生きる苦しみよ、こんにちは。『現代思想 2019年11月号 反出生主義を考える』読書会

2019年12月8日、闇の自己啓発読書会は都内某所で、『現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える―「生まれてこないほうが良かった」という思想』読書会を開催しました。本書に寄稿している木澤佐登志さんを囲み、関連する思想家について、生まれてきてしまった苦しみとどう向き合うかなどについても話し合いました。(12月25日一部修正)

※これまでの活動については、こちらをご覧ください!

※読書会記事、募集してます。

■参加者一覧

役所【暁】 編集者。生きづらさを常に感じている。最近よく聴く曲(CD)は、アリスソフト「アリステーマソングコレクション」。
【江永】泉 のさ者。やっていき感に常に餓えている。最近よく聴く曲(MV)は、CQ CREW「Drunken Forest / Moon」。
【ひで】シス。不眠で悩んでいる。最近よく聞く曲はSuper Bell”Zの「'18」。
【木澤】佐登志。無職。

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■まずは、本全体の感想を

【ひで】 全体を通してみてどうでしたか?
【暁】 そんなに難解な内容ではなくて、気になるテーマから読むと読み進めやすかったですね。デイヴィッド・ベネターらの本の内容を知らなくても概略がわかるようになってて良いです。全体としては、ベネターが反出生主義というテーマを打ち出したことには、出生主義を相対化する効果があったし、叩き台としてはいいけど全面同意はできないよという人が多いような。論理パズルみたいな彼のロジックに乗っかるだけでは実存の悩みは救われないよねって感じです。
【ひで】 ベネターは論争を呼ぶ論を発表するのはいいとして、誰かに批判されたらちゃんと批判し返しているのがえらいですね。こういうちゃんと反応してあげる雰囲気を作るのが大切な感じがしました。
【木澤】 どことなくベネターはTwitterによくいるめんどくさい論客感ありますよね。
【江永】 この雑誌で読むだけでも、ベネター「考え得るすべての害悪」でのイキり方とか、ちょっと「論破厨」感がありますね。初っ端から「私が回答する議論のどれも、私の見解を修正させるには至らなかった。しかし、なぜそうなのかを示すことができたのは嬉しいことだ」(40頁)ですからね。でも、ある種トロールみたいにテーゼを打ち出し続けて周りを「釣る」ことで、「議論」のフィールドをつくった。提起される問い自体には、たとえ書き手を頑迷だとみなすにしても、無視できないポイントがあった。そんな感じなのかと理解してます。
【木澤】 個人的に特に感銘を受けたのは、森岡正博さんの「「生まれてこないほうが良かった」と論理的に言えるか言えないかどうかは、それだけ取り出してみればこれは非常に知的なパズル解きですよね。ただ、みんなでこのパズル解きに熱中して、この問題をそういう方向へ押し進めていったら、本当にこの問題を実存的な問題として抱え込んでいる人たちにとっては、強い言葉を使わせてもらえれば、自分たちが侮辱されているような気になると思います。」(11頁)という発言です。べネターは分析哲学と倫理学の人だから、そこには実存の問題がすっぽりと抜け落ちている。あえて当事者性、と言ってもいいかもしれませんが。その意味で、トランスジェンダー当事者の観点から書かれていた古怒田望人さんの論考などは興味深く読みました。森岡さんも仰っているように、ともすればべネターの土俵に入って、そこで論理パズルを説いたり論破ゲームに興じたり、といったことに陥りがちだと思うんですけど、その点、小泉義之さんの「天気の大人」というフレーズは(論考内容含め)まさにクリティカルに機能していて思わず感嘆してしまいました。
【暁】わかります。森岡さんは著書の『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』で、女性の産む選択の権利と障害者の生きる権利の両立の難しさなどを扱い、男性学的な分野でも『感じない男』を書かれているので、常に当事者性を踏まえて考えていらっしゃる方だと思います。僕もこの章を読んでとてもしっくりきた感じがあり、一番最初に配置されてるのも含めていいなと思いました。
【江永】 ベネターの語り口は分析哲学系っぽく映りもして、存在することの有無と快苦とにまつわる「基本的非対称性」の議論は、一見すると功利主義っぽい理屈にも思えるのだけれど、実際には功利主義に依拠して話しているわけではない。
【木澤】 べネターは功利主義(帰結主義)を採ってないんですよね。たとえばトロッコ問題を例に出すと、サディアス・メッツによれば、ベネターが採るのは消極的義務論であり、なので四人の人が轢かれるのを防ぐためにトロッコの前にデブを突き落とすのは不正である、という立場です(97頁)。メッツによれば、べネターは「ひとびとが生きる権利を持つ」と考えており、「死はそれ自体で悪だと考える」。べネターは「すでに存在している人間からよきものを奪うという行為を、それ自体として不正だと見なしてもいる」(同上)、と。
 これは、どちらかというとリバタリアン的な立場だと思いました。言い換えれば、何よりもまず自然権によって保証された自己所有権という不可侵な領域があり、それを毀損する権利は(自分以外は)誰にもない、という立場です。
 また、べネターは(意外にも?)「生」をそれ自体が肯定的で価値のあるものとして提示しています。この「生」のポジティブな価値付けは、べネターが自殺を推奨していないことともダイレクトに関わってきます。再度メッツを引用しましょう。「反出生主義を認めるが死亡促進主義を認めない、ということを理解する際に決定的に重要となるのが、死はそれ自体で避けるべき悪だという命題である。」(96頁)
 ここにべネター思想の要諦があります。すなわち、生ができるだけ避けられるべきとされるのは、それが死による生の最終的な絶対的毀損と全的破壊を宿命付けられている限りである、ということです。不可侵な自己所有権に保護された「良き」生と、それを蝕むように毀損し破壊していく「悪しき」苦痛と死という非対称的二元論、これがべネターの哲学のアルファでありオメガであると思います。
「誕生が悪であることの理由の一部は、それが必ず死という害悪につながるからである」(『生まれてこないほうが良かった』邦訳[221頁])
【江永】ベネターの議論は、苦しみを慮るならば新たな生が始まるべきではない、であって、現に始まってしまっている生がこれ以上続くべきではない、とは異なるわけですね。ベネターの反出生主義は、他を死なせるのはもちろん推奨していないし、自ら死ぬのも推奨してはいない。生の停止(死)が、生の継続よりもよいという話ではない。
【暁】 死を批判するのならトランスヒューマニストになればいいんじゃないですかね。
【木澤】 ベネターも年老いてきたら、ピーター・ティールやボグダーノフみたいに若者の血を輸血したり、サイボーグ化したりして不老不死を目指すようになるかもしれませんね。言い方を変えれば、ひとたび「死」が解決されてしまえばベネターの反出生主義は土台そのものが大変動をきたしてしまう。
【江永】 生命科学、特に生物工学的な学知が考究されていくと、議論の前提が変わるかもしれませんね。考えてみると、現今の学知を延長する程度の水準でも、反出生主義のいろいろな「実装」をイメージできそうですね。
 アマチュアなりに、生殖技術で考えてみます。例えば、サヴァレスキュ「生殖の善行」(邦訳は2016年)の議論をさらに問題含みにしたような(ひとによってはおぞましく感じるであろう)話になりますが、着床前診断で、利用可能な遺伝子情報を元に、もっとも生殖能力の低い胚を選択することを義務付ければ、次世代では現世代より子供が産まれにくくなるはずです。このような(優生学的?)選択を繰り返していけば、映画『トゥモロー・ワールド』的な状況(アルフォンソ・キュアロン監督、2006年。直近18年ほど新生児が出生していないとされる世界が描かれている)を実現できるかもしれません(それが望ましいかどうかは別として)。
 また、現在すぐできることの水準でもいろいろ言えそうですね。橋迫瑞穂「反出生主義と女性」注4(196頁)で「ベネターのこのような議論においては、例えばパイプカットなど男性側の避妊がほとんど言及されない」と指摘がありました。これに寄せて考えると、現在の技術水準でも手軽にできる反出生主義の「実践」とは、例えば男性なら、輸精管を手術で切断した上で、モテモテになることなのかもしれません。
 手術で輸精管の切断等をした人物が、より多くの避妊する気が乏しい人々にモテればモテるほど、新生児出生につながるリスクを持つ行為の発生頻度をより減少させることが可能となるはずです(素人の浅知恵です! もし検討するなら、各種のリスクを調べたり、専門家にご相談したりの上で!)。

