レオ・ベルサーニ『ホモズ』(1995)読書ノート:「プロローグ:”We”」[1‐10頁]

はじめに

ここではアメリカの文学研究者レオ・ベルサーニ [Leo Bersani,1931-]の著作『ホモズ [Homos]』(1995)を取り上げていきたいと思います。ベルサーニは1980年代頃からの批評によって(賛否ありつつ)クィア理論の先駆的な書き手として評価されています。批評では本人の専門であるフランス文学のほか、哲学や美学に精神分析学、視覚芸術(絵画や映画など)や社会的潮流といった幅広いトピックに触れており、いわば文人的なスタイルを取る著述家と概括してもよいでしょう。『ホモズ』は刊行時点で60代だった著者ベルサーニによる先鋭的な評論集だったと言えるように思います。この記事の趣旨は自分なりに『ホモズ』を読み、随感や疑問をまとめてみるというものです。私がどういう関心を持っているか、そもそもクィア理論とは何かなどに関しては後で引用する藤高和輝論文や以下の記事などをご覧いただければ幸いです。

実はベルサーニ『ホモズ』にはすでに日語の翻訳が存在するのですが、それを読むとき、私は少し不便に感ずる気持ちを否むことができません。 実際、船倉正憲が訳者となっている1996年出版の『ホモセクシュアルとは』(法政大学出版)には、訳文の出来や、あとがきの言にうかがわれる訳者の姿勢などの点に関連して、刊行された同時代から批判の声が挙がっていたようです。

上記記事でも挙げられていますが、日訳では冒頭からベルサーニの引用するモニック・ウィティッグの文言を訳し間違えて真逆の内容を記しています。たしかに、ウィティッグの先鋭的な考え――従来の「女性」という枠組みを抑圧的な性別二元論に基づくものとして拒否し、その従来の抑圧的体制から脱した新たな枠組みとして「レズビアン」を打ち出すというもの――は一般に飲み込みづらいものだろうと思う一方、初っ端から意味を真反対に訳してしまった日訳の出来に不安を覚えてしまう気持ちを私も否めませんでした。

べルサーニ『ホモズ』の議論が同時代に発揮していたであろうインパクトに関しては、以下の記述が端的にまとめているように思います(なお、引用部に続く段落で、同じくクィア理論の書き手として知られるリー・エーデルマン『ノー・フューチャー』の内容も概括をされており、勉強になりました)。

 ベルサーニは『ホモズ』のなかで、クィアの言説が「抹消」の言説になってしまう点を指摘している。「ゲイとレズビアンは、自分がどのようにしてゲイとして、レズビアンとして構築されてきたかを自覚するほど洗練されたとき、その瞬間に姿を消してしまったのである。特定のゲイのアイデンティティを疑うこと(とホモセクシュアリティの病因論的な調査に対する相関的な不信)は、規範のヘゲモニックな体制への抵抗に必要不可欠な根拠そのものを除去する、という奇妙だが予想された結果を招いてしまった。私たちは自分たちを構築した認識的、政治的体制を脱自然化するプロセスのなかで私たち自身を消去してしまったのである」(Bersani, 1995, p. 4)。このように、たしかにアイデンティティを「疑う」必要はあるものの、そのような試みは結果として、ゲイやレズビアンの存在を「抹消」しようとするヘテロ・ノーマティヴな社会の要請をある意味で実現してしまうという逆説的な可能性があるのである (Bersani, 1995, p. 5)。それに対して、ベルサーニはアイデン
ティティを性急に「乗り越える」よりも、それを「たとえ一時的にではあれ受け入れる」(Bersani, 1995, p. 5) べきであると主張し、さらに彼はゲイのアイデンティティや欲望をラディカルに引き受けることを通して、そこに自己同一性をむしろ破壊してしまうような「ホモ‐ネス」を見出そうとした(したがって、彼がクィアを批判したからといって「本質主義」「アイデンティティ主義」であるとみなすことは誤りである)。
藤高和輝「アイデンティティを引き受ける : バトラーとクィア/ アイデンティティ・ポリティックス」(『臨床哲学』第16巻 2015年 29頁)太字は引用者

以下は自分の読書ノートであり、範例的な解釈や位置づけを保証できるものではありませんが、ほかの方々の妨げにならずに、資するところをもちうるとすれば、たいへん幸いに思います。

ベルサーニ「プロローグ:”We”」私訳

以下Leo Bersani「Prologue: “We”」(『Homos』1995所収)の私訳である。
※発表された時期と場所(1990年代中頃のアメリカ)の時代状況を念頭に執筆されているため、2020年現在の日本で読んだとき、必ずしも十分に適切とは言いがたい表現も含まれている。可能なものは「コメント」で補足する。
原文イタリック体は太字で表記する。原文の注は(原注)と表記する。
便宜上、各段落に番号を付した。[ ]内は筆者による補注。

1:誰もホモセクシュアルと呼ばれることを欲しない。その名で呼ばれることがキリスト教原理主義者に抱かせるであろう嫌悪感の理屈はわかる。我々の社会における、ホモ/ヘテロセクシュアルなる分水嶺において人々が占める立ち位置に付き物であるような種々の無理強いとか特別扱いとかを考慮するならば、たいていは公然とゲイの大義に共感してみせるストレート[異性愛者]の側にある、彼ら自身も己の権利を健気にも守ろうとしている当事者[同性愛者]のひとりであるなどと誤認されたくはないという熱望もまた、把握はできる。ホモセクシュアルだと晒し上げられてしまったら公私にわたり破滅するのではないかと、正夢であれ杞憂であれ、恐れているような隠れゲイや隠れレズビアンに共感することさえも可能であるかもしれない。いっそう不可解になるのは自らをホモセクシュアルの運動家や理論家だと規定する側での「ホモセクシュアリティ」への嫌忌である。それだけではない。私の念頭にある運動家や理論家は、単に字面を変える(ホモセクシュアルに代わって、例えば、ゲイやクィアにするといった)企てどころの話ではなくて、彼らが選んだ名乗り口では、どんな用語を使うのであってもその用語と切り離しがたくつながっていると我々が想定してきたはずのリアリティを、もはや指示しないのだと主張している。モニック・ウィティッグから、「レズビアンは女性たちと協働し、愛し合い、共に暮らすのであると言ってしまうのは不適切であろう」と、また、ジュディス・バトラーから、レズビアンたちが共有しているのはただホモフォビア[同性愛に対する恐怖症じみた嫌忌]がどのように女性に対して働くのかに関する知識だけであると、また、マイケル・ワーナーから、クィア性は「ノーマルという体制への反抗」の決意によって特徴づけられると学ぶのは(原注1)、今日の文化状況に関心はあっても理論的には素人である観察者にとってすれば、ものの見方や考え方へと何かしらのショックを与えるものであることだろう。これらの物言いは、セクシュアリティとジェンダーへの問いに取り組んでいる昨今の最も独創的な書き手3名によりなされたものだが、定義が危機にあるということを示唆している。「ホモフォビックなレズビアン」は撞着語法なのだろうか? そして「ノーマルという体制」を全く快適に感じつつそれはそれとして他の男たちへと欲情しもする男たちがいる、と我々は重々承知である以上、クィアとはエロティックな傾向性であるよりもむしろ政治的な線引きであるなどと今なお捉えるべきであろうか? もはや少年が、彼がそのことを好むと好まざると、自らはクィアなのだと発見することはないだろう。その代わりに、我々全員が――我々のクィアさが性の枠組みとして法外なほど確立されたものだと見なすようになってから何十年経ったとしても――そうした名乗りと今日に話し合われているような尊厳とを求める必要があるだろう。

