引用と感想:『移住と実存』2022(企画・編集:瀬下翔太・太田知也・鈴木元太・池本次朗)

同人誌/エッセイ集を取り上げ、内容のいくらかを引用し、感想を付します。

書影

奥付

書名 移住と実存
企画・編集 瀬下翔太 太田知也 鈴木元太 池本次朗
アートディレクション/デザイン/DTP/写真 太田知也
発行者 瀬下翔太
発行日 2022年11月20日
印刷所 株式会社グラフィック

目次

はじめに 5
 編集部
地域活動と高校生の〈主体性〉――生活・活動・進路の語りから 9
 
鈴木元太
[座談会]不安の先で 23
 石井雅巳 畔柳知宏 山本竜也 瀬下翔太
結び目をゆるめる 51
 池本次朗
「田舎ぐらし」を表現するテイストについての一考――『ソトコト』、スローライフ、そしてインスタグラミズム 58
 太田知也
おわりに――道草の予示に抗して 74
 太田知也

引用と感想

 私たちが津和野町をいちど離れ、首都圏で暮らすようになって以来、ずいぶんと時間が経った。距離をとって初めて見えてきたものがある。
 真冬にみなで鍋を囲み語りあった日々、だだっ広い居間で卓球やゲームに打ちこんだ熱狂、何気なく始まった映画鑑賞会でスクリーンを見つめた瞬間。それらは何度思いかえしても、たしかに青春だった。同時に、その陰でむくむくと育っていった違和感や葛藤もまた、何度考え直しても、よき思い出では済まされない論点を含んでいるように思われた。
 できることなら本誌は、自分たちと同じように移住を経験し、地域と自分との狭間にあって違和感をもっている人はもちろん、進路選択や就職活動をはじめ、社会と自分との接点で悩みを抱えた人に届いてほしい。実存的な不安を癒せるとしたら、それは実直な内省によってこそ果たされるだろう。執筆と編集のさなかに味わった自己治癒の感覚は錯覚ではないと、私たちは信じている。

編集部「はじめに」p.8

『移住と実存』の編集部のメンバーはみな、2010年代後半に、関東圏からの移住者として、島根県鹿足郡津和野町で過ごしたという。立場と関係は様々だが、みな当初から付き合いがあったらしい。移住の経験と結びつけられた内容を安易に切りはなせないと一方では思いつつ、ここでいう青春のことや違和感や葛藤のことを自分事に重ねあわせてみたくもなる。自分は日本国内で何度か転居を体験したけれど、その折々での地域と自分のかかわりに思うところもあったけれど、個のありかたよりも折々に生じたり生じなかったりした集まりのことを今は考えさせられている。というよりは集まりのなかでの個の動きと、集まり自体の進むところ、というか。
集まり始めたり集まり続けたりするには企画が要るのだが、けれども当初の企画に沿っているのかどうかに関係なく何かをして盛りあがる瞬間が発生する集まりがあり、それはともだちや仲間での集まりということなのだが、かといって、目的ありきで集まるだけではともだちや仲間をしようとしても無理が残り、一緒に遊ぶとか暮らすとかだけでも何か違っていて、というか遊びや暮らしも企画の一種になってしまうので、たぶん大切なのは集まりの機能が変わる瞬間というか様々な方向への切り替えがなめらかに生ずることなのだが、そうなる集まりは長持ちするし、そのなかで個々人もいろいろつくったり、やったりするのが捗り、一緒に何かしたり何かつくったりも捗る、そういう印象がある。
自分で書いていて、どうにも長々しい文で具体性がない物思いだという気になってくる。例えば「[座談会]不安の先で」で話されているようなかたちで実際の体験や観察とともにある課題をつかんだり、言葉にしたりしたいのだが。あるいは「地域活動と高校生の〈主体性〉――生活・活動・進路の語りから」や「結び目をゆるめる」に記されているようなかたちで。