【ひで】 マラリアを撲滅するために放射線で不妊化した蚊を街中に解き放つ話みたいですね。

【木澤】 いいですね。人類を絶滅させるためにバイプカットをしてモテモテになる努力をする。意識が高いのか低いのかよくわからない。それと、テクノロジーによる反出生主義も、統治功利主義の反出生主義的応用という感じでしょうが、やはり統治の主体をどうしても想定せざるをえない以上、素朴な優生主義に堕するリスクはどうしても出てきそうですね。
【暁】 パイプカットはコスパいいらしいですね。セックスも普通にできるし選択肢として興味深いです。あとは男性用避妊薬も研究が進んでいるらしいので、江永さんの仰るようにテクノロジーで反出生主義を「実践」するのもありですね。

【ひで】 人間を不妊化させるんだったら原発を爆発させたらいいんじゃないですか。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』みたいな感じで。

■エーデルマンと再生産未来主義

【木澤】 反出生主義とは直接的には関係ありませんが、リー・エーデルマンの再生産未来主義批判が色んな論考でトピックとして出ているのが印象的でした。
【江永】主にこれの第1章「未来は子供騙し」の議論ですね(Lee Edelman『No Future』2004を取り出す)。雑誌掲載が1998年の論文。
【木澤】 『思想 生殖/子ども』(第1141号)にも翻訳が載ってましたね。
【ひで】 再生産未来主義ってなんなんですか?
【木澤】 一言で要約すれば、子供という表象を未来の象徴として利用する立場。たとえば、戸谷洋司さんが出生主義の代表的論者としてべネターに対置しているハンス・ヨナスは、「子供の世代に対して私達は無限の責任を負っている、子供=未来のために私達は奉仕しなければいけない」といったことを言っているわけですが、これなどもエーデルマンからすれば再生産未来主義の範疇に入るのではないでしょうか。付言しておけば、この「子供」を「他者」に置き換えれば、所謂「他者に対する無限責任」のロジックで、これはデリダやレヴィナス等の(ヨナス含めた)ユダヤ系現代思想におけるクリシェですよね。ユダヤ系の文脈では、他者とはもちろん超越的な神=ヤハウェを暗に含意しているわけなのですが……。
【江永】 未来の象徴としての子供や他者なるものを守ることの何がわるいのか、と訝しく思う方もいらっしゃると思いますが、例えば本書でまずエーデルマンが挙げる事例は、政治キャンペーンにおける子供の利用の話です。「我々は子供たちのために闘っている。あなたの立つ側はどちらだ?」(『No Future』2頁)というような物言い。こうした物言いが、なぜ詮議無用の正論としてまかり通ってしまうのか、という問いから議論がスタートしている。
 徴兵なんかもこの理屈で正当化されてきた側面あるように思います。で、徴兵を拒否する立場でも、では「子供を守るため」とされる作業に従事せよという圧力には、抗しづらい。実のところその作業は「銃後の守り」と化してしまうわけですが。こうして、ひとは戦争に動員されてしまう。

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アメリカ合衆国の戦争資金調達のためのポスター。Gordon K. Odell作。1941-1942年頃のもの。

【木澤】 右派も左派も社会の既成的秩序を維持し再生産するために子供という表象を利用していて、その構造を暗黙の前提としている限り両者の対立に実は根源的な差異はないのではないか、ということをエーデルマンは言っていて、そうした(偽の)対立それ自体に対立するものとして「クィア」という爆弾をぶつけてくるわけです。
【暁】 日本でも借金を将来世代に残すな!とかいうお題目として、子供なるものが使われちゃってますよね。
【江永】 そうですね。世代間倫理と絡めた注目だと、吉良貴之「将来を適切に切り分けること」(『現代思想』2019年9月号)がエーデルマンを論じていました。ホットですね。
 反出生主義の文脈でベネターとエーデルマンに共に言及する言説には色々あります。例えば、ヴィーガニズムの理論的洗練に反出生主義が役立ちうると指摘するこのブログ記事の冒頭では、両者は反出生主義の二系列の論者としてそれぞれ名が触れられています。