(原注1)モニック・ウィティッグ『ストレートな精神、その他のエッセイ』(ボストン、ビーコン出版1992年)、32頁。ジュディス・バトラー「イミテーションとジェンダー的不服従」(ダイアナ・ファス編『インサイド・アウト:レズビアン理論、ゲイ理論』ニューヨーク:ルートレッジ1993年)、17頁。マイケル・ワーナー「イントロダクション」ワーナー編『クィア惑星の恐怖:クィア政治と社会理論』(ミナソタナポリス、ミネソタナ大学出版1993年)、xxvi頁。

2:この本の中の多くで私はこうした再定式化が歓迎すべきかつ抵抗すべきものだと議論していくつもりである。自己が何者かを規定する運動全てに対する被害妄想的な不信の証左としてそうした再定式化を論じるのは易しいことであるにせよ、そのような不信には瞠目すべき歴史的な理由がある。ある種のエロティックな嗜好を「性格」へと――エロティックな水準で決定された本質へと――仕上げるということが、科学的な企てとして興味を惹かずにあることは決してなかった。アイデンティティを固定しようとする試みは学問的な企てに付き物である。一望監視的な展望はそれを見渡す人間という対象を首尾よく不動の何かにすることに依拠しており、そして、ミシェル・フーコーによってよく知られることになった議論だが、セクシュアリティは今や、操縦可能であるようなキャラクター的な諸類型へと立ち振る舞いを戦略的に変えていくための原理的な枠組みを提供するものとなっている。いったん「ホモセクシュアル」なるものそして「ヘテロセクシュアル」なるものがそのような類型の最初にくる範例だとみなされてしまったからには、明確に境界付けられ首尾一貫させられたアイデンティティへと人間主体を囲い込まんとするいかなる努力も見込みあるものとなってしまうだろうことは、おそらく不可避だったのだ。

3:ゲイ・アイデンティティを仕上げるという企ては、それがホモフォビックな抑圧への反抗の行為として思いつかれるものである一方で、それ自体信用ならないものでもあっただろう。この手のアイデンティティが強制退去に遭わないために、白人で、中産階級で、リベラルなゲイのアイデンティティだと容易に認識できるようなものが強調されてきていたのではないか? さらに言えばそうした強調の行為自体が、それが述べるところの当該階級のしぐさ、というかむしろインテリ病と呼ぶべきものだったのではないか? 愚直なゲイ・アイデンティティの探求はそれが見出されるはずの領野に前もって定められてしまっているが、というのもレジャーじみた探求の活動がそこで明らかにされようとする当のアイデンティティを特徴づけているからである。「ゲイ・アイデンティティ」なるものは、ゲイのあり方が色々あるだとか、性的な振る舞いが決してただ生物学的な性の疑問にとどまらないだとか、我々が社会的また文化的に位置づけられる、性的ではない、さまざまな他のやり方の全てにも「ゲイ・アイデンティティ」が組み込まれているだとか主張することで、そこに自分自身が所属すると(また同様に除外されると)認識するように大勢の者を誘ってきた。ゲイ・アイデンティティへの意図的な反抗は、そこにある当該の一貫性によって、それが抗しようと試みるところの制約を課しまた可動性を奪うような諸分析を繰り返すだけになってしまうのだ。

4:それにとどまらない。なぜ性的な好みがまずもってアイデンティティの秘鍵であるべきだというのか? そして、もっと肝腎な問いとして、なぜ性的な好みそれ自体を、ホモ/ヘテロセクシュアルという対の機能を通してのみ理解すべきというのか? この対はエロティックな身体を堅苦しくジェンダー化されたセクシュアリティの中へと収監するが、そこでは快が、生物学的な性差のあいだにある生殖上の違いに属する機能として認識かつ正当化されてしまう。挙句には、ワーナーが記していたように、このようなシステムの中でジェンダーの違いは「人々の間にあるそれ以上には還元できない現象学的な違いのしるし」(原注2)になってしまう。「ホモセクシュアル」なる呼称に賛同することのゆゆしき帰結は今や明々だろう。すなわちその用語は、我々が受けてきた同じさと差異に関しての、――つまり、我々が途切れて他者が生ずるところについて、そして他者性という軋轢がどこで、どのようにして、我々という自己の拡がりをブロックするのかということについての、我々の自己形成的な知覚に関しての――根深くバイアスのかかった文化的教化において中心的であったピースのひとつなのである。

(原注2)マイケル・ワーナー「ソローの底」『ラリタン[Raritan]』第11巻(1992年冬期)、65頁。

5:しかし、もしアイデンティティへの上述のような疑いが必然なのだとしたら、それらが解放につながるものであるとは必ずしも限らない。ゲイとレズビアンは、彼らがどのようにゲイとレズビアンとして構築されてきたのかという洗練された所見の中でほとんど消えかかっている。具体的なゲイ・アイデンティティというものを信じない態度(そしてそれと相関して、ホモセクシュアルについての原因論的な調査を当てにしない態度)は、いみじくも、ノーマルなるものの覇権的な体制に抵抗するために必須の基礎を取り除くという、好奇心をそそりはするが予見できていたはずの結果をもたらしたのである。我々は我々を構築してきた認識論的また政治的な制度を脱自然化する過程の中で我々自身を消し去ってしまった。こうしたシステムが発揮する力に関してはそれらの「単なる」歴史的特徴の実演によって最低限度の論議がなされるのみである。支配のためにはそれらのシステムが自然なものとされなくともよいのだし、それらのシステムの脱神秘化が機能停止をもたらすわけでもない。もし今日、多くのゲイがホモセクシュアルというアイデンティティを、他者によってゲイ宛てに錬成されてきたそれとして、拒絶するならば、支配的なヘテロセクシュアル社会もまた支配の特権を享受しまた行使し続けるためにそれらの自然さへの信憑を必要とはしない。我々自身がそうあるよう強制されたアイデンティティを疑うのだから、我々は規範的な諸アイデンティティを転覆的にもてあそぶことになる――例えば、何が家族を構成するかに関する通例の想定に立ち向かう共同体のために家族なるものを「意味づけなおす」ことを試みる。これらの努力は、価値のある一方、転覆的というよりむしろ同化的な結果ももたらしうるのであり、自身を「脱ゲイ化」する中で、ゲイたちは彼ら自身が土台を崩したと思うことを好む文化の中に溶け込んでしまうのである。あるいは、支配の終焉という、あるクィア理論家いうところの「千年紀的ビジョン」を「現実主義者風に」放棄することで(原注3)、我々は参加型民主主義と社会正義のためのローカルな闘争とミクロ政治を甘受し、かくて我々を「グローバルに考え」て「ローカルに行動」するよう要請する車のステッカーのきらめきと同程度の感動的な政治的抱負を表明するというわけである。

