小さなメモ書き、別の場の想像:三野新写真展「クバへ/クバから」(2021.5.16-2021.5.23)初日瞥見

気がついたら2021年5月16日の夕べ、私はANB Tokyo(東京都港区六本木5丁目2−4)の前に居て、6階でなされている写真展「クバへ/クバから」へと向かっていた。幸い、当日での予約ができたため、入場できたのだった。

これは2020年の10月から進められてきた、写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」における〈仮設的な成果物〉のひとつという位置づけだった。

三野新本人と、山本浩貴(いぬのせなか座、写真集デザイン担当)とが会期中常駐するその空間では、開始(5.16.12:30)からたゆまず写真集の刊行に向けた作業(プロジェクトの振り返り、個々の写真の吟味、物語の立ち上げなど)がタイムテーブルで割り当てられて実行されているという。

私の見た限り、それらの作業は実際になされていた。それらは上演と呼ばれていた。そこでは〈「写真展開催/写真集刊行を可能にするものを模索する身振り」それ自体を内部に含みこんだ写真展〉が試みられていたのだった。

(なお、空間設計を担当した建築家コレクティブGROUPや、施工に携わった金属加工のstudio HOHO、そして来場者への対応などをする当日運営など、様々なスタッフの名が上記サイトには挙げられており、それも「写真展開催/写真集刊行を可能にするものを模索する身振り」のひとつと思われた。)

空間を、不可識別な余白と捉えるのを止める。実際、どこにだって、替えがきかない各々の場所があり、その集まりがある。そう捉えてもいいはずだ。例えば一枚一枚をどれでもいい白紙ではなく、これっきりの、それぞれ特異な形態を備え質感をもたらす、白みある紙として捉えるように。それ同様、どの地点も中空も、交換できない何かとして、現にそのようにあるのだと。

そう捉えるとき、写真を撮り、それを見るとはいかなることか。そう捉えるとき、おそらく、もはや次のようには思えない。すなわち、ある瞬間、ある地点そして時点を、「Ctrl」+「C​」でコピーするかのように撮影し、どこであれ構わない何かの面に「Ctrl」+「V」でペーストするかのように印刷し、いつどこでを問わず呼び出せる持ち運び可能な仮想空間として使用できると想像することは、できない。撮るのも視るのもそれだけでは済まなくなる。

旅行動画(の収録や編集や配信や視聴)に伴うのとは異なる事態が写真展・写真集で生じねばならない。どのような異なりがどのようにして生ぜしむるのだろうか。そこでもたらされるのは、形になるのは、いかなる振付けか。

このような問いが展示を瞥見した自身に課せられてくるかのように私は感じられたが、私の上の言葉は粗いから、然々の体験にかこつけて日ごろの思いなしを書き連ねただけではないことを、この体験があってこそ、こう思いを馳せたのだと示せるようなことを、さらに書き込まねばならないだろう。

エレベータの扉が開くと向かって正面の壁面に印字された作家の名や写真展のタイトルが眼に入るけれど妙なものも眼に入る。それは灰色の床にテープで留められたメモ用紙で、そこには手書きで「ここ全体が「戯曲」の空間である」と記されている。入口すぐの左側の壁にも「ここが現実であるという認識」と、手書きで記されたメモ用紙が、同じく貼られている。フロアの窓を通して、閻魔坂につながる、外苑東通りの街並みが眼下に広がっている。

そのようなものを目にしながら、三野と山本たちが"上演"を続けている空間(アトリエスペース)に、ひとは、まず入ることになる。写真集として編み上がるはずの写真群ないし画像群と、それ以上の諸々をそこで目にすることだろう(一例。その場にはグレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学』があったことを、私は覚えている)。そこを横切ると、フロアを降りる階段があり、そこには「仮の出口」とのメモ用紙が貼られている。その奥には「 ↑ ここから過去」と記されたメモ用紙があって、写真や映像、編集会議の資料などが配置されている。少なくとも、私が見たとき、そのような場になっていた("上演"は続いている。配置など様々が変様していくかもしれない)。

