メモ(極私的ラノベ語り20211008:2007頃のガガガから)

ツイートしようとしていたが10連投をこえそうになった。以下はある人間がネットで参照できそうな情報をよすがに記憶を思い起こしつつ書いたものであって、精確な回想というよりは無理にお話しの形に整理した雑感であり、実証に耐えうると保証はできない(いちおう書誌レベルでの誤記は避けたつもりだが)。何かしらか、読んで資するところが生ずれば幸いである。

発刊期(2007頃)のガガガ文庫は、富士見ミステリー文庫を更にサブカル寄せした気風に映っていた(海野十三・夢野久作・久生十蘭・坂口安吾そして大槻ケンヂの作品の「跳訳」が刊行されていた。SFやミステリ素養のあるノベルゲーム作者を著者に迎えており、ノベライズも種々あった)。

例えばSF作家の樺山三英による十蘭の「跳訳」作品『ハムレット・シンドローム』はあとがきで影響元としてアップダイク、イェイツ、ミュラー、デリダ、野阿梓を挙げていた。なお富士ミスは、桜庭作品の脱マンガ表紙の実現後の2009に刊行を停止している(富士ミスは壱乗寺かるた作品のほか、初音ミク絵師KEI表紙だった『イキガミステイエス』2008などが忘れ難い)。

大仰に言えば自分は、俺ガイル的な学園ものカラー以前(あるいは以外)のガガガ作品の読者だったという立ち位置になるのだろうか(山川進や神崎紫電も学生の恋愛友情青春を描いていたが生活自体がリアリティショウ化した芸能人養成学園が舞台だったり血腥さやアングラ感が濃いサイコスリラーであった)。

今では超訳というとニーチェが出てくるはずだがこれは2010年頃で、既に超訳六法全書シリーズが1990年代にあり河出文庫の超訳版・性の秘本コレクションなどもあった(なお今日ではポルノ的と仕分けうる通俗文学が18C仏では啓蒙思想の担い手でもあったと論ずる歴史家ロバート・ダーントンを想起のこと)。なので「跳訳」は捻った翻案というニュアンスが強いはずだ。

例えばブギーポップやひぐらしや麻枝作品や舞城作品を同じ地平において論じた『ゲーム的リアリズムの誕生』刊行が2007年3月でガガガ文庫とルルル文庫は2007年5月刊行開始(2006から賞を開催)だった。ガガガは新参の二次元オタクと古参のSF勢ミステリ勢と純文学の合流地点を自ら以て任じたファウスト(そこでの連載がゲーリアの元になっている)を横目にしながら(上掲書のほかユリイカ2004年の西尾維新特集や2007年の米澤穂信特集などの論者の並び具合が自分の念頭にはある)ファウストとは別様の場となることを志向して「跳訳」とか刊行していたのではなかろうかと思っている。され竜移籍、ぼくらの小説版、中里十や中村九郎作品も銘々に忘れがたい。中里で思い出したがいつか瑞智士記のあまがみエメンタールは精読したい。

もちろんファウスト系でも「跳訳」系でもない雰囲気のラノベがいっぱいあった。例えば電撃では、有川や桜庭の"一般文芸"進出と前後して電撃の御影瑛路や紅玉いづきによる非マンガ絵表紙ラノベが話題になっていた。それに半分の月がのぼる空、しにがみのバラッド。等の死が身近な青春系のものは上述の枠組みでは語りがたく、セカチューやケータイ小説、またシゴフミや地獄少女などと並べて論じられるべきだっただろう。ハルヒは2007年に9巻が出て2011まで新刊が止まるが、2006のアニメ受容の間の時点でラノベ的圏域とは別様のらきすたOP→ハルヒED的ダンス文化が広がっていた気がする(ただ往年のニコニコを私は知らない)。

『このライトノベル作家がすごい!』2005でインタビューされてるのが桜庭や時雨沢と共に豪屋大介(仮想戦記の佐藤大輔)や喬林知(角川ビーンズのまるマシリーズで知られる)である。現行のゼロ年代批評系や文学研究系やジャンル批評系の人々がどこをどう捉えているのか、自分は勉強しきれていない。

電撃で言えばゼロ年代前半は既にブギポ内の活劇要素がシャナ-禁書-バッカーノと濃くされていった気がするし、先述の半月、しにバラもあった。あとドクロちゃんの系列もある。当然レーベル内でのカラーの差もレーベルごとの差もあって、例えばファミ通などで日日日読んでいたりMFでゼロ使読んでいたひとは別の景色を見ていただろう。

ゼロ年代後半にはとらドラや俺妹などけいおん!と似た意味で日常感のある(異能力とかが薄い)ものが増えていっていたし(ファンタジー的活劇的意匠が薄まり人間ドラマが前景化してくる印象だった。集英社SDだが迷い猫オーバーラン!とか)、他方、活劇方面では川原礫や佐島勤のラノベ化がネット小説のラノベ界への進出として話題であった印象がある。というかそれを拒否るラノベ読者たちがいた気がする。SAOや魔法科の主人公や設定や描写は自分たちの評価軸では肯定できないというような感じで。ただ、いま思えば電撃で登場時に新味と評価されていた狼と香辛料がプレまおゆうひいては異世界商売ものの走りだった気もする。2010年代前半には、リゼロやこのすばがラノベになり、ラノベVSなろう小説という構図はよくわからない(旧いし無駄に攻撃的といわれる。それは一程度正しい)ものになっていった。ネット小説群(一次二次問わず)とラノベの関係はずっと気になっている。

私は学園話のよい読者にはなれていなかったのだと思う。2010年前後、私は俺ガイルもAURAも読んでいなかったし、とある飛空士への追憶も読んでいなかった。他のレーベルで言えば、はがないも読んでいなかった。邪神大沼を読んでいた。ただ、耳刈ネルリとか、ぷりるんは読めたのだった。エモ的な物語全般が受け付けなかったかと言えばそうではない。例えば『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』は当時から読んでいたし今も読み返す。とはいえその後のラノベ関心は例えばスマッシュ文庫の『かまいたちの娘は毒舌がキレキレです』やHJ文庫の松岡万作『もえぶたに告ぐ ~DRAMATIC REVENGE STORY~』など、ある種のキワモノ的な作品に移っていった気がする。仙田学によるNMG文庫の『ツルツルちゃん』を思い出したがあれは八年前の作品だった。おかゆまさきによるダッシュエックス文庫の『マルクスちゃん入門』を思い出したがあれは五年前の作品だった。真宮寺のぞみ『血まみれ学園とショートケーキ・プリンセス 』をいま読み返すと面白いというのが、最近漠然と書きたいことだったが、これも1994作品だ。いまは、やる夫スレまとめサイト、なろう、ハーメルンなどで物語を読む割合がずっと多くなっている。(だから『VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた』のラノベ化には目をみはったりしていた)。ざっと書いてきたが、大事にしていたはずなのに抜けている話などもあるかもしれない(例えば彩雲国物語は今回の流れでうまく展開できず)。とりあえず今回はここで擱筆する。

補遺。ラブコメだと比嘉智康は神明解ろーどぐらすや泳ぎません。を読んでかなり忘れがたいので何か書けるようになりたい。また、甲田学人や綾里けいし、来楽零や黒史郎など、ラノベのホラーの話もできるようになりたい。

[了]

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