 けれども、両者には異なる部分も多い。ここで少し、エーデルマンの議論の枠組が、ベネターとはどのように異なるのか、確認をさせてください。
 エーデルマンの「再生産的未来主義」批判は「みんなで異性愛者であるのをやめて生殖を絶って絶滅しよう」といった議論ではありません。「子供」なる形象に代表される「再生産的未来主義」への対抗として「クィアさ」がある、とエーデルマンは論じています。しかしエーデルマンは、この意味での「クィアさ」が本質として備わった性的カテゴリーがあるなどと言おうとしているのではない(はずです)。『No Future』2章以降で、エーデルマンはこの「クィアさ」に込めようとした意味合いを、「症性愛Shithomosexuality」という造語でより厳密に語ろうとしているように映ります。また『No Future』165頁からの第3章の注10では、精神分析の汎性欲論的な立場から、ことは人間の性や欲望に留まらないと示唆されています。4章ではヒッチコック『鳥』(1963年)を論じてからポール・ド・マン(のベンヤミン論)などに触れつつ歴史や言語の「非人間性」の話をしている。じゃあ結局どういう話なのか、というのは、私も勉強中です。
 ただ、例えば「LGBTであるならば必ず再生産未来主義を批判する立場をとることになる」というような理解は不適切であるということは確かで、異性愛規範によるスティグマ化にはエーデルマンも反対しているし、「親」になったLGBTQたちが市民権を得つつある状況もあると触れつつ、自分の言わんとするところを説明しようとしている(17頁)。
 自分の見方をまとめますが、徒党を組んで絶滅に向かおう的な檄文として読むのではなく、どんな社会でも〈社会のためになる〉営為に協力しないとされるやつが必ずいるけど、それはその〈ために〉への批判の余地が必ずあることの証左でもあるのだ、という論点から「クィアさ」を論じる批判理論として読むのが、エーデルマンの著作のよい使い方かなと見込んでいます(まだ検討中なんで、読み違いしてるかも)。
【ひで】 子供が未来の象徴とされることの批判かぁ。そもそも17億年もしたら太陽が自分の中にある水素を使い尽くして赤色巨星になって地球を飲み込むんだから、継承とか再生産に意味があるのかと思ってしまう。

【江永】 あと、エーデルマンに関しては、奇矯な、というか、力業と言えそうな諸作品への解釈にも注目が寄せられて欲しいという思いがあります。『No Future』1章の一節では、子供の主人公と生死を懸けた闘争をする独身男性の悪役の系譜がある、とブチあげたりする。ハリー・ポッターの宿敵ヴォルデモートとか(しかも名前に「死 [mort]」が入ってる)、ピーターパンの宿敵フック船長とかって、みんな結婚してない独り身の男性じゃないですか、って。
【暁】 未来のある子供を殺害する独身男性を、エーデルマンはどういう文脈で挙げているんですか?
【江永】 死の欲動の側、つまり、子供なる形象へ抵抗する力の側を体現する形象、という文脈です。エーデルマンは「同性愛者」なる社会類型が歴史的に形成されてきた過程と、こうした(英語圏の児童文学での)未婚独身男性悪役の形成とを、ダブらせて捉えているんです。ここだけ取り出して考えていると、例えば、巷間にしばしば見られる、拗らせた非モテ男性が一番邪悪というような見方にも、再生産未来主義的な発想が胚胎しているのかもしれないなどと妄想してみたくもなります。
 『現代思想』の話から離れすぎました、すみません…。ともあれ、子供を誕生させる能力を持つ「産む性」とみなされる限りでの「女性(なるもの)」に対する嫌悪や蔑視を助長する面があるとして、エーデルマン『No Future』を批判する余地はおそらく残りそうです。しかし「産む性」と「女性」をイコールで扱う見方に対しても批判する余地があります。「女性であること」と「妊娠する能力を持つこと」は分けて捉えられるからです(『現代思想』の古怒田望人「トランスジェンダーの未来=ユートピア」が、この観点からの例示を試みています)。それに「産む性」を担う個人だけで人間の生殖や「次世代再生産」が成り立つわけでもないはずです(単為生殖や単性生殖をするわけではないし、次世代市民の生産には、例えば教育など、種々の過程が必要とされるでしょう)。
 で、私の見る限りでは、エーデルマンの論のポイントは、ベネターの(「基本的非対称性」なるものを論の骨子に据える)誰もが十分に合理的であれば反出生主義に従うはずだ、という立場とは異なります。むしろ「再生産的未来主義」という一見誰もが従うべきであるかのように映る理屈に対して、それへのアンチの立場をどう示すかというのが(私が思うに)エーデルマンの問題意識です。

【江永】 あと、結婚観や性道徳の話だと、疫学とかの知見を用いる議論もあって面白いですよね。性感染症の流行が、モノガミー(単婚制)規範の伸長と関わっていたのではないかと論じる研究もあったりする。

日本でも、リスク概念を用いて、近年における婚前性交の減少傾向を検討し、また「避妊をめぐる男女の非対称性」を検討するようとする論文がありました。

【ひで】 日本の平安時代もまだ性病が流行っていなかったから公家同士がフリーセックスだったって話もありますよね。

■あなたの反出生主義に対するスタンスは?

【暁】 皆さんは反出生主義についてどうお考えですか?
【木澤】 僕は自分なりの当事者性持って原稿を書いたんですけど……。
【ひで】 木澤さんの章は、生産性と命の価値の関係性にちゃんと突っ込んでいて良い論考だなぁと思いました。
【木澤】 僕はあえてベネターの土台には乗っからず、シオランを一つの軸にしながら自分なりに「生の負債化」というテーマで書きました。僕には、生を無批判に肯定するべネターよりもシオランの方が性に合っている(この点、べネターとシオランは対照的だと思います)。ところで生の負債化といえば、最近邦訳が出たジョルジュ・アガンベンの『オプス・デイ 任務の考古学』も自分の問題意識と偶然リンクしていて驚きました。カント以来、いかにして現代倫理において存在が「当為」(べき)として、言い換えれば生が義務として、一種の負債として構成されるに至ったか、というのを系譜学的に検討している書なのですが、ここにはべネターにはない存在=生に対する批判的射程があります。訳者の方があとがきでグレーバーの『負債論』を引き合いに出しているのも示唆に富んでいると思いました。
【江永】私は木澤さんの論考が本当に刺さりました。「無限の責任」というか返せない負債を抱えていて、しかも、その負債は絶えず増加している。そういう追い詰められた心境になっていた時期があったので。

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「家系図」の例。ただし、この図のFATHER, AUNT, GRANDFATHER, GRANDMOTHERら四者は、無から自然発生したわけではない。系譜が省略されている。

【江永】 以前は、私が新しい人間の生産に関わっても、ろくなことがないなと思ってたんですけど、最近は、対照実験みたいな感じで、たくさんの子供をさまざまな社会に配置して、どうなっていくのか実験しても何か意味はあるのかなと思ったりします。
【暁】 あーちょっとわかります。僕は自分のような存在を認めない社会に絶望していて、似たような存在を子孫として残すのは社会にとってもその子にとっても不幸だから絶対にしたくないと思っているんですけども、最近は精子なり卵子を提供をして「自分が別の育ち方をしたら幸せになれた可能性」を見てみたい気もしなくもないです。自分が育てたら怪物を再生産するだけになりそうなので、それは絶対にしないぞという感じ。