途中から着席して中途で退席するような仕方で(つまりある日の小一時間のあいだの幾らかのみ)私は"上演"を瞥見しただけだから、ふたりのあいだで話されていた内容について語る言葉を私はあまり持たない。以下では〈仮〉に着目し「写真集制作/上演コンセプト」に関わると思しき話をしていく。ここでの「仮設的」や「仮の出口」は、見立てに関する簡素な指示にも映るメモ書きと相まって、現に事物を鑑賞する代わりに痕跡から想像を働かせるような所作(を飾るような、記憶の風景や物語世界やサイバースペースなどの空間的比喩の援用)が念頭に置かれているようにも映るが、そこに棹差すというよりも、そこを通例とは別様に掘り下げることが主眼だと思われた。

三野は「現代の恐怖の予感を視覚化する」というテーマを掲げて活動しており、この写真展もそこに根差したものと言える。「恐怖の予感」という語を現にある脅威と別のものと解しておく。つまり、想像されるものと解する。それは希望と同様に、明暗や色彩のついた、不確実性のことであると捉えておく。恐怖は望ましくないが、執着の対象となる不確実性という意味合いでは、希望と同根である。おそらく私たちは不確実性の探求につかれている。希望から回り道して恐怖に話を進める。希望も恐怖も具体的な形がないからその比喩的な形象を考える。ここでは、支持体としての紙のことを考える。

白紙は希望の比喩としてしばしば採用される。あらゆる選択肢が、選びさえすれば実行できる。そうした望ましさ、豊かさが、何であれ思い通りに書き込めるものとしての白紙に、託されることがある。例えばレオ・ベルサーニは「精神分析と美的主体」(2006年)で、ある小説のいたるところに出没する「ものわかりのよい白みreceptive whiteness」*1を論じている。ただし批判的に。というのも、その白みに託されるのは、外界が己の内面での願望通りに整形されるという無謀な夢想であり、ベルサーニによれば、その夢想が他者や自身への悪しき攻撃性の根源だからである。スピノザと繋げれば、自己が身体を所有しているから思い通りにできるという発想は、自分の所有する机に草を食べさせることができると考えるような無理を含んでおり、要するに他行為可能性を過大に見積もることが(思い通りに動けない)自分への鬱憤や(自分が同じ立場ならずっとマトモに振る舞えると思ってしまう)他人への苛立ちを悪化させているというのが、ベルサーニがそこで、「ものわかりのよい白み」を批判する理由のひとつであった、とまとめうる。制御や応答を反実仮想することが、ひとをリベンジ的反復へ駆り立てる構造がある。

その日、「クバへ/クバから」の会場には一枚の白紙があった。より詳しく言えば、裏側に何らかの字が書かれたとおぼしきメモ用紙が床に貼りつけてあった。会場のほかのメモ用紙は表側に字が書かれていたのだが、その一枚だけは"裏返し"になっていた。青いインキが滲んでいたから、何かが書かれていたのは確かだが、読み取ることはできなかった。片端がテープで留められているだけだから、他と同じように貼られていたのが、何かの拍子に"裏返った"だけかもしれない。だが「ここ全体が「戯曲」の空間である」というのを真に受ければ、全ての事物が――壁や床の模様が顔に映るがごとく――意味を帯びてしまう(ものとして享受するよう、つくり手に期待されている)かにも思える。――だが、不確実性に思いを馳せるには、スパイラルリングから引きちぎられた痕も露わな小さなメモ用紙、青い油性ペンで字が書かれただけのそれは、その大掛かりな空間の中であまりに"みすぼらしい"ものではないか。墨書などとも異なる手書きの文にそこまでこだわるのを、いぶかしがられるかもしれない(あるいは、つくり手への裏切りめいた感想なのではないかという、おそれは確かに感じている)。しかしこの何気なさ、劇的でなさ、それでいて全てに浸透してしまう一撃性のことを、考えたい。紋切型化した"イノベーション"の幻に抗って、不確実性を探る試みとして。いわば"ワンチャン"に耽溺するか唾棄するかの二者択一から抜け出るために。脱呪文的に(?)、小さな一撃による光景の一変というイメージを探ること。

