自分の「#名刺代わりの小説10選」(電子図書館「青空文庫」で読める作品から)

ハッシュタグ「#名刺代わりの小説10選」を見て以来、やってみたかったので、書いてみました。電子図書館の「青空文庫」で閲覧できるものから10作を選びました。物騒な内容が多くなり、血腥い描写や業の深い展開を含む話も少なくないですが、面白そうな話がありましたら、どうぞ。

注:表記は、作者・『作品名』・発表年(・訳者)とした。

夏目漱石『趣味の遺伝』1906

一目ぼれのような運命の恋が生じるのは先祖から恋愛の趣味が遺伝するためではないかと考えてきた学者の「余」が、日露戦争で戦死した「浩さん」と惹かれ合った女性の存在を知り、己の「趣味の遺伝」理論を証明できるかもと調べ回る話。冒頭から「余」の過激な空想が展開され、その後も真面目なのかバグっているのかわからない言動が続き、深刻なのか滑稽なのかが混乱してくるシリアルな感触を覚える(ちなみに設定上、「余」は生物学者ではないし、小説家でもない。学期試験に迫られて、話を雑に締めてはいる)。

宮本百合子『貧しき人々の群』1916

作者が18歳のとき発表した小説(初出は中條百合子名義)。毎夏、東京から祖母の住む福島の開拓村(亡祖父は開拓者で一家は現在地主)へと帰省する習慣のある「私」が、農村の人々の生活に触れるなかで貧者への慈善の心を破壊されつつ、社会の貧困と闘う気持ちを新たにする話。兄弟で芋煮を奪い合う貧困家庭の子供を哀れんだ「私」が、かえって「おめえの世話にはなんねえぞーッ」と怒鳴られ赤面し涙しつつ内心で子供にブチギレる冒頭から、話の”圧”が激しく一気に読まされる。いわば”農村プロレタリア・ラノベ”?

小川未明『赤い蝋燭と人魚』1921

酒井駒子・画の絵本で読んで以来、心に残っている話。児童文学のほか怪奇幻想文学などの文脈でも作者の小説は読まれるが、研究者の論文など読んでみると、社会主義者→国家主義者→反戦民主主義者と、次々に立場を変えたひとでもあったらしい。この話を書いた時期の未明は、貧困の中、病で愛児二人が早世してしまった体験もあり、反戦的な社会主義者(アナキスト系)として知られていたらしい。この物語も幻想的なホラーであると同時に児童労働や人身売買を描いた作品でもあり結末は何重かに禍々しく忘れがたい。

江戸川乱歩『心理試験』1925

探偵、明智小五郎が、老婆殺しの犯人と対決する探偵小説。事件の被疑者に課された心理試験(言語連想診断)が鍵となる。いわゆる倒叙形式をとっており、冒頭から犯人の視点で話が書かれている(映像作品で言えば、『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』で知られる形式)。なお、「心理試験」の犯人の造形はドストエフスキー『罪と罰』の主人公を連想させるものだが、この作が明治(1890年代)に訳された時点で黒岩涙香訳の探偵小説よりも俗味がないし深い、みたいな感想も見られ、分断の声は昔からあったのかと悄然。

円城塔『ぞなもし狩り』2016

2016年に別府大学で開かれたイベントで書き下ろされた作品のひとつ。大阪から(おそらく)二人で、大分の別府へと「そなもし」を狩りに行くという話。温泉に関連して極限環境微生物を指しているのかと問われたりもするが「ぞなもし」が何かはよくわからない。愛媛の松山で道後温泉の観光に用いられる漱石『坊ちゃん』に言及しつつ(「ぞなもし」は作中表現に由来)、物語解釈の多重性(精読されるときと部分的に引用されるときでの意味付けの変わりよう)を引き合いに、記号の働きを自己言及的に丸裸にする小説。

メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』1818(宍戸儀一 訳)

ゴシック小説としてもSF小説としても知られる書簡体の小説。北極へ向かうイギリスの探検家たちの助けたスイス生まれの科学者フランケンシュタインが、人造人間(「怪物」)を創造してしまい、破滅へと至る半生を語る部分が大半を占める(探検家の書簡内で科学者の回想が語られ、さらに科学者の回想内で怪物が私語りをする枠物語)。孤独に苦しみ、科学者へ伴侶の創造を求めるも否まれ、凶行後、死に場を探しに発つ怪物の姿は今日のインセル(involuntary celibate,非自発的禁欲主義者)を先取っていたかもしれない。

オスカー・ワイルド『幸福の王子』1888(結城浩 訳)

ツバメがある王子の像と出会う話。翻案されてBLが書かれたりもしているが、ワイルド自身が(妻帯者でもあったが)イギリスで1895年にある男性との性的関係を理由に投獄されてしまっているので、BL的な読みには相応の重みも伴う(適用されたのは、1885年の刑法改正で加えられたラブシェール修正条項。20世紀の数学者アラン・チューリングも、同条項があったために1952年に逮捕されている。イングランドとウェールズで男性間での同性愛が非犯罪化されたのは1967年)。結末も印象深いが葦や人々の姿も心に残る。

