こぼれ話:「闇の自己啓発(Dark Self- Enlightenment)」の字面から出発して

2021年1月22日の午後、発売翌日に『闇の自己啓発』重版が決定した、との報せをいただきました。1月27日にはさらに重版(3刷)が決定したとの報せもいただきました。共著者のひとりとして大変ありがたく思っております。なお、現在Amazonページでは、一時在庫がなくなったからか、高額の(私が確認した時点では定価の約3倍)中古品が売られてるようですが、聞いた話では2月6日頃に定価の在庫が補充される見込みのようです。お待ちいただければ幸いです。定価で紙の新品が変えるのに、高額な紙の中古品を買ってもらうのは読者にも申し訳が立たないですから、取り急ぎでのお知らせでした。

さて、以下では「闇の自己啓発(Dark Self- Enlightenment)」という名前、この文字列に関連する、2つ3つの余談をできればと思っています。以前に別の記事でも触れましたし、『闇の自己啓発』補論でも述べたことですが、読書会の呼称「闇の自己啓発会」は、思わず口をついて出たものをそのままに使ったところ、思いのほかに続いていったというようなものでした。とはいっても使い続ける上で、多少なりと字面に関連する調べ物をしたりして、そこで知ったこともありました。以下、深い話というよりインターネットで見聞したものを並べる趣になりますが、そんな「こぼれ話」をしてみます。

なお『闇の自己啓発』と「暗黒啓蒙」の関連性や(といっても関連性が薄いというかそこまででもないかもという話ですが)、書籍英題の冠詞が「A」であり「The」でない件には以下の記事で触れてみました。ご参考までに。

■「The Dark Enlightenment」の先行著作(字面上)

現在のところ、これらの字面に関連して想起されるのはもっぱら、ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』(2020年講談社,五井健太郎訳,木澤佐登志序文)として翻訳されているWeb上の文章、「The Dark Enlightenment」だと思います。それは元々『ザッツ上海』なる雑誌のWeb版コラムのひとつとして連載されていたランドによるブログ連載記事だったようです(『暗黒の啓蒙書』訳者解説p.258を参照)。ところで、この「The Dark Enlightenment」という文字列は、ランドのようなある種の加速主義者――ちなみにトランスヒューマニズム的な意味合いでの「加速主義」にはSF作家ロジャー・ゼラズニイ『光の王』(原著1967年,日訳新版2005年早川書房)などの先行例があります――の専売特許かと言えば、そうではなかったようです。ランドによるWeb記事「The Dark Enlightenment」の連載以前の2010年に、D.J. Moores『The Dark Enlightenment: Jung, Romanticism, and the Repressed Other』(フェアリー・ディキンソン大学出版)という著作が出版されていました。日題を与えるならば「闇の啓蒙:ユング、ロマン主義、抑圧された他者」となるでしょうか。この著者は、アメリカのロードアイランド大学で英米文学を学んでいたようで、2006年出版の『ワーズワースとホイットマンにおける神秘主義的言説:トランスアトランティック[大西洋横断的]な架け橋』(ピーターズ[Peeters]出版)をはじめ、神秘主義と詩の研究(他の著作ではルーミー、ディキンソン、タゴールなどを論じたりもしています)を行っており、大学で教鞭もとる傍ら、詩のアンソロジーの編者などをもつとめてきた人物のようです。そしてこの『闇の啓蒙』では、どうも、ユングの議論を援用しながらロマン主義を評価しており、啓蒙主義がいったんは抑圧した諸々を再考するような思潮として、ロマン主義を論じているようです(もちろん、このような見立てには単純化が過ぎるという批判が入るかもしれません)。

ランドが『闇の啓蒙』を知っていたかは未詳ですが、少なくとも時系列的には「暗黒啓蒙」より『闇の啓蒙』の方が先行の「The Dark Enlightenment」であったようです。しかし自分が調べた範囲では、英語圏であってもランドの「暗黒啓蒙」と同題の著作があるといった話題は見当たりませんでした。遡って探していけば、また別の「The Dark Enlightenment」を用いた著作が見つかるかもしれません。言葉や観念の来歴、それらの注目度や、それらの先後関係と、影響力と言われるようなものについて、考えさせられました。