(原注3)スティーヴン・シドマン「「ポストモダン」ゲイ文化におけるアイデンティティと政治」(『クィア惑星の恐怖』所収)137頁。

6:ゲイらしさとされてきたものの「脱ゲイ化」にはホモフォビックな弾圧の強化しかできず、脱ゲイ化こそがホモフォビアの主目的を完遂する。つまりゲイの消去を。自己消去の帰結は……自己消去である。支配的な地位にあるアイデンティティ主義者の体制によって洗練された当該カテゴリの暫定的な受認でさえ、シンプルな消去の活動よりも効果的に、前述してきた強制力を弱体化させるかもしれない。例えば、ホモセクシュアリティというカテゴリは――ホモフォビックに培われてきたとはいえ――安定したアイデンティティの割り当てによって助長される訓育的なデザインと反目する、非決定性や可動性をその中に含みこんでいる。その上、ホモセクシュアル・アイデンティティに関するゲイ批評は概して脱セクシュアリティ的な言説であってきた。わからないだろうが、私の議論している作品の多くでは、ゲイたちが、彼らの多様性にもかかわらず、解剖学的に男性として同定されるような他の人間に強い性的関心を抱いている。セクシュアリティを「社会分析のための基礎的なカテゴリ」(原注4)にしようとするクィア理論における昨今の試みでさえ、セクシュアルなものの政治的な生産性を辿ってみているというよりむしろ社会制度の分析にまた別のカテゴリを単に付け加えているのである(諸制度の中に組み込まれたセクシュアリティについての規範的な仮定を明白にすることで)。私が他のところで書いたように、セクシュアリティが常に政治的に扱われるものだというのが議論の余地なく真だとしても、そこで性行為をすることが政治に関わるそのあり方は極めて解決困難なものである(原注5)。例えば、ゲイたちのペニスにおけるエロティックな快は、彼が家父長的なファルスへの不服従な関係として考えることを好むようなものを、どのようにして屈曲させ、あるいは危機にさらしているのか? どんな仕方でその快は、大文字の法への、つまり彼が自身ではただ転覆させているだけだと考えるのを好むであろうような支配と従属の家父長的構造への、彼の傾注を、緩和すると同時に強化しもするのだろうか?

(原注4)ワーナー『クィア惑星の恐怖』、xv頁。
(原注5)レオ・ベルサーニ「直腸は墓場か?」(ダグラス・クリンプ編『エイズ:文化的分析、文化的アクティヴィズム』ケンブリッジ、MIT出版1988年)、206頁。[「直腸は墓場か?」日訳は『批評空間』第2期1996年1月号に所収、酒井隆史訳。]

7:おそらく不運なことに、だが真実、我々は、ヘテロセクシュアルな規範とジェンダー構造という、自然であるとか、あるいは自らでアイデンティティを定めるための全ての選択肢を使い果たしているとか考えることが我々にはもはやできないものの内部で、欲望することを習得してきた。押し付けられたアイデンティティの脱構築が、欲望の習慣を消し去ることはないだろうから、その欲望の内側からアイデンティティへと抵抗することを試す方がより有益かもしれない。男同志または女同志のあいだでの欲望とは「同じであるもの」への欲望である、といった想定を疑うための十分な基礎があるとはいえ、我々が欲望することを学んでいく時期がその想定の中で生じているがゆえに、ホモセクシュアリティが、同じさの特権的モデル――同じさの関係、同型-関係[homo-relations]における限界ではなく、その計り知れない価値に関する目録をつくるような――になることができるというのもまた真である。おそらくゲイの欲望において付き物であるものこそが、ヘテロ化された社会への革命的な馴染めなさである。もちろんこれは我々の知る通り社交性を意味しており、そして私がゲイの欲望において探究するつもりでいるホモネス[homo-ness]の最も政治的な破壊力のある面は、関係性それ自体から差し当たり離脱するよう要請していると映るであろうほどにラディカルな仕方で、社交性を再定義するという面なのである。

8:この困難なプロジェクトは、ジッド、プルースト、そしてジュネによる作品を経る第4章[「ゲイ・アウトロー」]において敢行される予定である。そこでの論述は本書のほかの部分でなされた議論に寄せた文芸批評という多かれ少なかれ楽しめる補遺とみなされるべきではなく、代わりに、それらの議論が持つ説得性にとって絶対的に重要なものとみなされるべきである。私が論じた書き手たちは――現今のゲイとレズビアンの理論家とは際立って対照的に――彼らがホモセクシュアルな欲望の中に発見した反共同体主義的な衝動に魅力を感じている。我々自身の議論からは遠く離れているが、『背徳者』[ジッド]、『ソドムとゴモラ』[プルースト『失われた時を求めて』第4篇]、そして『葬儀』[ジュネ]は、それにもかかわらず、同じさへの欲望がいかにして欠如の欲望という抑圧的な心理学(社会性をトラウマと去勢とに基づかせる心理学)から我々を自由にすることができるのかを実演する点で、先に述べた議論に関連している。ホモネスに関する新たな内省は、差異の値付けの健康によい仕方での解除へと――あるいは、より正確には、差異を克服すべきトラウマとみなす考え方(とりわけ、性別のあいだにあるとされる敵対関係を亢進する見方)ではなくて、むしろ同じさを脅かすことなく追補するものとして差異を捉える考え方へと――我々を導くことだろう。

9:[序文を書くにあたり本書の内容を]自身で再読する中で、私は、私が曖昧な「我々[We]」になることに気付いた――私が歓迎するとともに厄介に思う事実だ。私が繰り返し自らに加えたこれらの他者たちは何者なのか? もし彼らが私と、白人で、相対的に裕福なゲイというアイデンティティを共有するとしたら、彼らは明白に限定された主体を構成しており、――そして、ちなみに絶対に、限定された読者集団を構成している。だが、彼らの話が拠って立つところの人種的また経済的な地位に言及する、アカデミアにおける白人で比較的裕福な多くの我がゲイ仲間たちの申し訳なさそうな調子から判断するに、少なくともそれを試みなかったからと彼らを咎めることはできないとはいえ、そのようなアイデンティティから降りる余地はないのである。私の言うこと一切は、私の言動が何であれその上に様々な状況が与えていた観点に影響されたものである。特権的な白人男性たちが、特定の観点に則った場を占めながら、自身の言明に何か自然に普遍性が備わっているかのように話す傾向があるのではないかという――事実無根とは決して言えない――懐疑がなかったならば、そうした明瞭な真実を告げるのは狼狽させることだったであろう。私が第3章に相当する部分を読んだゲイとレズビアンの研究会において、レズビアンの僚友は私の話が女性たちを周縁化していると苦言を述べていた。私が言ったことの大部分はゲイのセクシュアリティ、そして、より具体的には、ゲイによる男性器への愛に関係するものだったから、彼女の全面的に的確なコメントはそれが苦言の色を帯びるところで全面的に不可解なものになった。なぜ対象で、もっと直接に言えば、私の話が丸々ゲイの欲望についてに終始したことで苦言が来るのか? 彼女がゲイの欲望という主題に関して話したであろうことよりも私の方が必ず「もっとよくなる」のだったのではないし、それにもし私の論題がレズビアンのセクシュアリティだったとしても彼女より私の話の方がより鋭くなっていたことさえ想像しうる。いずれにせよ、過日の私の話が、言ってみれば、私自身の性的な観点との露骨な照応に恵まれていたこと、そしていかなる観点も、直截にか巡り巡ってか、ある程度まで排他的になるものであろうということは、否定できない。