当世風の希望と恐怖は"ワンチャン"と結びついている。言ってみれば、"ワンチャン"で別の世界が到来するという可能性と(その世界がユートピアかディストピアかは問わない)。例えば異世界転生。それだけでは真に受ける気にならない場合は、批評家フレドリック・ジェイムソンとSF作家キム・スタンリー・ロビンソンなどをさらに挙げてもよい。ジェイムソン「アメリカのユートピア」を受けて書かれたロビンソンの短編「マットとジェフはボタンを押した」(2016年)の一節を見てみる。「君は十六のコードを変更できる、鍵を大きな錠に差し込んで回すみたいに。鍵を回す、そうすれば何もかもが悪から善に変わる。このシステムは、人を傷つけるのではなく助けることになるんだ。景観は復元され、絶滅は止まるし、食物は育ち、最良のクリーン・テクノロジーが配備される。グローバルなシステムだから、離反者も外に出られない」*2。あたかもデスゲームのように理不尽に到来するユートピアやディストピアをひとはイメージできる。「 ↑ ここから過去」のような指示はこの「コード」のように一撃で全体のありようを一変させることを志向している(それを「指令語」という言葉で捉えることもできるだろう*3)。

不確実性を通して、こうした、タガの外れた激変の可能性を考えるのが今日の流行のひとつであるが、それには相応の経緯があったのではないか、と私は見込んでいる。思弁的実在論と金融危機の関係を考えてみよう。メイヤスーが偶然性の必然性を論じていたゼロ年代は世界同時金融危機が起きたゼロ年代でもあり、ひとはランダム性を捉えそこなっていると論じたナシーム・ニコラス・タレブが取りざたされたゼロ年代でもあった。「いかなるものであれ、しかじかに存在し、しかじかに存在し続け、別様にならない理由はない。まったく実在的に、すべては崩壊しうる。木々も星々も、星々も諸法則も、自然法則も論理法則も、である」*4。法則の変化と世界の脆さとを結びつけるメイヤスーにおける独特の恐怖の感触は、おそらく、サブプライム・モーゲージという金融商品が、住宅ローンの不良債権化の露呈(機関による信用格付けが一週間足らずのあいだに最上級からガタ落ちして、格付け機関の意義自体が問われた)によって価値を失う事態がもたらした、恐怖の感触と似ている。ルールが理不尽な仕方で変化し、通用するはずだった何かが、理不尽に無効になること、それらに通じ合う、ある恐怖の感触がある。

むろんアメリカで低所得者・低信用者向けの住宅ローン(サブプライム・ローン)が広まり、その債権が金融商品に仕立て上げられて遂に破綻するまでの過程は単純ではないが、そこでクオンツが槍玉にあげられ、数学的知識や統計的手法への(情報の非対称性とも関わる)なんとなくの信頼がなんとなくの懐疑に反転した面は、あったはずだ。タレブがファット・テール現象を黒い白鳥の発見になぞらえて論じて注目されたように〈考慮しがたいほど稀だがルールを変えてしまうような激変〉を適切に予感すること――うまく激変に備えあわよくば便乗すること――が根深い幻想のひとつとなってきた。日本で、2011年以降にリスクの語が浸透する以前から、激変と不確実性への執着が、こうして培われていた(ある種の完全情報ゲーム化へと切り詰められた俗流リオタール的ポストモダン観への懐疑そして"確率性"への関心は、より昂進したのだった)。アクシデントの到来による理不尽なルール変更の恐怖と、それと表裏一体の、危機に"適応"し成功する"ワンチャン"の夢想。

希望が何でも書き込みうる白紙の不確実性であるとすれば、恐怖は何を書き込んでも紙自体が引き千切れてしまうかもしれない不確実性のことだ。この不確実性が癒えがたく思えるのは、その治癒の試みが(例えば何をやっても無駄だという)怠惰論法に誘導されがちだからだろう。楽観でも悲観でも、他行為可能性の過大ないし過少な見積もりが問題であるというわけだ。完璧主義の裏返しの無能感は、ある程度はこのように説明できるだろう。ただし他行為可能性の完全な測定は初めから破綻した夢である。もし、ある時点であるひとに可能なあらゆる行為が当人によって数え上げうるし、それを踏まえて行動できるはずだと主張するならばそれは無謀だし、どこまで踏まえればマトモかと線引きを試みるのは「ものわかりのよさ」の談義でしかない。