思えば啓蒙主義を横道から考えるような著作で闇を打ち出すのも、そう異例なことではないのかもしれません。西欧中世文学に詳しい(特にチョーサーの『カンタベリー物語』を扱ったエッセイで知られる)アメリカの文芸評論家、John V. Flemingによる2013年の評論『啓蒙のダークサイド:理性の時代における魔術師、錬金術師、霊的探求者[The Dark Side of the Enlightenment: Wizards, Alchemists, and Spiritual Seekers in the Age of Reason]』(W.W.ノートン&カンパニー)では、例えば薔薇十字団やフリーメイソンが啓蒙主義の中で果たした役割にくわえ、おそらく日本でも名の知れているカリオストロ、さらに「神聖同盟」の提唱で知られるロシア皇帝アレクサンドル1世に影響を与えていたとされる神秘主義者、バルバラ・ジュリアーネ・フォン・クルーデナーなどの人物が論じられているようです。こうした著作でも、啓蒙の(反対物というよりは)傍らにある「闇 [Dark]」が語られていたのでした。

この語「ダークサイド[Dark Side]」で思い出されるのはスターウォーズで、私はうっかり、ジャン=クー・ヤーガ『ジェダイの哲学』とジェフ・スミス『人生にフォースは必ヨーダ』という共に学研プラスから2017年に出た2冊を想起してしまったのですが(ちなみに、前者は「落合陽一氏推薦」の和書で、後者は人生論っぽい絵本の趣がする洋書の日訳)、考えてみれば今ではハローキティミッキーマウスクマのプーさんもこぞってニーチェを読むような時代であり、実際、スターウォーズで哲学と人生の話をする本は上記以外にも色々あり、そう思えば「ダークサイド[Dark Side]」の語から様々なカルチャーにジャンプできてしまうことも、さほど妙ではないのだと言えてしまうのかもしれません(以前、ハローキティーがニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』を読む文庫本は手に取って読んでみたことはありました。現在、私が気になっているのは、シナモンロールが読むスピノザ『エチカ』と、けろけろけろっぴが読む兼好法師『徒然草』です。なお、個人的に兼好関連で読みたい本に、小川剛生『兼好法師』(2017中公新書)があります)。

もっとオカルティズム感のある研究書もあります。フィンランドのトゥルクにあるオーボ・アカデミー大学(スウェーデン語で教育がなされるらしい)で比較宗教学と北欧民俗学を修めた書き手ケネット・グランホルムは、2014年に『暗黒の啓蒙:現代の秘教的魔術における歴史的・社会的・言説的な文脈[Dark Enlightenment:The Historical, Sociological, and Discursive Contexts of Contemporary Esoteric Magic]』(ブリル出版社)を発表しています。この本では、スウェーデンに起源を持ち、左道(Left-Hand Path, LHP)に分類されるという魔術、ドラゴンルージュを主な事例として、宗教史や宗教社会学などに接続できるような議論を展開することが試みられているようです。

北欧と言えばしばしばネオペイガニズム(復興異教主義)などと結びついたりもするヘヴィメタル――デスメタルやペイガンメタルほかのサブジャンルでも知られているわけですが、この著者もメタルやネオフォークなどの音楽に関する記事を書いていて、そういう音楽文化との関りも念頭にあるのかなと思ったりします。なおメタルのイメージの湧かないひと向けに、ギャグ漫画ではありますが若杉公徳『デトロイト・メタル・シティ』などをあげておきます。また私自身はメタルの熱心な聴き手ではないのですが、スウェーデンのデスメタルバンドHypocrisyのボーカルPeter Tägtgrenによる音楽ユニットPAINの曲『Shut Your Mouth』(2001年)のMVは、時折、視聴していました。

PAIN『Shut Your Mouth』2001

今、この曲にはロシア語のコメントが沢山ついていますが、私はこれが現代ロシアで受容される文化的背景が、よくわかっていません。たぶんYoutubeでRadio Tapokというロシアの音楽グループが上げた2017年のカバー曲で、再び注目が集まったのではないかと思っています。同グループは、 ドイツのラムシュタインほか様々なバンドのロシア語版カバーを発表中のようです。