【木澤】 「生まれてきたくなかった」には、「今が不幸だから」というのと「最悪な両親から生まれてきてしまったという血の呪いが耐え難い」という二つの要因があると思うのですが、そこの区別がべネターの議論には欠落してるのが個人的には不満でした。
【暁】 僕はどちらの要因もありますね。金がなく自分の存在を社会に否定される不幸と、そんな自分を生み出してしまった親との関係と。まあ、親もその上の世代も家制度などの被害者なのかなとは思うんですけど。
【木澤】 僕はどちらかというと後者(血の呪い)のほうが強いので、原稿では系譜原理という観点を強調してみたんです。
【暁】 なるほど。スマブラかよ!ってくらいいろんな思想が登場するので圧倒されてしまっていたのですが、その辺りが木澤さんの祈りなんですね。理解しました。
【江永】 系譜原理批判が私にとって魅力的に映るのは、とりわけ、巷の反出生主義の自己責任論めいた想定を問いに付す力があるからです。巷で口にされる「私なんて生まれなければよかった」は、痛苦の発生を、誕生という個人の水準に結びつけがちです。個人が無から生まれたわけでもないのに。対象が少し拡がっても、せいぜいが「私の両親なんて」や「私の子供なんて」程度で、わるい場合は家族内での陰惨な死を招き、よくてもロングフル・ライフ訴訟が起こる程度。でも、個々人の批判に留まる必要はない。個々人を含み込む構造にも同じような批判ができるはずです。
 今の苦しみの原因が、私の自由意志や、血統のみならず、制度や、環境にもあるのだとすれば、なぜこんなものが生じたのだ、という問いを向ける対象はもっと広がる。例えば、「イエ制度なんて」「社会なんて」「国家なんて」「人類なんて」と色々な水準で思考できるはずです。
 大風呂敷をひろげてみますが、「国家なんて生まれなければよかった」はアナキズムで、アナキストには自然発生的な共同体や親密圏を理想視する余地があります。「社会なんて生まれなければよかった」は――市民社会、公共圏などの方が適切な語でしょうか――国家主義や家族主義で、ある種のファミリーが理想になる。また、「イエ制度なんて生まれなければよかった」なら、血族や縁故なしで運営される共同体が目指され、例えば理念に忠実な市民社会やイデオロギーで団結した国家、あるいは、それらとは別に、市場や都会(匿名者がその場限りのマッチングを繰り返すような場)などが、理想郷と目されるでしょう(宗教者や科学者は己たちのみの集団を理想視するかもしれません。ですが、話が際限なく拡がるので止めます)。
 資本主義がなすプロセスの加速と人間という枠の解体という点での加速主義は、国家へも市民社会へも家族や部族へも、また人間のみがプレイヤーであるような市場へも絶望した上で、なおユートピアを志向するための、思潮(情念や妄想と呼んでもよいでしょうが)の1つとして分析できるように思われます。
 大袈裟に言いましたが、ともあれ、「私なんて生まれなければよかった」が系譜原理批判という観点を立てるところ、まさにここで、反出生主義と加速主義とが、結びつくのではないか。そう感じます。
【暁】 僕も、構造を憎んで人を憎まずという意識はあります。家族関係の苦しみって連綿と受け継がれてしまうこともあるのかなって思いますし。金がないとかジェンダーの問題もあるけど、やはり戦争の後遺症みたいな面もあるのかなと思うこともあります。

 ひでシスさんは反出生主義について、どうですか?
【ひで】 ビル・ゲイツの陰茎を左手に装着したいですね。
【暁】 ほへ!?!?優秀な遺伝子を残すとかそういうことですか?
【ひで】 それもありですし、僕の左半身をゲイツにして彼の力を引き継ぎたいというのもあります。
【暁】 あ、寄生獣のミギーみたいな感じなんですね(左手だけど)。
【ひで】 やっぱり人類に貢献したい気持ちというのはありますよね。ビル・ゲイツは最近環境問題に対して真剣に頑張っているので、プラス20年ぐらい長生きさせてどういうことをするのか見てみたいというのがあります。

■優性思想と母性偏重批判

【ひで】 最近婚活しているんですよね。
【木澤】 !!??
【ひで】 この前会った人に「いい遺伝子を残したい」って言っている人がいて、「へ〜」と思いましたね。ここまで率直的な表現をする人は初めて見たので。
【木澤】 ガチ優生主義じゃないですか。
【暁】 そういう人にとって、子供はポケモンなんですよ、多分。
【木澤】 6V個体値のポケモンが出るまで厳選するとかそういう話ですよね(?)。ミュウツーの気持ちがわかってきました。

【暁】わろた。 ヤバい言い方をしましたが、子供がポケモンみたいにされてしまう背景には、子供がどう育つかが、母親のアイデンティティや責任にされてしまうという問題があります。例えば子供がいいことをしたら「〇〇さんの子育ては正解だね」と言われ、子供がやらかすと「育て方が悪かったんだ!」と母親のせいにされる。あと仕事やその他の活動をしていない母親だとアイデンティティが「〇〇ちゃんの母」というものになって、一層子供に執着してしまったり…。反出生主義に共感しつつ、そういう母親に偏った育児構造も批判しなきゃいけないなと思いますね。育児の非対称性を批判しましょう。
【ひで】 一辺倒に田舎を批判するわけではないですが、日本の田舎だと嫁は子供を産んだ瞬間に『〇〇ちゃんの母』という扱われ方になってしまうのは確かにある。
【暁】 あと、反出生主義者の一部(?)って母親への憎しみが強すぎて、ミソジニーと結びついてエラいことになっている印象があるんですけど、この本にはそういう感じの人は出てこなかったですね。まあこんなに金もかかる上に責任も重すぎる状況じゃ、反出生主義云々に関わらず子供を生みたい人は減るよな…と思いますが。
【江永】 確かに。この特集では、いわゆるインセル(involuntary celibate、ニュアンス的には「非モテ」に近い)っぽい立場からの議論は、ほぼ検討にあがってなかったですね。ここでの反出生主義は「人間(に代表されがちな有感性を備えた存在者)を誕生させない方がよい」であって、モテ・非モテみたいな話ではない。
 もっとも、佐々木閑「釈迦の死生観」と島薗進「生ま(れ)ない方がよいという思想と信仰」は、原始仏教やグノーシスに絡めて、別の価値観に基づき既存の社会を離脱(逸脱?)する集団というインセルっぽい要素にも(論の流れで少し)触れていると読みうるかもしれません。
 話を戻すと、いわば、「社会に出る人材」なるものを生産する負担が、「社会」(国家や企業?)ではなく家族に、しかも家族内での教育の負担が、「母親」とされる一個人に集中している、というのはきちんと考えたい事柄ですね。マリアローザ・ダラ・コスタの論集『家事労働に賃金を』を思い出します。
 また、これは非常に乱暴な物言いになりますが、労働基準法を守ると潰れてしまうような企業が解体されてしまう方がよいのと同じように、家事労働に賃金(対価)を出すと潰れてしまうような家族もまた解体されてしまう方がよい、といった方向の議論さえ、構築できるのかもしれません。