青い字の書かれた白い小さなメモ用紙にこだわる私の書き込みは、あまりにバランスを欠いていることを私は自覚する(一方的な解釈=労働の押し付けなのではないかと自省する)。しかし余白や中空に質感を込めることこそ、この試みの中心コンセプトだったのではないかとも私は思っている。展示キャプションには中心コンセプトとして「中間=浜=余白を設計する」と記されており、写真集に関しての記述だが「読者が余白に重い意味を見出してしまうように、(余白こそを)レイアウトしていく」という一節も見られた。

「余白」へと意味を込めるデザインは、他にも見られる。例えば、アトリエスペース。ふたりの"上演"を観劇する位置に置かれた木製の壇は踏むたびにギシリと鳴り、私は身体の重みを運ぶことを意識せざるを得なくなる(それは音の反響具合で窓の傍から聞こえたように私には感じられ、ラップ現象の連想に私は陥った)。また演者と観客のあいだを遮るようにしてしか奥のスペースに向かえないような配置になっており、その空間を横切り、一時的にその中空を占める身体(が発揮する効果)というものには壇に座ると座らずと意識させられるはずである。あるいは、時間設計。会場で数時間を費やせば"観劇"したことになるのか、数日間を"通し"で体験することが本来的な"観劇”なのか、または「上演タイムスケジュール」上でのひと区切りを以て"観劇"体験を語る有資格者として振る舞ってよいのか、というような問いが来場者には課され、これは自分が立ち会わない空白の時間の会場を、鑑賞者としていかに心得るかという省察へと導く。己の"上演"鑑賞の体験の考察に、否応なくその不在の空間、空白の時間の解釈が絡むことになる。鑑賞者を「余白」の解釈に誘う様々な「レイアウト」がそこには見出されてしまう。

あらためて"みすぼらしい"メモに戻る。私がそこに、過剰なまでの意味合いを読み込むためには、たしかに展示空間全体の「レイアウト」が必要だったのであり、この展示は「余白」の放置ではなくて「余白」の縁取りを試みてそれを現に為していた、と私は捉えている。ただし、そうした"無"の造形の常として、一切がなんでもないこととして顧みられなくなるリスクも、そこには感じられた(それ自体が「恐怖」的な緊張感をもたらしてもいる)。あのメモ用紙は、今も裏返っているのだろうか。何と書いてあったのだろう。


上で書かなかった色々な話もある。例えば「過去」として示されたそれぞれの画像のこと、また鑑賞体験に伴なっていた人的交流(色々なやり取り)、そして何より、沖縄、東京といった場の、地勢や歴史などと写真の関わり。私の知識の不十分もあって、「中間=浜=余白を設計する」という中心コンセプトと、それらの脈絡をうまくつけることができなかったと私は感じている。しかし、これ以上ここで独り善がりに書き込むのは止め、ふたりのまだ続く"上演"や、そこで他の来場者が空白(と空白以外)に見出して書き込む諸々などを眺めつつ、改めて自分の体験を吟味したい。一先ず、擱筆する。

Note:

*1 Leo Bersani「Psychoanalysis and the Aesthetic Subject」『Critical Inquiry Winter』2006冬, p.173を参照。なおベルサーニは次のようにも論じている。「我々の不安、あるいは我々の欲望がかたちをなすことに世界はいつも抗するのだが、しかしまたその中で我々は支配する必要性とは独立して世界に居るのである。外部の現実性は、初めは情を掻き立てる猛威として現前するかもしれないが、しかし精神分析が――芸術のように、とはいえそれよりも論証的な様態ではあるが――我々が我々をまず先立って世界の中にいるとみなすように、また、奇妙に聞こえるとしても、世界が、存在論的に、我々をいつくしんでくれているとみなすように、我々を導いてくれるだろう。The world will always resist embodying our anxieties, or our desires, but we are also in it independently of our need to master it. External reality may at first present itself as an affective menace, but psychoanalysis—like art, although in a more discursive mode—might train us to see our prior presence in the world, to see, as bizarre as this may sound, that, ontologically, the world cares for us.」(p.174)。外界に圧倒され思い通りにならないとの悪しき感触を、精神分析と芸術の読解を通し、いわば憑き物落としするのがベルサーニの試みである。

