々の演舞や劇作のレポートも面白かったのですが、この鑑賞企画内で際立っているのは、ヨリタム「映画『オルランド』のボリウッド・リメイクを妄想する」だったように思います。サリー・ポッター監督のイギリス映画『オルランド』(1992年)のボリウッド版(あるいは、インド映画版)を考える、というものですが、文字数的な分量にも、そこに盛られた情報量にも、感じられる熱量にも、圧倒される思いでした。本筋を外れた箇所への反応となりますが、136~137頁にかけてのナンディーター・ダース監督(虚実入り交じる伝記映画『マントー』(2018年)を監督した)に関する記述を見て、私はハッとさせられました。というのも、実は、私の家には小説家、サアーダット・ハサン・マントーの短編集が二冊、本棚に入れて、読まずじまいのまま置いてあったからです。思いがけない奇縁!

こうして感想を書き出してみると、改めて、本から本、物語から物語、情報から情報、人から人、あるいは本-物語-情報-人が入り乱れての、ネットワークの中をへめぐる不思議な流れにのみ込まれます。流されるようでもあり、流れと一体になっているようでもあり、偶然のあらわれも必然な文脈へと織りこまれていくようで、ともあれ、流れ、意識の流れというものを、『かわいいウルフ』のおかげで(だと私は思います)、身でもって体験したような気分になったと報告して、この感想文を結びたいと思います。コンテンツの総ては挙げきれず、増補版『かわいいウルフ OMAKE Edition Ver.1』にも触れられず(無料公開のはずですが、私まだ未読です)、名残惜しくもありますが、ひとまず、ここで。

またいずれ、「天地の拍子」(只野真葛)のあうときに、読んで観て、書きます。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?