■ベネターの非対称について

【木澤】 ベネターの議論のセントラルドグマである快楽と苦痛の非対称性についてもう少し突っ込んでおきたいと思うのですが、繰り返しになってしまいますがべネターにおいては「生」それ自体は「良きもの」としてそれ以上検討されず無批判的にスルーされているように見えるのが気になりました。その点、リバタリアンなどが好む自己主権型アイデンティティ(Self-Sovereign Identity)とは相性が良さそうというか。
【ひで】 そりゃリバタリアニズムは『個人が自己で判断すること』を善いことだとするのだから、個人が判断し続けるプロセスの前提である生は善いものになるでしょう。
【木澤】 たとえばですが、ニーチェ的なパースペクティズムであれば、「快」も「苦」も等しく「力への意志」の下に再配置され相対化されるでしょう。それこそが価値の価値転換であり、そのような「生=力への意志」こそが超人へのプロセスである、と。言い換えれば、ニーチェに言わせれば、べネターの議論はすべてルサンチマンに過ぎない、ということになりはしまいか。あるいはアプローチを若干変えて、こう問い返してみるのもアリかもしれません。ベネターの枠組みにおいては、マゾヒズムや死の欲動、あるいはアディクション(中毒)はどのように扱われているのか、というより果たして扱うことができるのか、と。
【江永】 ただ、ベネターに「死の欲動」の話をしても無視されそうですよね。「マゾヒズム」も、そのまま快の定義を拡張して、はい解決済み、みたいな応答をしそう。
【暁】 ベネターに野崎まどの『バビロン』(アニメも現在放送中!)を読ませたらどういう反応をするのか気になりました。自殺が快楽になったら?ということを描いているので。
【江永】 ベネターは、快苦いずれであれ何かを享受する可能性の有無ないし得失は、倫理的にどうでもいい(どちらを選んでもよしあしには関係がない)と思っているのでしょうか。そもそもソシャゲを始めない方がよかった、なんて言っても、ソシャゲ始めなきゃガチャは回せないのに(なお、鈴木生郎、佐藤岳詩、加藤秀一などの諸論考が、ベネターの理路を厳密に検討していました)。
【ひで】 本では小島さんが「判断を保留するという形でこどもの世代を作ることができる」という話をしていましたね。
【江永】そうでした。小島和男論考では「不可知論」が問題になってました。論理学っぽい知見を念頭に、分析的に理路を整理すると、己の自明視する価値判断や無視しがちな立場などが意識されて、いいですね。何の知識が不足しているか、何をどう検討せず、どこを臆見で済ましているか自覚させられる。
 そういえば、ベネターの議論は論理パズル、という比喩は、わるい意味だけではないとも思っています。おそらく「死にたい」と思っている人にとって、ベネターの論理パズルって、当座の時間稼ぎとしても使える気がするんです(当座の希死念慮をしのげばどうにかなる状況なのかは、場合によるでしょうが)。こういうとあれですが、知育玩具みたいなもので、パズルを解く慰みに耽りながら、思考や議論のスキルを身に付けることにも役立つ。
【木澤】 未来ではベネターの本が福祉の代わりに配布されるかもしれないですね。

■痛みを感じるロボット

【ひで】 ロボットの話が面白かったんですよね。ツッコミどころがあるとすれば、ロボット掃除機だって壁にぶつかったら進む方向を変えるんですけど、それは外形的に見れば痛みを感じているのと同じなんじゃないか、と思った。なので「現代の機械が痛みを感じていない」ことから出発しているこの論考は洞察が浅い気がする。

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壁伝いに掃除するルンバ。

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触ると口を閉じる食虫植物。

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壁伝いにハイハイ歩きをする赤ん坊。

【江永】 それは、西條玲奈「「痛み」を感じるロボットを作ることの倫理的問題と反出生主義」の落ち度というより、こういう「痛み」に関する倫理学的な議論の下地にある洞察の(ひでシスさんが言うところの)「浅さ」だと捉えるべきかなと思います。こうした議論において、多大な影響力を持っているはずのピーター・シンガーも、『動物の解放』などで、痛みを感じることは有感性があるということだという論じ方をしていたはずです。

浜野喬士「動物倫理はカニバリズムを認めるか――人間と動物をめぐる諸問題」(2012年2月)。冒頭「「有感性」と「種差別」」を参照。

 シンガーは、神経構造とかの解剖学的知見が進展するのに従って、貝なんかも食べない方がよさそうだと議論を補追したりするんですけど、要するに、それ人間基準で有感性区切っているよね、とツッコミを入れる余地がある。ロボットには人間みたいな神経が解剖学的には認められていないから、現状「痛み」は「感じようがない」。
【ひで】 痛みの定義やねん、って話になってしまう。芝だって刈られたら化学物質を出しているんですよね。植物も痛みを感じているんではないか。
【江永】 そうですね。そうなるかもしれない。急いで付け加えると、もちろん、シンガーは功利主義的な立場からの種差別批判で知られるわけですが、そのシンガーでさえ人間から抽出した基準を他種に適用しているだけなのだと言えるかも知れない。
【ひで】 共感性の話とは別だと思うんですよね。
【江永】 それも、確かに。実はそこらへん、シンガーの議論だと、ちょっと混同されがちな感じがするんです。例えば、シンガーの『動物の解放』では、神経解剖学的な知見を用いる箇所ばかりでなく、他者が苦痛を感じていると推論するのは合理的だという話もしているから、蹴られて泣いている豚を見れば、痛みを感じているということがわかるだろう的なナイーブな話さえ、是認しているように映りかねない。
【ひで】 そこら辺は雑ですね。あくまでも「痛み」かどうかは電気信号とか伝達物質の放出とかいうレベルで解剖学的に立証しないといけないはずなので。