*2 スラヴォイ・ジジェク編『アメリカのユートピア:二重権力と国民皆兵制』(田尻芳樹・小澤央訳,書肆心水,2018年)pp.118-119参照。今日のユートピア/ディストピア論について、ジェイムソンは、あるべき精神分析家の所作を援用しつつ、こう述べている。「何か別のことについての調査だと思わせることでアンケート調査をする社会学者のように、患者を間違った方向に導くように見えるのがベストなのだ。そこから「自己認識」が、遠くへの一瞥や幸運な偶然のように立ち上るのである(そもそも存在しない何か――いわゆる自己――についての認識がありうると仮定しての話だが)。ユートピアを構想する者はそのように歩まねばならない。[……]ユートピア的思考はまず、ディストピアの根本的治療を含まねばならない。そうして初めて、自らの不可能な夢想をつむぎ始めることができるのだ。[……]今日、あらゆるユートピアは反ユートピア的恐怖の精神治療として、それらの恐怖を白日の下にさらさねばならない。そうすれば悲しい情念が目のくらんだ蛇のようにのたうちまわることになるだろう。さらに、それを甘やかせてやらねばならない、なぜなら、悲しい情念を完全に治療するには、それを情熱的に抱擁し、心から指示してやるのが一番だからである」(『アメリカのユートピア』pp.67-68)。

*3 「指令語」に関してはドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』4「1923年11月20日――言語学の公準」の以下を参照。なお、引用中の「非身体的」は非物質的と解した方が意味が通る気がする。また引用中にあった語「過大評価」は、仏語原書が確認できなかったが、英訳を参照し「成年majority」に改めた。「総動員の政令は、身体の、非身体的で瞬時の変化を表している。身体には、年齢、成熟、老化がある。しかし、成年、定年退職、あれこれの年齢の区分は、しかじかの社会において瞬時に身体のものとなる非身体的変形なのである。「お前はもう子供じゃないんだよ」。この言表は、たとえ身体について言われ、その行動と受動に干渉するにしても、やはり非身体的変形に関するものである。非身体的変形とは、その瞬時性、直接性、それを表現する言表と、この変化が生み出す作用との同時性によってたしかめられる。このため、指令語は、時、分、秒にまで正確に日付を持ち、日付を得るのと同時に正確に効果を発揮する」(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー:資本主義と分裂症』上巻(宇野邦一ほか訳,2010年,河出文庫)pp.174-175)。

*4 カンタン・メイヤスー『有限性の後で:偶然の必然性についての試論』(千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳, 2016年,人文書院)p.94を参照。この一節を、"ホラー"に引き寄せて読む際に念頭にあるのは、例えばメイヤスーの次のようなSF(から来たるべき小説を待望する)論でもある。「私には、さらなる可能性があるように思われます。伝統的なサイエンス・フィクションから出発し、それを世界の転覆によって科学外の者へと変質させ、次第に居住不可能になっていく世界に向けて、こうした状況悪化の企てを推し進めるのです。その結果、物語自体も徐々に不可能になっていき、自らに固有の流れへと閉じ込められたいくつかの生命を、さまざまな突破口のあいだで孤立させるに至ります。この生命は自ら科学なき精神的な経験=実験を行い、ますます際立ったものになってゆくこの逸脱のなかで、あれこれのことに関する前代未聞の何かを見出すかもしれません」(「形而上学と科学外世界のフィクション」『亡霊のジレンマ:思弁的唯物論の展開』岡嶋隆佑ほか訳, 2018年, 青土社)p.144。こう語るメイヤスーが例に挙げるのは、突如として電気が消滅する(観測できなくなる)ことにより都市の人々が被る破壊的影響を描いたバルジャベル『荒廃』(『世界SF全集』25巻所収, 竹田宏訳, 1971年)だった。

[了]

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