10:そのような排他性を否認したり弁明したりするよりもむしろ、我々はそれらを有意義な仕方で認知し、そして、避けがたい限定を被る「私」また「我々」がそこで自らに特有である観点の外に立って話せもするような、意想外のやり方へと目を向けてみたい。本書における私の「我々」は絶えず他の「我々」たちの領土に足を踏み入れている。もし私がエロティックな刺激の意識的な源泉としてペニスに言及する点においてレズビアンのセクシュアリティから断固として締め出されるとするならば、レズビアンは、そうなればと私は望むのだが、彼女たち自身をよりいっそう社会的に位置づけられた一人称複数――ホモフォビックな攻撃のターゲットとしてのゲイとレズビアンの双方を暗示するような「我々」――において認識することになるだろう。ゲイたちのあいだにある莫大な多様性にもかかわらず、そしてホモセクシュアルまたはゲイが意味してきたところのものが持つ相当数の歴史的なバリエーションを考慮した上でも、黒人の、経済的に恵まれていないゲイが、彼自身の経験と共鳴するジュネにおいて、ゲイたちのホモネスについて私の述べたところのものを見出してくれるだろうとも、私は想定しておきたい。もっともばらついた、敵対的でさえある諸アイデンティティも横断的に出会うのである。アイデンティティや経験の発散する輪郭線からなるこれらの交差性は、本書における「我々」によろこばしい不安定性を与える。その不安定性は、読者がすぐ認識するであろうように、知的なものでもある。私が疑問に付すポジションは、アイデンティティやセクシュアリティについての私の考えに相当な影響を及ぼしており、それだから――人種的に、または経済的にというのと同様な意味合いで、理論的に――私のものでありかつまた私のものではない見方を私の「我々」は頻りに定義することになる。

11:この可動性は、一種の共同体、すなわち決して確立されず、そのメンバーシップが常に流動するような共同体を創り出すはずである。それは多くのストレート[異性愛者]が居場所を見出せるはずの共同体でもある。アイデンティティ政治と性の政治学は特定の性的な好みによって定義されるような課題ではない。それでも、私がこれらの課題を議論する際に特定のゲイの文脈の導入が役に立つということを多くの読者がわかってくれるはずだ。だから私は、ゲイである読者には不必要に見えるだろうが、その後に私が「ゲイの不在感」[『ホモズ』第2章]として話すところのアイロニーの真価をわかってもらうために、今日のクィアの潮流にそれほど身を沈めていないひとの助けとなるはずの、「ゲイの存在感」[『ホモズ』第1章]という時事的でジャーナリスティックな概観から始めている。なお、ゲイの特異性について考えることを促したいとはいえ、私はゲイの集団化志向に寄与したいわけではない。ゲイ・アイデンティティの中に閉じ込められることに反対する当の人々が、強制的なヘテロセクシュアリティという汚名を着せられたものに対してクィアな文化が優位にあると想定することに基づくような、彼ら自身のゲットーの類を形成してしまっている。仮にホモセクシュアリティがホモネスの特権的な運び手であるとしても、性的な好みに帰するのは馬鹿げているような世界とのつながり方の様態をホモネスは指し示している。つながり方の反コミューン的な様態こそが、あるいは一緒になることの新たなやり方こそが、私が全てと共有できるかもしれないところのものだ。――そのこと、そしてすでに構成済みの共同体に同化しないことが、あらゆる冒険のゴールになるはずだ。明らかにして、また言祝ぐなかで。我々みなのうちにある「ホモなるもの[“the homo”]」を。
[訳了]

通解とコメント
以下では、付した番号に即して段落ごとに話をまとめコメントを行います。「通解」は本文の忠実な要約というより、私の理解でニュアンスを補っているところのある概説です。それゆえ、十分に元の意味をつかみ損ねている箇所や、誤解してしまっている箇所もあるかもしれません。「コメント」では、訳しづらかったところ、論の流れで気になったことなど、折に触れて連想したことなどを書きました。

各段落の通解

通解1:今日(1990年代半ば)のアメリカでの学術研究や社会運動においては、「同性愛」に何らかの本質を認める態度への批判が隆盛しつつある。そうした批判的立場のなかでも特に独創的な見解を打ち出す理論家たち――モニック・ウィティッグ、ジュディス・バトラー、マイケル・ワーナーの3名――の論述を参照すると、もはや生活に根差したセクシュアリティの実質を離れた、反抑圧という政治的な姿勢のことを、「同性愛者」を指していたはずの呼称で打ち出しているようにさえ映る。そこには疑問の余地もある。

通解2:今日のそうした傾向への私の評価は両義的だ。それを自身の帰属に根差した社会運動への不信として論じるのは容易いにせよ、そのような傾向に辿り着いた歴史的経緯も軽視できない。フーコーの議論により普及した考え方だが、安定した社会統制のために、どんな欲望を持つタイプなのかと個々人を診断し分類する営為が、セクシュアリティなるものへの注目によって、なされてきたのだった。

通解3:それゆえ、ゲイというアイデンティティの打ち出しも、それの担い手が従来の支配的体制では抑圧されてきたと見なしうるからといって、抵抗の方策として手放しに肯定できるとは言えない。従来の医学や生物学で流布していた本質主義的言説に反抗するような、構築主義的なゲイ・アイデンティティ錬成の試みであっても、誰がどのタイプに割り当てられるか(誰がそのタイプに割り当てられないか)を定めようとする点で、診断と分類の延長に留まっているのだ。

通解4:そもそも、同型の相手と異型の相手どちらを性的に好むかという二者択一が、個人のアイデンティティの分類で重んじられているという今日の現状を問いに付すべきだろう。この二者択一の重視は結局、解剖学的に定まるとみなされてきた従来の二元論的性差を引き写して正当なものに祭り上げているのではないか。それは我々と彼らといった分断を想定してしまうという根深い俗習の一環である。

通解5:けれど、上述してきたような本質主義を懐疑するのが、どんなやり方であれ解放に直結するのだとは断じえない。今日の枠組みは構築されたものに過ぎないと論じたところで支配体制が解消されたり停止したりするとは限らず、構築されたところの支配体制が存続してしまう場合もある。今日なされている本質主義批判は、ゲイやレズビアンとの名乗りの意義を消し去るのに等しい事態をも招きつつある。今日、眼前にある光景は、社会を抜本的に変えるのは無謀だから手の届く身の回りをちょっとずつよくしようといった生活保守主義めいた姿勢を、全世界的な大同団結に基づく抵抗なのだとうそぶいて飾り立てるような風潮なのではないか。

通解6:今日なされているような同性愛者の「本質」の放棄は、同性愛者がいなくなるという同性愛嫌悪的な夢想を実現させることへの加担にさえなっているのではないか。「本質」を放棄するよりはそれを掘り下げるべきではないか。例えば、「ゲイ」であることを、従来の悪い言い方なら「倒錯」しており、今日の良い言い方なら「規範へ抵抗」しており、といった表裏一体の固定的評価の枠組みに則って捉えずに、その経験を掘り下げていくことで一義的な従属にも反抗にもおさまらない要素を探求していくべきではないか。このような要素の探求は、圧制と闘う我々か圧制の手先の彼らかという分断の枠組みそのものへの批判として機能しうる。

通解7:異性愛者が異性であれば相手は何者でも構わないのだとは到底言えないように、同性愛者も同性であれば相手は何者でも構わないのだとは到底言えないのだが、それでも、ホモセクシュアリティなるものを、先述の要素、つまり本書で「ホモネス」と呼びたいものが見出される特権的なモデルと考えて探求することに意義はある。「ホモネス」の文化政治的な意義としては、それが通例の(異性愛中心主義的な)社会的な関係性を断つのと同然に映るほどラディカルな、社交性を描き出すことにある。

通解8:20世紀のフランスの文学者、アンドレ・ジッド、マルセル・プルースト、そしてジャン・ジュネという3者の作品を読解する本書の第4章で、上述した社交性の素描を試みている。それは第1章から第3章までの議論を文学作品の読解に応用して行う例解ではなく、逆に第4章が他の部分の議論に説得性を与えている。3者はそれぞれの作品で、ホモセクシュアルな欲望の中に反共同体主義的な衝動を見出し、そこに惹かれているように解釈できる。そこからは、トラウマや去勢といった(通俗的に流布した精神分析的な言説で出てくる)欠如に基づく欲望のあり方と対照的な、どれほど異なっても同じさを見出そうとすることに基づく欲望のあり方が引き出せる。後者では、差異すなわち他者との敵対関係が解除される。