■反出生主義とジェンダー

【江永】 『現代思想』本特集において、ある意味で劇的なのは、小手川正二郎「反出生主義における現実の難しさからの逸れ」ですね。「追記」(188頁)の部分。「本論の依頼を受けた数日後の八月初旬に子どもが生まれた」とのことだし、編者の責よりは構造的問題だけど「ベネターのような無視を決めこまない限りは、妊娠と出産に係わらざるをえない本特集の執筆者の多くが、筆者を含め男性であったことを残念に思う」という批判は、映えますね。何なら「意見を求め、彼女とのやり取りから数多くの示唆を得た」という「妻あや」さんと、共著で論考を掲載していたら、いっそう意義深かったのではないかと感じたりしました。
【暁】 確かにこの本に男性論者が多杉問題はあるのですが、最後の方の、反出生主義と女性(橋迫瑞穂)→トランスジェンダーの未来=ユートピア(古怒田望人)→未来による搾取に抗し、今ここを育むあやとりを学ぶ(逆巻しとね)、という流れは良かったです。個人的には、生きづらさとジェンダーは切っても切れない関係にあると思っているので。橋迫さんとしとねさんは個別のフェミニストと反出生主義を対比させていますね。橋迫さんの話だと、産む理由や産ませる性の不在によって、産み育てる理由付け・拠り所となるスピリチュアル市場が盛り上がっているという話が説得的でした。しとねさんの話は進撃の巨人やクトゥルーとか盛り込みつつ、ダナ・ハラウェイの「子どもではなく類縁関係をつくろう!」を取り上げていて、僕のような地縁血縁学校職場からも浮いている人間は、やっぱりもっと数を打って人と関わってみて、居場所を増やさなきゃなという気持ちになりました。
【木澤】 でもシェアハウス界隈の上手くいかなさとか見ると、それも難しそうだなと思いますけどね。
【暁】 うーん、なんかもっと読書会みたいな目的性のある集まりがいいのではないかと思うのですが、あまり他に思い付かないんですよね。
【ひで】 社会人サークルとかありますから、そういうのがいいんじゃないですかね。なんか無目的に「集まってちょっと高いワインを飲んで仕出し料理を食べるだけ」みたいな社会人サークルもありますし。
【暁】社会人サークル、当たり外れの見分けが難しそうだなと…。メイプル超合金の安藤なつさんが結婚した記事で、ぽっちゃりさんを好きな人の集まりに参加してみては?とアドバイスされたという話があり、自分の特性を生かして、自分にとって好ましい集団にたどり着けたらいいなぁとは思いましたね。

【暁】あと、古怒田さんのトランスジェンダーと反出生主義の話も凄く良かったです。現在の性同一性障害特例法では、トランスジェンダーが戸籍上の性を性自認に合わせて変更しようとすると、強制的に断種させられてしまうという問題を提起している。それに対して、トランスジェンダーが子供を持つことによる希望的未来の可能性が書かれていて良かったです。木澤さんも仰っていましたが、やはり当事者性のある文章に惹かれますね。
ちなみに、既に子どもがいるトランスジェンダーの性変更については当初「既に子供がいる場合、性の変更はできない」という内容で、当事者から「我が子を殺せというのか!」という批判殺到だったんですよね。んで「未成年の子がいる場合」に変更された。ちなみにこの手の法律が当時の自民党から出たのはかなり意外性があったかと思うのですが、看護師である南野知惠子元参議院議員が海外事例を見て、日本でも導入をと思い、奔走した結果成立したものなのだそうです。やっぱり政界にこそ多様性が必要なんですよね。ただ、今見るとやはりアップデートの余地がかなりあると思うので、より良い方向に変えていけるといいですね。
【ひで】 この論考ってトランスジェンダーと反出生主義ってどう関わっているんですか?
【江永】 むしろ、どう関わっているのか、という問いが容易に立つかのように思われる状況への批判というか。トランスジェンダーを、「トランスジェンダー」ということは「LGBT」で、ということは「クィア」で、ということは「反出生主義」で……、みたいに大雑把に捉えるのは誤りだ、という立場からの議論だったと思います。
 エーデルマンの議論の概要とそれへの理論的な批判を述べつつ、現に出産を経験した「トランスジェンダー」、FtMやFtXとされる方々の姿も紹介する。
 論考「トランスジェンダーの未来=ユートピア」でも言及されていましたが、早逝してしまった研究者、ホセ・エステバン・ムニョス(José Esteban Muñoz)のように、ブロッホのユートピア論を引きつつ、「クィア」的な未来性を論じる理論家もいるんですよね。ムニョスによるエーデルマン批判は、アフロ・フューチャリズムなどにも少しだけ触れられていて(ムニョス『Crusing Utopia 』94頁)、こちらもちゃんと勉強したいなと、気になっています。

■『現代思想』で扱われなかった反出生主義論者たち

【木澤】 最後に補足として、この本では中心的に扱われていないべネター以外でホットな反出生主義についても少し紹介しておきます。
 一人はやはりトマス・リゴッティ(Thomas Ligotti)。アメリカのホラー作家で、いわゆるWired Fictionという、ポーやラブクラフトの流れを汲む形而上学的なホラー短編を主に執筆している、その界隈ではカルト的な人気を誇っている作家です(文脈は調べてませんが、イギリスの音楽グループCurrent 93と過去にコラボもしているようです)。その彼が小説ではなくノンフィクションという形式で2010年に出版した本が『The Conspiracy Against the Human Race (人類に対する陰謀)』。これが欧米の反出生主義界隈でちょっとした話題になりました。

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【江永】 表紙すごいですねこれ。
【ひで】 爬虫類人みたいな感じ。
【暁】ひょぇぇ~。
【木澤】 反出生主義といっても、分析哲学/倫理学からアプローチするべネターとはまったく異なっていて、むしろコズミック・ホラーや形而上学的ホラーの文脈から、「生」それ自体を俎上に載せて弾劾している。一言でいえば、リゴッティの立場は徹底したアンチ・ヒューマニズムです。この点を捉えて、リゴッティをニック・ランドと比較する評者もいたりします。 たとえば、『人類に対する陰謀』では、人間は「自意識を持った無の集合体」(!)と表現されたりしている、といった具合です。ところで、このリゴッティの悪名高い(?)本が図らずも注目を浴びるきっかけになった事件(?)があります。『True Detective』という、2014年にファーストシーズンが放映されたアメリカの刑事ドラマ(日本ではアマプラなどで視聴可能)があるのですが、主人公の刑事の一人が反出生主義的思考の持ち主で、たとえば以下のような台詞を吐くんです。
 「人間の”意識”は進化上の悲劇的な誤りだ。自意識が過剰になった、自然界にそぐわない存在だ」「人間は存在すべきではない」「”自己”があるという錯覚に人間は苦しむ。知覚意識や感覚が増大することで、自分は何者かであると思いこむんだ。実際は何者でもない」「組み込まれたプログラムを人類は拒むべきだ。繁殖をやめ、手を取り合い絶滅に向かう」
 以上のような台詞が、リゴッティの著作からの剽窃ではないかと、Wired Fiction系のコミュニティで話題になると、本作の脚本家であるNic Pizzolattoはそれに答えて、リゴッティに対する影響関係を認める発言をした。Pizzolattoはそれだけでなく、リゴッティの他にも、ユージン・タッカー(Eugene Thacker)の『In The Dust of This Planet』や、レイ・ブラシエ(Ray Brassier)の『Nihil Unbound』からの影響も公言しています。このラインナップを見ても、リゴッティが思弁的実在論や加速主義の界隈とも近い位置で読まれていることがわかります。ちなみに、マーク・フィッシャーは「Toy Stories Puppets, dolls and horror stories」というテクストにおいて、リゴッティの『人類に対する陰謀』と『トイストーリー3』を並べて論じるという荒業(?)をやってのけています。