フランツ・カフカ『処刑の話[流刑地にて]』1919(大久保ゆう 訳)

流刑地(作中の「熱帯」など鑑み20世紀西洋の植民地の離島をイメージすればよいか)の刑場で、旅人が兵士の処刑に立ち会わされる話。処刑を準備しようとする将校が、前任の司令官の製図した奇妙な機械――受刑者の背に針で掟を彫り込んでから串刺しにする――がどう作動する予定かを説明しつつ自身の孤立と現在の司令官との対立を語り旅人に助力を乞うが断られ、受刑者を解放後に自らが機械に身を横たえて死ぬ話。ブラック・コメディというには少し殺伐か。上は訳者がラノベの『キノの旅』に寄せて訳したバージョン。

H.P.ラヴクラフト『ピックマンのモデル』1927( The Creative CAT 訳)

禍々しい作風で知られていたが失踪したらしい画家ピックマンと親しくしていた「私」が自身の恐怖体験を知人に語る話。現在では誤用と戒められそうな進化論の使われ方には注意が必要だけれど、地下に走る秘密のトンネルやそこに蠢く影、といったアイディアは活き活きしており、村上春樹の作中の「やみくろ」が思い出されもする(魚臭がするらしいし魚人の方がモデルに近いのだろうが)。ラヴクラフトの文通相手のひとりでもあった幻想ホラー作家クラーク・アシュトン・スミスの名前が出て来たりするのも味がある。

ヘミングウェイ『老人と海』1952(石波杏 訳)

キューバの老漁師の話。漁師サンチャゴは、80日を超えた不漁の末に巨大なカジキと遭遇し、3日かけて仕留めて港へと帰って来る。サンチャゴと少年の関係がエモい(5歳から漁船に乗せてきたらしい少年を愛でるサンチャゴと、不漁が続くサンチャゴを気遣いつつ深く慕い続ける少年との関係性と、そこにある情緒や機微が、簡潔な文体を通してひしひしと伝わってくる)。また狩った後のカジキを相棒と呼びながら、カジキを狙うサメたちと老人が闘う場面の熱、ライオンの夢や腕相撲の回想によるノスタルジー感もよい。

むすびにかえて:作品を探したり語ったりすること

著作権の終了した、または著作権者の許諾を取ったテキストをWeb上で公開する「電子図書館」というものは、私にとってはとてもありがたいもので、例えば、小説家になろうハーメルンのような小説投稿サイト(「なろう」には詩やエッセイもありますが)の作品を渉猟するように、私は青空文庫で作品を渉猟したりします(小説だけでなく、詩やエッセイ、戯曲や論考なども)。もっとも青空文庫ではレファレンス(調査相談)サービスに相当するものを利用するのは現状では難しそうなので、相談窓口のある図書館を利用するというよりは、さながら、聞いたことのない音源がずらっと並んでいるようなレコード屋でピンとくる曲をディグる(探す、発掘する)かのような心持で作品群を見物することになります(語句検索が便利です)。……などと言いつつも、私にとってなじみ深いのはレコード屋ではなくてブックオフやツタヤ、新古書店やレンタルショップの方だったりします(ブックオフが体現するごたまぜ感については、特に洋書棚の本の並びように焦点を当てた面白いレビューもあり、オンラインで読むこともできます)。なお図書館の使い方、レファレンスに関しては、以下の対談が勉強になりました。

音楽家の長谷川白紙は、あるインタビューで動画や音楽の配信サービスなどに触れつつ「今はいちばんいいディグができる時代かもしれないです」と、述べていました。音楽だけではなく、文章や映像に関してもそういうことは言えるのではないかと思っています。実は、「小説家になろう」などでは、サジェスチョンやレコメンドに依存せずに作品を検索して渉猟する人々を、「スコッパー」と呼んだりするのですが、この呼称もまた、ネット小説を読む営みと「ディグる」営みとに通じ合う面があることを示唆しているように私には思えます。あるいは山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』2019なども、明治期の文献などを「ディグった」作品だと言えると思います(国会図書館デジタルコレクションなど利用されているようです。私もたまに検索窓に単語を入れて文献を漁ったりします。個人的には、私は検索というかガチャをしているのではと思うときもあります)。

この記事を書いているときに、サジェスチョンやレコメンドを占い師の業に喩えて紹介した記事を見つけ、面白く読みました。そこで触れられているのは、プログラムによってなされる人間へのコンテンツの推奨や示唆の信頼性をどう確保するか、という問いだと思います。私自身、こうした紹介記事を書くことによって、それらのプログラムと似たようなことをしているのではないかと考えさせられました。この記事が、読んだひとが自分の好きなものを自分で探すために役立つことも、自分でも好きだと知らなかった何かへとアクセスするために役立つことも、ともに願っています。

[了]

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