実は「闇の自己啓発」にも先行例が見つかります。Twitterでハッシュタグをつけて「闇の自己啓発」を検索すると、いくつかの使用例に辿りつきます。そこで「魔王14歳」という名前を見た私は、不意を打たれたような気持ちになりました(2014年に「闇の自己啓発」というタグをつけた呟きがあったと私は知らないままで読書会でそう口にしたつもりだったのですが……。実は忘れていただけで、かつて目にしていたのか、本当に無関係だったのか、今はもう判然としません)。私がかつてインターネットでブログを読み始めた頃に出会ったブログのひとつが、『魔王14歳の幸福な電波』でした。当時に私が読んでいたのは、このブログ内の膨大な記事のうちのごくわずかな分量で、よい読者だったかは、わからないです(ここ数年は眼が遠ざかっていました)。でも再び巡り合って(というには一方的すぎるかもしれませんが)奇縁を感じています。10年以上ブログで書評などをお続けになる姿には本当に敬意を感じます。雑誌を買わない(買えない)環境にあった私にとって、こうした書評記事がどれほど重宝なものであったか、改めて往時が思い起こされます。私は『胎界主』や『幻想再帰のアリュージョニスト』をいまだに読んでいないですが、きっといつか、必ず読むことになると思っています。文字列からの検索の旅が、思わぬ仕方で己の思い出を賦活させることがあります。それはいつも、喜ばしい驚きの瞬間です(いわば、検索ガチャ?)。

■"Self-Enlightenment", "Self-Help" and "Personal development":「自己啓発」の訳語に関して

牧野智和「自己啓発」(『現代思想』2019年5月臨時増刊号,現代思想43のキーワード所収)では、平成日本に至る「自己啓発」なる領野の形成過程が明快に要説されています(江戸時代中期頃までさかのぼれる「通俗道徳」から明治大正昭和と続く立身出世主義、それ結びつく修養主義、それらが1980年代頃にニューエイジ思想と繋がる形で「精神世界・自己啓発」が成立する流れが示され、90年代のいわゆる「心理主義化」「心理学化」と呼ばれる「心」への大衆的関心の増大を皮切りに平成「自己啓発」言説の変遷が記される)。

その冒頭では明治初期のベストセラーのひとつであるサミュエル・スマイルズ『西国立志編』(1871年,中村正直訳)が挙げられていますが、同書の英題は「Self-Help; with Illustrations of Character and Conduct[自助:性格と所作の説明と共に]」であり、つまりは『自助論』なのでした。このことを思うと、「自己啓発」は「Self-Help」と呼ぶべき領野なのではないか、という気持ちにもなってきます。他方で、今日の経済産業省特許庁の採用パンフレットでは「自己啓発」の訳語に「Self-Enlightenment」が与えられている用例を確認でき(特許庁HP「事務職員の採用について」内の採用パンフレット12頁を参照。2020年度版、2019年度版のどちらでもよい)、この語用の来歴はまだ調べ上げていないですが、「自己啓発」を「Self-Enlightenment」と呼ぶ余地もやはり残ってはいそうです。とはいえ、英語圏でも「自己啓発」といえばスマイルズ由来の「Self-help book」の呼称で知られているようで、例えばスティーブン・R・コービー『7つの習慣』(原著1989)は「セルフヘルプ・ブック」として分類されているはずです。「セルフ・エンライトメント」で調べたところ、瞑想やオーラや占星術が出てくる生き方指南書、「カナダ・コーポレーションの形而上学センター」の創設者らしい「スピリチュアル・アドバイザー」の書いた本、そしてロンドン生まれで詩を書き音楽に親しむ(詩や曲を発表したり音楽とメディアを大学院で学んだらしい)人物の手になる物語作品が出てきたりして、思いきり「精神世界」寄りの著作が散発的にこの語を用いているようだ、という感想になります。ちなみに、社会学者で文化批評家のミッキー・マギー[Micki Mcgee]は『Self-Help, Inc. : Makeover Culture in American Life』(2005年オックスフォード大学出版)という著作で、この「セルフヘルプ・ブック」なるジャンルへの人気の高まりを社会変化と結び付けて論じているようです。「自助(株):アメリカの生活における改造カルチャー」とでも訳せるでしょうか。以下の著書紹介にある一節を引用し日訳しておきます(個人的に、本の内容を読んでみたくなった一節です)。

The ideal that one "be all one can be" has become a demand that one maximize one's self as "human capital." Self-Help, Inc. reveals how makeover culture traps Americans in endless cycles of self-invention and overwork as they struggle to stay ahead of a rapidly restructuring economic order.
「自分のなしうる全てができる」ひと、という理想は、ひとが自身を「人的資本」として価値最大化する要求へと転化している。アメリカの人々が急速に再構築されていく経済秩序の先頭に向かうため苦闘する傍ら、自前での工夫と過剰労働からなる終わりなきサイクルへとどのように改造カルチャーによって追い込まれてしまうのかを、『自助(株)』は明らかにしている。[私訳]

なお同2005年には、アメリカの民俗学者、サンドラ・K・ドルビーも『Self-Help Books : Why Americans Keep Reading Them[自助本:なぜ、アメリカの人々はそれらを読み続けるのか]』という著作を、インディアナ大学出版から刊行していたようで、こちらも上と併せて読んでみたいなと思いました。