通解9:本書での「我々」という語には、誰を含み入れているのか曖昧なところがあるが、これはただの欠点ではない。一般に誰もが、各々が身を置く環境や経歴に規定された限定的観点を持つが、その限定によって排他的だから想像困難な外部に配慮するみたいな姿勢には疑問に思うところもある。私は自分が当事者だったり身内だったりするからゲイや同性愛者なるものを特権的に語りうるのだと考えているわけではない。既成の枠組みに即して私が「我々」の一員として安心して語れる範囲は語り、そうでない範囲は「我々」ではない誰かに譲るみたいな割り当てに抗するのが、私の採用したいスタイルである。

通解10:観点が私の境遇や来歴に即して限定されているがゆえの排他性を消しえないと断念しつつ恥ずべきものとして隠すよりは、そうして排他的ですらある違いを持つ場合もあるにもかかわらず、何らかの同じさにおいて誰とでも「我々」として語りうることに着目したい。人種の差異も、経済状態の差異も、身につけた学知(文学理論)の差異も、私が一致しきらず、むしろある面で相互排他的になるようなアイデンティティを持つ人々とともに私が「我々」として語ることを可能にする要素であり、それゆえ本書で私が属する「我々」の広がりや内実は頻繁に揺れ動いている。

通解11:こうした揺れ動く「我々」こそ、私が「ホモネス」の探求を通して素描する社交性に即した、従来とは別様の共同体の原型である。それは異性愛か同性愛かといった二者択一の排他性をも批判するはずだ。私は本書で主に同時代のゲイをめぐる文脈を取り上げ、「ホモネス」を考察するためにホモセクシュアリティを特権的なモデルとするが、それはゲイという文化的アイデンティティに基づく集団を組織し言祝ぐためではない(逆に1995年現在の構築主義的、ポストモダン的な論者は、圧制に対抗する文化集団の一員として、圧制の手先であり本質主義的で異性愛主義的だとのラベルを貼られたものたちに対する、自分たちの優越を主張し、周囲を蔑視しつつ自閉している場合さえあるように映る)。そうではなく、誰とでも分かち持っているはずの「ホモなるもの」を探究するのが本書の狙いである。
[通解了]

コメント

段落1コメント:
 冒頭は「誰もホモセクシュアルと呼ばれることを欲しないNo one wants to be called a homosexual」。同性愛者への社会の偏見にまつわる事例から同時代の学術や社会運動での風潮へと移行する流れは飛躍しても感じられる。ただし、ベルサーニは「直腸は墓場か?」(1985)などから一貫して、性的な関係が肉体の感覚と密接である点にこだわっており、巷間のセクシュアリティ論がそうした性生活(が表象された作品)への批評を十分に行っていないのではないかという問題提起を繰り返してきたように映る。自身のセクシュアリティを公表していない「隠れcloseted」状態にある人々ではなく、それをアイデンティティとして明言する人々でさえも、それを政治的見解や姿勢の表明に還元して、現に政治的に意味づけられているところの性的行動や性的感覚の分析を回避する傾向があるのではないか、といった懐疑がベルサーニの挑発的スタンスの基調であるように思われる。
 もちろん同性愛者の権利運動も、女性の権利運動が抗ってきたのと同様、〈社会批判の体裁で性的な問題を語りたいだけ〉だし〈性的なものは公に取り上げるに値しない〉のだという類の偏見と対峙しながら練り上げられてきた面があるので、〈性的なもの〉の政治性が実は語られていないというベルサーニによる懐疑には、〈一周回った〉ものとの印象を抱かなくもない。ただし、人々が啓蒙された度合を単線的な発展段階のように捉えて〈時宜にかなった〉言説を選別しようとする態度にも批判の余地があるように私は感じており、喫緊の社会運動に照らして〈時代遅れ〉だとか〈時期尚早すぎる〉だとかで語る言葉が制限されるべきだとは言いたくない気持ちがある。とはいえ、説明責任の割り振られ方の不均衡は解消されるべきだろうから、どうすればうまく問いを立てられるか、現状では考えあぐねている。瀬戸夏子「誘惑のために」(『文藝』2020年秋号)で語られていた「薄皮一枚の肯定」に相当するような問いがここでも立てうるように私は感じているが、まだうまく展開できない。
 ベルサーニの挙げた3人のクィア理論家に関連して雑感。バトラーに比して、残りの2者は日本であまり受容されていないように思える。モニック・ウィティッグ(Monique Wittig,.1935-2003)は前衛的な小説『女ゲリラたち』(1969,日訳1973)などで知られており、フランスのレズビアン理論・運動の一画期をなした書き手である。実はニック・ランドも論文「カント、資本、近親相姦の禁止Kant, capital, and the prohibition of incest」(1988)で、同じくフランスのポストモダン・フェミニスト、リュス・イリガライとともに(イリガライ以上に)ウィティッグを高く評価していたりする。ただ、イリガライやウィティッグの思想の意義と限界をまとめようとしたのがバトラー『ジェンダー・トラブル』(1990,日訳1999)であったように映る面もあり、十分に受容され、検討される前に〈オワコン〉のような位置に追いやられてしまった感じもして、紹介時期の不運を感じる。
 クィア理論というと専らアメリカが中心のように思われているが、上述のウィティッグもそうだし、同じ時期のフランスのゲイ理論・運動の一画期をなしたと言えるだろう『ホモセクシュアルな欲望』(1972,日訳1993)の著者ギー・オッカンガム(Guy Hocquenghem,1946-1988)や、またイタリアのゲイ運動家・理論家で『ゲイ・コミュニズムへ向けてTowards a Gay Communism』(原著は『Elementi di critica omosessuale』1977,英訳2018の書名は同書の有名な章題による)で知られるマリオ・ミエリ(Mario Mieli,1952-1983)など、20世紀後半のヨーロッパでのラディカルな理論家・活動家の影響も無視できない。そもそも「クィア理論」という用語の学術的な打ち出しに携わったテレサ・ド・ローレティス(Teresa de Lauretis,1938-現在)がイタリア出身である。ちなみに、ローレティスには、ベルサーニなども引用しつつレズビアンのセクシュアリティを論じた『愛の実践:レズビアン・セクシュアリティと倒錯の欲望The Practice of Love: Lesbian Sexuality and Perverse Desire』1994があり、同書の部分訳に相当する「フロイト・セクシュアリティ・倒錯」が『現代思想』1997年5月号に掲載されている(訳者はジョナサン・マーク・ホール)。当人が1990年の学術会議から幾年かで「クィア理論」という用語を放棄した(流行語として消費されてしまったとの理由で)こともあり、ローレティス自身の議論はその知名度に比して日本であまり受容されていないように映るので、こちらの議論もいずれ紹介したい(なによりまず私が学びたい)。
 話を戻すと、バトラー、ウィティッグと並べられていたマイケル・ワーナー(Michael Warner,1958-現在)も、アメリカでは名の知られた人物のはずで、論集『クィア惑星の恐怖』のほか、単著では『ノーマルの問題The Trouble with Normal』(1999)などがある。英語のウィキペディアでは(この記事の執筆時点では)セジウィックやバトラー、ド・ローレティスやローレン・バーラント(Lauren Berlant,1957-現在、比較的近年の著作ではリー・エーデルマンとの対談本『性、あるいは我慢できなさSex, or the Unbearable』2013などがある)などの人物と並びクィア理論において名が知られる人物と評されている。