 なお、『True Detective』について付言しておけば、後半の展開は肩透かしであり、リゴッティの哲学観を特に踏まえているわけでもない、というのがコミュニティ界隈における概ねの評価ですが、僕も同意見です。
 ついでにもう一人紹介しておきましょう。ノルウェーの哲学者でピーター・ワッスル・ザプッフェ(Peter Wessel Zapffe)という、日本ではまったく紹介されていない謎多き人物です。しかしリゴッティの著作の中では、シオランを凌いでもっとも多く引用されているほどです。ザプッフェは英訳すらほとんどないという現状なのですが、彼の思想のエッセンスが詰まった「ラスト・メサイア」(The Last Messiah)という短めのテクストは英訳されてオンラインでも読むことができます。

 ザプッフェは、生物進化学のアナロジーを用いてペシミスティックな議論を展開するのが特徴です。たとえば、人間が進化の過程で獲得した自己意識を、角が重すぎて絶滅したと言われるギガンテウスオオツノジカの巨大な枝角に例えたりしている。まさに「人間の”意識”は進化上の悲劇的な誤りで、自然界にそぐわない存在だ」という主張をしている。動物は内界を外界とうまく調和させているけれど、人間の肥大化した自意識は、たとえば死の恐怖に不断に怯えなければならない、等々。このあたりの議論をザプッフェはユクスキュルの環世界論などを持ち出しながら展開させてるわけですが、なんとなく岸田秀の「壊れた本能」論を想起させます。結果、「自意識を持ってしまった以上、生それ自体が間違いだ」というのがザプッフェの反出生主義的な結論になります。
【暁】 ザプッフェさんにとって「最後のメサイア」って何なんですか?
【江永】 いまざっと見た感じだと、どうも人間の自意識を終わらせる者? なのかな。
【暁】 それって完全に伊藤計劃『ハーモニー』の主人公二人のことじゃないですか。
【木澤】 リゴッティもザプッフェも基本的にアンチ・ヒューマニストなんですよね。そこらへんが実存主義のシオランとも分析哲学のベネターとも毛色が違ってて、加速主義や思弁的ホラーなどにも接続可能な余地を残しているのだと思います。

■「生まれてこなければ良かった」という考えへの対処法

【暁】 「生まれてこなければ良かった」という考えはどうやったら対処できるんですかね。なんというか、この本は普通に面白いし生きるヒントもちょっとずつ入ってましたけど、自分は読んで救われるほどではなかったかなと思って。
 生まれてこなければ良かったと思う理由を先ほど木澤さんが二つ挙げてくれましたが、社会に非適合的な自分という人間が生まれてしまったこともだけど、そういう人間が迫害されるのが自明とされる同質的な社会構造が不幸を生み出しているのかなと。社会の求めるステレオタイプに合致しない人間なので、今までも集団で排除されたり白眼視されたりしてきて、生まれてこなければよかったと日々感じています。まあこういう勉強会があることで楽しいことがあっていいなとは少しずつ思うようになってきたのですが。
【ひで】 弟がデキ婚したんですけど、意識のある主体を生産することに対する反省みたいなのは何も考えてない感じがしましたね。なので何も考えないという解法が一つある。
【江永】 あとはパズルを解き続けるとか。
【ひで】 仏教に帰依するとか
【江永】 ちょっとどの頁か失念しましたが(すみません…)、確かどこかで、生き続ける理由として利害とは別に美的な理由があるよね、という論点が出ていた気がします。自分自体を作品化すること。
【木澤】 なんかちょっと後期フーコーっぽいですね。
【ひで】 インドとかにいって無限に地面を転がったりしてる修行者を見ると、あれは宗教でやっているんだろうけども、本人が一種の作品っぽくなってるなと思いますね。
【木澤】 それこそ、そのままミイラ=即身仏になれば作品になりますからね。 でもインターネットでそれをやるとたちまちコンテンツになってしまうという難点もありそうですが。
【暁】あ、インターネットでコンテンツになりたいわけではないので、大丈夫です。
【江永】 ちょっと話が飛ぶかもしれないんですが、自分は、マルキ・ド・サドの作品に影響を受けてきた気がしています。サドの作品が、人間を機械っぽく扱う感じに読めて。単に傷つけるというだけではなくて。
 忠実に読んでいたわけではないのですが、サドの作品に触れて、こんな機械論的な思想に感化されました。すなわち、人間を「自然」なるアルゴリズムによって動いている機械だとみなせば、苦痛も、外から与えられている感覚データに過ぎなくなる。常に苦痛を避けることが優先されなくてもよい。あるいは、逆に、思想や感情が常に行動の理由にならなくてもよい。こんな理屈で、私は私の「生まれてこなければよかった」感を、データとして処理できるようになった。そういう意味で、私は、美的な生とか作品としての生とかに、シンパシーを抱きがちです(ただ「作者の死」的な話も好きなので、この辺いつも自分で混乱してくるんですが)。
【暁】 僕も学生のときにサドを読んですごく解放された気持ちになったんですよね。親や社会に押し付けられてきた価値観に自分が支配されていることに気付いて、もっと自由に生きようと思いました。サドで読書会したいくらいですね。
【江永】 自分の原理みたいなものを自分で設定して、それで自分で行動する、という感じがあって、それが効くのかなと思ってました。
【暁】 対処療法でしかないけど、もっと本を読むべきなんだな〜。社会を変えることができないなら、自分の居場所を本なりどこかしらに置くしかないので。
【ひで】 「生まれてこなければよかった」に対する回答の一つとして「もっと本を読む」を持ってくるのオモロイ。
【江永】 人間、何かを読んでいる間はそうそう死なないですからね。本を読みつつ、片手間に死んでいく、という事態はそうそう起こらないと思います。よくもわるくも、本は拘束具として役立ちます(それが現実逃避だ、ということになってしまう場合もあるとは思いますが)。
【暁】自分は思想をやってた頃全く救われなかったので(勉強不足ゆえかもしれませんが)、生きやすくなるライフハック的なものへの関心のほうが強いんだなって、この本を読んで改めて感じていました。

■反出生主義が流行る世相

【暁】 反出生主義がもてはやされるのは世相が悪いからというのもありますよね。
【ひで】 経済成長率が高いと反出生主義が流行らないですよね。自分自身の賃金がガンガン上がっているのでバンバン子供を生む。
【ひで】 一方で一人っ子政策を経験した中国で反出生主義の話をするとどういう受け止められ方をするのか気になります。
【江永】 一人っ子政策は、反出生主義ではなく人口調整ですからね。
【ひで】 たしかに木澤さんが書かれていたように、国家は優勢主義政策を行いはすれど、国家が反出生主義になるわけはないですからね。
【暁】 ウイグルでやってることは完全に反出生主義の植え付けだと思いますけどね。
【木澤】 最近何かの記事で読みましたが、日本は諸外国と比べてると経済格差がまだそこまで深刻ではなく、新卒の就職内定率も上がっているということから、若者よりも高齢者の方が人生を憂いている傾向にあるらしいです。
【ひで】は!?!? 日本の中でも 資産持っているあの世代が!??!
【暁】 高齢者はやっぱり居場所がないとか、生活保護受給者も多いのでそこまで幸福ではなさそうですね。