地方に移住すると、特に高校生や大学生、地域おこし協力隊の若者などは、「なぜこの町に来たか」としばしば問われる。僕はそれに対して、「答えない」という回答も尊重したい。「町」に焦点を当てて語ることが要求されると、無理にストーリーを生成してしまう恐れがあるからだ。地元住民に「なぜこの町に住み続けるのか」と問うことも同様である。住環境や職業は、自分自身の主体性だけで選んでいるわけではないのに。そんな無邪気な問いかけに対して、相手をまっすぐに見て押し黙ること。沈黙は、自分を守るギリギリの答えではないかと思う。

鈴木元太「地域活動と高校生の〈主体性〉――生活・活動・進路の語りから」p.22

「答えない」という回答も尊重すること、また「相手をまっすぐに見て押し黙る」のも答えなのだということ。これから、誰かとあたらしく知り合いになって話すそのたびごとに、これらを忘れずにいたいと思った。社交で話すことに慣れていくと、それはできることが増えるという意味で悪くない経験なのだが、いつでも同じような語り口や問いかけかたへと頼りがちになってくる、という自覚がある。自分は話せるようになった、自分は話してしまうようになった。このふたつの手応えを、どちらも手放さずに持ち続けたい。あと順番が前後するが次の一節も印象に残った。

 こうした文脈をもっと遡れば、地方の内発的発展論やVUCA時代における起業家精神、自己決定と幸福の関係、後期資本主義の問題などいくらでも論点があるだろう。当時の僕はよくわかっていなかったけれども、主体性はピュアに自分の内面から出てくるものなどではなく、社会的な規範を内面化した結果としてとして生まれてくる。ミシェル・フーコーの「規律訓練」や「主体」といった概念を知っていたら、高校時代の自分にとって免疫になったかもしれない。

鈴木元太「地域活動と高校生の〈主体性〉――生活・活動・進路の語りから」p.18

こういった省察があり、それは書き手自身の体験や観察、そこで思いや考えの記述のなかにしっかり馴染んでいる。そういう読み心地があった。自分はこういうものを読みたがるところがあり、自分でも書きたがるふしがある。ただし自分の場合は、もっぱら何かの話を読み取るとか聞き取るという体験に即してそういう記述をつくる傾向がある。話の話にしがちだと感じる。

 道草はやがて、正道になっていく。その意味で、ギャップ・イヤー的なる時間のうちでは、道草の経験はいずれ正道となることがあらかじめ約束されている――されてしまっている。どんな出来事もたいていは「良かったこと」になりえてしまう。しかし見方によっては、そこには小綺麗に整えられた舗装路しかない。じっさいにどこからか逃げたかったときの痛み、苦しみ、孤独の実感は、敷石の下で窒息している。
 だとしたら、とわたしは思うのだが、ひとつの道草が正道になりきってしまう前に、ことばを与えておいてやりたい。追憶の作業としてではなく、来たるべき忘却をみすえた準備の作業として、道草をありのままに思い出そうとして見たい。
「そしてそんなふうにあとにつづき、さらにそんなふうにあとにつづく。私たちは忘却されるまえに、キッチュに変えられることだろう。キッチュ、それは存在と忘却のあいだの乗換駅のことなのだ」(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、西永良成訳、河出書房新社、321頁)

太田知也「おわりに――道草の予示に抗して」p.74

おそらく編集後記に相当する文章の、その後半部を、結びの引用文も含めて引いた。ここで述べられている事柄を、読むという体験に、どうにも重ねてしまいたくなる。何かを読み進めるのと人生を歩むことを重ねる。思えば、ものを読むこと自体を、どこか人生の道草のように自分は思っているのかもしれない。必要に駆られて手にする読みものもいろいろとあるけれど、そうではなかったはずのさまざまも自分は読んでいた。でも、いつか役立つかもしれないだとか、いつか役立てたいだとかいう思いが、自分の心に兆しがちではあり、けれどそんな思いを口実にしてしまい、諸々をダラダラためこんだりもする。そして、思うに、読んだら書いたのだろうと自分で思うような書きものというものは、確かに、いずれ忘れていく道草の記録なのだった。

[了]

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