段落2コメント:
 同時代のクィア理論家やそれに触発された風潮などに対するベルサーニの見方には、先ほど述べたように〈一周回った〉感じの雰囲気があり、例えばゲイのセクシュアリティが反体制的なだけでなく親体制的にも働くといった(段落6参照)、より個別的なトピックの評価にも見られるような、両義性を強調する語り口に彩られている。そのスタイルは是と非を選り分けて決算するものというよりは、是非を二分するための評価軸自体をつまづかせるような仕方で一要素を捉えなおすものであり、いわゆる脱構築批評に近しいものであるように映る。
 実際「ヘテロ化された社会への革命的な馴染めなさa revolutionary inaptitude for heteroized sociality」(段落7)のようにベルサーニはある種の〈できなさ〉にこだわっているように映るところがあり、『ホモズ』とほぼ同時期の共著(ユリス・デュトワUlysse Dutoiとの)『貧困化の芸術:ベケット、ロスコ、レネArts of Impoverishment: Beckett, Rothko, Resnais』(1993)でも、三者それぞれの〈できなさ〉にこだわっており、1997年発表の対話でも、『アステュアナクスの未来A Future for Astyanax』(1976)や『フロイト的身体The Freudian Body』(1986,日訳1999)などの従前の著作から続く「失敗failure」への関心を表明している(「レオ・ベルサーニとの対話」『批評空間』第3期第2号2002年1月、村山敏勝訳を参照)。
 ここではフーコーへの手短な言及があるが、実は1975年にフーコーを米カリフォルニア州へと招聘した立役者の一人がレオ・ベルサーニであり、アメリカでのフーコー思想の受容や、フーコーのアメリカ体験(1975年米でのLSD体験の意義はしばしば注目されている)などを考える際にそのことが注目されてもよいように思う。とはいえベルサーニ自身は、フーコーのSM論などに必ずしも全面的には賛同してはいなかったようだが(フランソワ・カレ監督の映画の関連書籍である『Foucault Against Himself』(2015)に往時を回顧したベルサーニのインタビューが所収されている)。

段落3コメント:
 訳語「インテリ病」の原語は「an intellectual symptom」。ベルサーニは(性的)アイデンティティを社会運動の旗印とすることに両義的な評価を与えているが、どのような面に警戒しているのか考える上では、ジャック・ランシエール(Jacques Rancière,1940-現在)の議論を経由することが有用であるように思われる。ランシエールは(歴史理解の精確性、文献読解の適切性はともかく)、古代ギリシアの文献を参照して、寓話的な国家モデル――分業と位階制が結合した統治体制――を検討に付す。『哲学者とその貧者たち』(初版1983,日訳2019,松葉祥一ほか訳)から引用する。「したがって、排除の原理が一つだけある。[プラトン]『国家』は、靴職人であると同時に市民であることはありえないと論じているわけではない。靴職人であると同時に織工であることはありえないと述べているに過ぎない。誰一人として職の卑しさを理由に排除されていない。兼職の不可能性だけが定められている。同書は、唯一の悪を認めているがそれは絶対悪である。すなわち二つのものを一つにすること、二つの職務が同じ場所で果たされること、二つの資格が同時に備わっていることである」(41頁)。つまり各々が自然な本性に基づき、己の身の丈に相応しい仕事のみに専念するような分業の称揚、これが階層的な支配の原理だというのである。「定義上、支配は優者を前提にしている。民衆の「節制」は、教養の最もある人々と最もない人々が等しく共有している「良識」や「常識」でも、劣者に固有の資質でもありえない。それはたんに、国家の卑しい人々が高貴な人々に従うことである。この職人の節制は、当人の外にあって、職人を持ち場につける国家の命令に過ぎないのである」(68頁)。ランシエールは、例えば、労働者が知識人のように語ったり、当事者が研究者のように語ったりすることを禁じる動きも、上記のような「職人を持ち場につける国家の命令」と同様のものだとまとめて、批判している。
 もちろん、ランシエールが念頭に置くのは労働者と知識人といった階層構造と分業体制への批判であるが、それは以下のような言い方でも語りなおされている。「むしろ問題は、ある種の知識や意見を捨て去ることだったのである。労働者共同体に固有の発話ができる可能性は、与えられた労働者集団や労働者文化、労働者アイデンティティ[……]からの脱同一化を経由していた。解放とはまずもって、[……]労働力の再生産に割り当てられた夜を、本を読み、書き物をし、話をする時間に変えること、しかも労働者としてではなく、そうではない人とまったく同じように書き、話すことだったのである」(19-20頁、太字は引用者)。つまり、己のアイデンティティに相応しいとされる見解やジャーゴンの割り当てに抗することが、ここでは階層的な支配からの「解放」と関連付けられているのである。
 ベルサーニがフーコーなどを念頭に置きながら「セクシュアリティは今や、操縦可能であるようなキャラクター的な諸類型へと立ち振る舞いを戦略的に変えていくための原理的な枠組みを提供するものとなっているsexuality now provides the principal categories for a strategic transformation of behavior into manipulatable characterological types」(段落2)と語るとき、問題化しようとしているのは、ランシエールの語を借りれば、各セクシュアリティが「兼職」をゆるさないような仕方で固定されてしまうのではないかという危惧であるように思われる。それがなぜ問題かと言えば、おそらく、サイバースペース上での診断アプリとマッチングアプリの氾濫が示すように、こうした分類とその割り当てが、「職人を持ち場につける」ように社会の各位置に(相応しい観点や語彙を身につけさせながら)据え置かせる(悪い意味での)棲み分けないしゾーニングの装いを持った階層支配の復活に帰結するかもしれないリスクを持つからである(もちろん、ポピュリズム、暴力、差別などの問題をないがしろにはできないとはいえ、今日では、例えば有害で劣悪な文化集団に相応しいプラットフォームがあるだとか、教養ある高貴な文化集団に相応しいプラットフォームがあるだとかと口にしたくなってしまう誘惑にも、抵抗せねばならないように私自身は感じている)。
 アイデンティティの「可動性を奪うimmobilizing」分析に対するベルサーニの批判は、こうした相互排他的な分類に基づく階層的な割り当ての秩序に対する懸念に根差したものであるように私には思われる。

段落4コメント:
 ここでの「性的な好みsexual preference」という語に関連して付言する。今日では性的指向(sexual orientation)と性的嗜好(sexual preference)を使い分けることが社会常識として流布し始めているが、かつてはそうではなかった。例えば心理学者アラン・P・ベルと社会学者マーティンR・ウェンズバーグによる共著で、議論を呼んだ同性愛研究の著作は『性的嗜好:男性と女性におけるその発達Sexual Preference: Its Development in Men and Women』(1981)と題されていた。当然ながら、何がまともな社会問題として扱うべき「性的指向」であり、何がひとの迷惑にならない範囲で享受すべき「性的嗜好」か、といった問いを立てることに利用されてしまうのだとすれば、「指向」と「嗜好」の使い分けを無批判に受け入れることはできないだろう。社会運動に相応しいものと、そうでないものがあるという考えはかつては、同性愛を社会運動から排除する口実だった。例えば全米女性機構(NOW)の代表だったラディカル・フェミニストのベティ・フリーダン(Betty Friedan,1921-2006)が〈男っぽい〉だとか〈男性嫌い〉だとかの偏見を伴いつつレズビアンを捉えており、フェミニズム運動を阻害する「ラベンダー色の脅威」と発言してさえいた(1969)ことなどは思い返されてもよいだろう。NOWへの批判は1980年頃のフェミニスト性戦争[The feminist sex wars]のような形でその後も継続していたし、さらに言えば、そこでは今日の社会で傍迷惑ないし有害な「性的嗜好」扱いされているものが真面目な「性的指向」とともに擁護されねばならないものではないかと検討されていた(というかそもそも、何が検討に値するかをマジョリティが常識に基づいて決められるかのように語るのはおかしいという批判がなされていたはずである)。セクシュアリティをカーストのように捉えることの批判などはゲイル・ルービン「性を考える」(1984,日訳1997,河口和也訳)でまとめられている。私自身、性科学や社会運動の歴史などの専門家ではなく、十分に包括的な知識を持っているわけではないが、「指向」や「嗜好」を使い分けるのが「常識」だとあまり信じ込まない方がよいと私は思っている。(以下の解説記事を参照)