【江永】 そういう世相を見ていると、やはり「生まれてこなければよかった」というよりは「現世がこんなでなければよかった」に思えるんですよね。反出生主義へと注目が集まる事態の根っこも、ベネター的な議論の説得力だけとは言えず、厭離穢土というか、現世辛い的な情念に支えられている面もあるように感じられます。
【木澤】 若者は反出生デモを行えばいいんじゃないですか。毎年一回の恒例イベントで。
【ひで】 なぜ主題が反出生で、表現方法がデモなんですか?
【木澤】 「若者はデモをしない」って言われているから。
【暁】出る杭を打つ、異物を排除する社会にみんな順応してるから、デモとかして順応しない人間を叩くんでしょう。デモやりたいですね。
【ひで】渋谷の暴動みたいなのに可能性を感じます。人間が集まってパワーを発揮するのはおもろいので。
【江永】 小泉義之「天気の大人」でも、行動に打って出ること、「別の生」を示すことが、書かれてましたね。

■反出生主義とフェミニズム

【暁】 反出生主義に染まったフェミニストの論説を読んでみたいという気持ちになりました。フェミニズムの歴史的文脈を踏まえた上で反出生主義を語ったら凄く面白くなりそうな気がして。noteで探したほうがいいのかな。
【ひで】 子供産まない系フェミニズムってなんでしたっけ
【暁】 そもそもの子供を産む判断を自己決定するリプロダクティブ・ライツなんかはフェミニズムの重要な要素の一つですが、絶対に産まないぞ!となるとちょっとわからなくて…僕も知りたいです。
【江永】 ギリシア喜劇ですが、アリストファネス『女の平和』が、戦争終結を要求する女性たちが、和平が結ばれるまで異性間の性行動を断つ話だった気がしますが、ちょっと違いますね。うーん。
 今でいうとゼノフェミニズムっぽくもある人で言えば、例えば、二元論的な性差自体からの解放として、女性ではない「レズビアン」なる形象を提唱したモニク・ウィテグなどは、これまでの人間の(過ちを含む)営みをもう続けないぞ的な情熱を感じますが、……結論として人類絶滅を求める理論家は、知らないですね。男性絶滅なら、アンディ・ウォーホルを銃撃した事件で知られるヴァレリー・ソラナスのいわゆる「男性根絶協会マニフェスト」(1967年)がありますが……。キチンと(?)人類絶滅を目指している学問ってないんじゃないですか?
【ひで】 「このままだと人類が滅ぶぞ!」警鐘を鳴らしている学問はいっぱいありますけどね。特に環境系で。
【暁】うーん、僕は自分の生きづらさの原因にジェンダーがかなり入ってるので、 反出生主義とフェミニズムって親和性高そうだと勝手に思ったのですが、結局女性を抑圧する社会がつらいから子どもを生まない・生まれてこないほうが良かったみたいになると、現在の社会構造を変えられないからダメやんけ…という気持ちになりました。自己解決してすみません。
【江永】 そういえば、社会も人間も変える的な思想だと、ロシア宇宙主義の方面とかもありましたね。その方面のフェミニズム系の話を探したら面白そうだと思ってきました。

■全裸中年男性とパトロン

【ひで】 全裸中年男性って好きなんですよね。社会に包摂されなかった人間が、警察署を放火して警官を強×[伏字:江永]する。権威に対する反逆。

https://twitter.com/Dappun1/status/505874920123805696

【江永】 ただ、そうした「全裸中年男性」的なものは、悲しくもあります。というのは、おそらくほとんどの「全裸中年男性」には、警察署を破壊するだけのパワーがないからです。そもそも警察署に辿り着ける状態なのかも問われそうですが。
【暁】 ジョーカーのように銃を手に入れないとなかなか厳しいですよね。
【ひで】 たしかに。現実の非モテ中年男性は警官を強×[伏字:江永]できない。
【江永】 (社会構造が変わるわけでもあるまいし)襲ってどうする的な話でもあります。
【木澤】 僕はやっぱりお金がほしいですね。異常行動をしてもお金がもらえるわけではないし。
【江永】お金の話だと、このtweetを見て、考えさせられました。

 身も蓋もない話ですが。
【暁】あー、 某保守政党は事務員の育成にめちゃ力入れてるし給与もよいみたいな話を思い出してしまいました(組織力の差なのかもしれませんが)。あと、左派勢力について、反権力だからって野党が官僚をいじめるの本当にやめてほしいんですよね、答弁書を出すのが遅いとか…。そこを味方につけないと色々変えていけないじゃないですか(余談でした)。
【木澤】 パトロン制がいいですよね。1000人に1人にでも刺さればいいので。
【暁】 僕もpixivかnoteに怪文書を投稿して、パトロンになってくれる人を探したいですね。

■スピリチュアルと反出生主義

【江永】 今日ここに電車で来るときに、『かみさまは小学五年生』の著者が中学一年生になったみたいで、『かみさまは中学一年生』っていう本の広告がありました。

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【ひで】 この人ってなんなんですか? 統合失調症の子供が祭り上げられているだけ?
【暁】 どちらかというとそういう思想の母親の元で、いろいろと思い込まされてしまっただけじゃないでしょうか。
【江永】 池川明の「胎内記憶」言説の関連で話題になった方のようです。

【暁】 話を聞いた感じ、赤ちゃんの言葉を降ろす、霊言みたいな感じですかね。人間、成長するにつれて親の言うことは必ずしも正しいわけではないと気付きショックを受ける瞬間があるじゃないですか。すみれちゃんもいつかそういう時期が来たときに、いろいろと悩まないか少し心配です。
【木澤】 すみれちゃんにはぜひ『現代思想:特集=反出生主義を考える』を読んでミュウツーの気持ちについて考えてみてほしいですね。

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読書会後、イタダキマーラータン、しました。

■終わりに

 生きる苦しみは一朝一夕になくなるものではありませんが、「この本を読んでみようかな」、「そうだ、読書会しよう」など、何らかの楽しみを作る一助になれば幸いです。その際に、闇の自己啓発会〈のれん分け〉キャンペーンも、一選択肢としてお役立てていただければと思います。次回の読書会ではミルトン・フリードマン『資本主義と自由』読書会を予定しています。お楽しみに!

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