 ベルサーニはこの段落で、例えば「男性」と「女性」のように、何かを「我々」と「彼ら」のように二分するやり口の一環として「ホモセクシュアル」と「ヘテロセクシュアル」の二分法があると述べているように映る。ところで、ローレティスが「クィア理論」を打ち出したのがちょうど『諸差異Differences』と題されたジャーナルだったように、差異への配慮こそが多様性の擁護であり(もっと言えば多文化主義であり)、抑圧的な支配体制(同化を強いるとされ、全体主義、ファシズム、帝国主義などと評される)への反抗であるという見方が、ベルサーニと同時代のクィア理論のひとつの良識であったように私には思われる。ベルサーニがゲイやクィアではなく、「ホモセクシュアル」の「ホモHomo-」という接頭辞にこだわるのは、そうした同時代の、差異への配慮が社会的包摂の鍵だというような漠然とした雰囲気を疑問に付すという意図もあったように感じられる(おそらく、ベルサーニがレズビアンの僚友からのコメントに憤るとき(段落9)に反発したかったのは、そうした雰囲気であるように思える)。

段落5コメント:
 ここでの参加型民主主義や社会正義への批判は揶揄的すぎるようにも映った。自分にはうまく訳せなかったように感じている。原文を合わせて再掲する。「我々は参加型民主主義と社会正義のためのローカルな闘争とミクロ政治を甘受して、かくて我々を「グローバルに考え」て「ローカルに行動」するよう要請する車のステッカー上のきらめきと同程度に感動的な政治的抱負を表明するというわけである。we resign ourselves to the micropolitics of local struggles for participatory democracy and social justice, thus revealing political ambitions about as stirring as those reflected on the bumper stickers that enjoin us to “think globally” and “act locally.”」。
 また「自身を「脱ゲイ化」する」は「de-gayed themselves」。「de-gay」という言葉は、ゲイ的な要素を消すことを指すようである。例えば、1980-1990年代の回想だと思われるが、エイズを発症したゲイの末期を看取る場面と思しき、以下のような用例が見つかる。「数時間で彼は眠りに就き、男たちが死に行くとき我々のすることを、私は始める。私は彼のポルノを捨て、おもちゃを捨て、コックリング[性具のひとつ]を捨てる。私は彼の部屋を脱ゲイ化する。In the hours while he sleeps I do the thing we do when men are dying. I throw away his porn, his toys, his cockrings. I de-gay his apartment.」(「トムのベルト」『Gay Star News』2018年9月27日付の記事より)。今日では、ドラマや演劇、映画などで、ゲイに関連するバックグラウンドを伏せたり無視したりすることを批判する文脈で「脱ゲイ化」が使われることが少なくない。

段落6コメント:
 この段落は、うまく訳せたかわからない部分が多い。とりわけ以下はニュアンスが汲めなかった。「わからないだろうが、私の議論している作品の多くでは、ゲイたちが、彼らの多様性にもかかわらず、解剖学的に男性として同定されるような他の人間に強い性的関心を抱いている。You would never know, from most of the works I discuss, that gay men, for all their diversity, share a strong sexual interest in other human beings anatomically identifiable as male.」。後半部分では1988年の論文「直腸は墓場か?」への自己言及なされている。そこでのベルサーニの議論を辿りなおすことは難しいが、この箇所に関連する話で言えば、例えば同性愛カルチャーの中の「男役」や「女役」といったものが性別二元論のパロディであり、言行体制への批判的要素を含んでいて、といった類の(主意主義体に解釈された)ジェンダー・パフォーマティヴィティ的な風説への懐疑、そして、男性間での挿入する/挿入されるという関係性の意味合いや解釈の再考と、それらを通したゲイ・アイデンティティなるものへの批判的考察などが、そこには含まれていた。
 なお、私見では、ベルサーニに明示的に言及したものではないが、以下の記事における「ジェンダーとセックス・ポジションの間の関係性」の議論は、ベルサーニが問わんとするところに通じているように思われる。

段落7コメント:
 書名『Homos』もそうだが、本書における「ホモhomo」という語をどのように訳すのかは、かなり自分の判断を問われるところに感じた。英語圏でホモセクシュアリティという語が帯びていたニュアンスを踏まえながら「同型-関係homo-relations」や「ホモネスhomo-ness」また「「ホモなるもの[“the homo”]」」(段落11)といった表現が用いられていたはずだが、日本のカタカナ語での「ホモ」という語のニュアンスとどの程度に重ねてよいものなのか判断に困った。なお、アメリカのゲイ・サブカルチャーではカストロ・クローン(Castro clone)と呼ばれるファッションスタイルがあり(カリフォルニア州サンフランシスコのカストロ通りで1970年代後半から1980年代に流行したスタイル)、こうした「クローン」というコンセプトの流布とベルサーニの同じさへの着目がしばしば関連付けられてもいる。「同型」という訳語を選択する際には、そのことも念頭にあった。
 ここで挙げられている「関係性それ自体から差し当たり離脱するよう要請していると映るであろうほどにラディカルな仕方で、社交性を再定義するa redefinition of sociality so radical that it may appear to require a provisional withdrawal from relationality itself」という記述に関連して付言する。こうした記述や、「自己破砕的で独我論的な享楽self-shattering and solipsistic jouissance」(「直腸は墓場か?」)といった用語、あるいは「反共同体義anticommunitarian」(段落8)といった用語の散見されるところが、ベルサーニはアンチ・ソーシャルであるという評判を形作るところに大きく資している要素であるように感じるが、表面的に思われているほどベルサーニの議論の中で関係性と孤絶とは矛盾していない。というのも、ベルサーニは新たな関係性を志向しているが、それは通例で関係性の基盤である(とベルサーニが見なす)自己と他者との(敵対性を解消しえない)二者関係とは別様でなければならない(とベルサーニは考えている)からだ。一般にいう〈社会的〉関係の拒否は社交性という別様の開発と共にあるし(ジンメルを参照しつつ社交性に関して展開した論考としては「社交性とクルージングSociability and Cruising」2002がある)、ナルシシズムや独我論への着目は、一人称的な自己すら瓦解する(そして外界へと己を開かせる)マゾヒズムと共に考えられている(アダム・フィリップスとの共著『親密性』2008,日訳2012、檜垣達哉,宮澤由歌訳における「非人称的ナルシシズム」などを参照)。

段落8コメント:
 ここでは差異や欲望に関する独特の捉え方を含む他者論が予告されている(関係なるものを再考する以上、自己や他者なるものが批判的に検討されるのはそう不可解ではないと思う)。ベルサーニが「我々」と「彼ら」、自己と他者、同一性と差異性といった二者関係を問いなおそうとする際に参照するのは、哲学や文学作品や精神分析家の著作であるが、そこではかなり異様(雑駁?)な仕方で、独特の(忠実でないが魅力のある)解釈が提示されているように思える。なお、英文学者の村山敏勝は、ベルサーニの他者論に関して、以下のように批判的にコメントしていた。

自他との境界線が曖昧だとしたら、すでにして自己に取りこんだ他者を攻撃することはマゾヒズムなのか、サディズムなのか。そして攻撃が愛の裏面であるなら、それは同時にナルシシズムではないか。そしてまた、いまはまだ外部にあってこれから自己に取りこもうとしている他者に対するサディズムは、じつはマゾヒズムの予感ではないのか。要するに、無際限のマゾヒズムとはたんに無際限の暴力のことではないのか。
村山敏勝『(見えない)欲望に向けて――クィア批評との対話』(人文書院2005年206頁)

段落9コメント:
ベルサーニ自身の立場性というものへの意識が記されている。普遍性を僭称することへの批判的な意識と、所属するコミュニティの一員、その代弁者として語ることへの批判的な意識とが同時に語られているのだが、具体的にどういうスケールで語っているか、というのは自分には若干、判然としていないところがある。ただ、段落8までと段落9からとの間には空行が挿入されており、これを含む3段で「We」に仮託した別様な共同体のビジョンを語ろうとしているようではあり、その意味では都度都度にスケールがずれているということ自体が重要なのかもしれない。

段落10コメント:
 前段に引き続き、立場性に関して述べられている。なお「アイデンティティや経験の発散する輪郭線からなるこれらの交差性」の原文は「These intersections of divergent lines of identity and experience」。また「私が疑問に付すポジションは、アイデンティティやセクシュアリティについての私の考えに相当な影響を及ぼしており、それだから――人種的に、または経済的にというのと同様な意味合いで、理論的に――私のものでありかつまた私のものではない見方を私の「我々」は頻りに定義することになる」の原文は「the positions I question have had considerable influence on my thinking about identity and sexuality, and so—theoretically as well as racially or economically—my “we” frequently defines a perspective that is at once mine and not mine」。
 ここでの「人種的に、または経済的にというのと同様な意味合いで、理論的に」という記述に関して付言する。ベルサーニは自己の観点を規定する(制限する)ものとして、人種や経済状態と同列に「理論」を挙げているように映る。つまり「理論」をアイデンティティにしているように映る。これは突飛に映るかもしれない。何らかの研究者であることや、思想家や主義に対する私淑なり帰属意識なりであればともかく、「理論」がアイデンティティになるというのはわかりづらい。思うに、ここでいう「理論」は一般名詞のそれというよりは、20世紀アメリカの文学研究を中心としたローカルな意味合いのあるそれであると推察される。
 1960年代頃から、アメリカの一部の大学ではフランスを中心とした同時代ヨーロッパの哲学や精神分析学などの著作を参照するような文学研究の流派が隆盛することになっていた(特にポール・ド・マン(Paul de Man1919-1983)が教鞭を執っていたイェール大学などが有名)。もちろんその評価には賛否があり、ついにスティーヴン・ナップ(Steven Knapp,1951-現在)とウォルター・ベン・マイケルズ(Walter Benn Michaels,1948-現在)による共著論文「アゲインスト・セオリー」(『Critical Inquiry』1982年夏期)のようなド・マン系の議論の批判もなされるに至った1980年代までの時期は、文学研究における「理論戦争」または「理論」の時代ともまとめられているらしい。ベルサーニのアカデミックなキャリアはこの「理論」の時代と重なっており(初単著であるプルースト論が1965年)、同時代のフランス思想家の影響を受けながらアメリカで理論家として活躍していたのである。なお、ベルサーニ『アステュアナクスの未来』(1976)へのマイケルズによる言及(論文「『シスタ・キャリー』のポピュラー・エコノミー」『Critical Inquiry』1980年冬期)がきっかけで、この両者は1981年に議論の応酬を行っていたりする。またマイケルズはアイデンティティという枠組みへの(ベルサーニとは別方向からの)「理論」的な批判を展開してもいて、『シニフィアンのかたち』(日訳2006,三浦玲一訳)では、ポール・ド・マン以降のテクスト概念の批判に加え、バトラーにより普及したパフォーマティヴィティ論と、ブッシュ政権(当時)が援用していた「文明の衝突」理論とを関連付けて批判的に読解するするといった荒業(というか暴挙)を展開してもいるのだが、その後の『ダイバーシティの問題:我々はどのようにアイデンティティを愛し、不平等を等閑視するようになったかThe Trouble With Diversity: How We Learned to Love Identity and Ignore』(2007)という、どこかワーナー『ノーマルの問題The Trouble with Normal』(2002)を彷彿とさせるような著作も含めて、トランプ政権成立どころかリーマン・ショック発生以前に、アイデンティティに着目する文化政治を重んずる風潮の中で、格差問題が棚上げになりつつあるのではないかという問題提起をしていたことは(そうした経済的不平等への着目というのは、クィア理論で言えば、例えばリサ・ドゥガン(Lisa Duggan1954-現在)の「新しいホモ・ノーマティヴィティ」の提唱(2003)などと並走しているわけだが)、もう少し注目されてもいいのではないかと私は感じている。ワーナー、ベルサーニ、マイケルズなどにどの程度のつながりがあるのか(ないのか)は、個人的にもう少し勉強してみたい。
 ともあれ文学「理論」というのが、ベルサーニにとって己の(文化的)アイデンティティに相当するかのように記されているのは、アメリカの文学研究状況の反映であるように思われる。

段落11コメント:
 輪郭が定まらず揺れ動くという「可動性mobility」を帯びた別様の共同体が、『ホモズ』における「我々」の曖昧さに仮託される形で表明されてこの「プロローグ:“We”」は結ばれることになる。こうした可動性や「つながり方の反コミューン的な様態An anticommunal mode of connectedness」の探求は、実は美術史家デュトワとの共著『暴力の形式:アッシリア芸術と近現代文化における物語性The Forms of Violence: Narrative in Assyrian Art and Modern Culture』(1985)などの『ホモズ』以前の著作でも着手されていたものであるようにもに映り、『ホモズ』後のデュトワとの共著(絵画論や映画論など)を通して、さらに深められていったように思われる。そのような探究を通して、ベルサーニの理論は生理や心性としてのマゾヒズムやナルシシズムから「形式間のコミュニケーション」、そして「苦痛のなかの快楽としてのマゾヒズムよりも、いちど自分を失って、べつな場所で不正確に複製された事故を見出す快楽としてのマゾヒズム」へと、その力点を移していったようであるが(「レオ・ベルサーニとの対話」『批評空間』第3期第2巻2002年1月所収,村山敏勝訳,191頁)、それについての詳細は他日の記事に譲りたい。

むすびに

読んだものに関するノートをつくると、自分がその文章のどこに関心を持ったのか、どこがうまく飲み込めなかったのか、何を連想したのか、何を知らなかったのか、といったことをあらためて意識させられます。それはとても面白いことです。ベルサーニは「理論」家であり、批評「理論」というものは、ただ学ぶだけでなく、学んだところを用いてこそ、その妙味がわかるものであるようにも感じます。いずれ自分も、ベルサーニの本を読むのではなく、ベルサーニと共に本を読むことができたらと思っています。

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