ちなみにどちらの著作も下の英語版ウィキペディアの記事で引用されていたものです。こういうとき、ウィキペディアに対してとりわけ感謝の念が湧きます(なお以下ウィキペディアの記事は全て2021年2月2日最終確認です)。

ところで、上の記事「Self-help book」は日本語版ウィキペディアの「自己啓発」や「自己啓発書」とは関連づけられていません。では、日本語版記事「自己啓発」はどの英語の記事に対応するとされているのでしょうか。――それは「Personal development[自己開発]」です。この記事「自己開発」ではユングやアドラー、レビンソンやバンデューラ、またマズロー、そして今日の「ポジティブ心理学」の創設者セリグマンといった、様々な「心理学」系の学者の名前を見ることができ、それらに由来する知見とビジネス現場などでの実践とがどう結びついているかを、改めて読み手に想像させるところがあります(ちなみに「自己実現」と関連付けられた「Self-actualization」という記事が「自己開発」と別にあります)。このあたりの話の入り組みようは中々のものだと感じます。うまく整理していくには、もう少し分け入って調べる必要がありそうです。そしてそれはまた別の機会に。一旦結びます。

■"Enlightenment"と「悟り」と"Endarkenment"

先ほどは、語句「Self-Enlightenment」が含まれる本を英語圏で探すと、ある種のスピリチュアル系っぽい本ばかりヒットしたという話をしました。私にパーソナライズされた検索エンジンがそれらをサジェストしてきただけではないとすれば、いわゆる仏教的な「悟り」の訳語として「Enlightenment」が当てられてきたという文脈が、この事態に関わっているのかもしれません。少なくとも、ウィキペディア英語版には「悟り(スピリチュアルな)」と「仏教における悟り」との記事が確認できるのは確かです(2021年2月3日最終閲覧)。このような訳語がいつから与えられているのか、私にはまだ調べがついていません。ですが、少なくとも国家図書館デジタルコレクションで「Self-Enlightenment」を検索してみると、International Buddhist Societyから出版された、『Buddhism, the fountain head of intellect. [Being an exposition of Buddhism for the beginners]』(1938年)という文献が出てきます(題は「仏教、知の根源[ビギナーに向けた仏教の説明]」となるでしょうか?)。そしてこの書籍の中に「Self‐Enlightenment」(13頁)と「Contemplation after Self‐Enlightenment」(14頁)という見出しが認められるようです。これらがどういう意味合いで用いられているのかは、内容未見のため、私には未詳です(ちなみに、International Buddhist Societyとは1933年に設立された国際仏教協会を指すと思われます)。こうなってくると語「Enlightenment」やこのような語で伝えられてきたはずの観念「Enlightenment」の来歴に関しても知りたくなるところですが、英英辞書で用例を調べて、みたいな作業はちょっと労力的におゆるしください(それで言えば、日語「自己啓発」も国会図書館デジタルコレクションで検索すると藤田日東『最新独学法』第五章「自己啓発に資する独学」(23-26頁)というのがヒットして、幾らか調べてみると、どうも「啓発」なる語の意味も使われ方も現在と違いがありそうで、明治期の国語辞書や英和辞典や和英辞典などで説明を見てみたくもなるのですが、これも大変そうです)。あと、色々調べていたら、ボストン大学の思想史研究者が「Enlightenment」に関して調べた内容をブログに書いているようで、これを読み切ろうとするとこの記事を終えられないで歳月が過ぎ去りそうだったので取り急ぎOED(オックスフォード英語辞典)での語「Enlightenment」の説明の話から始まる記事のリンクを貼って、締めに向かいます(この勢いで考えていくと漢和辞典ほかを引きながら「悟」なる字やその観念の歴史も調べることになってしまいそうですが、私は調査不足で、今はここまでです)。

さて、啓蒙が「En-light-en-ment」ならば「En-dark-en-ment」という造語もありそうなものです。というわけで検索をしてみたら、イングランドのエクストリームメタルバンドが2020年に発表した曲に辿り着きました(同年発表の同名アルバムに所収されているようです)。ジョージ・オーウェルやウンベルト・エーコほか、様々な人物の文章が引用されたMVが印象的で、あとデスヴォイス絶叫と叩きつけるようなドラムの高速ビートにクリーンパートのメロディックな歌声が混じりもして、聴いていて大変な感じになります。

■Anaal Nathrakh『Endarkenment』2020

ということで、「闇の自己啓発(Dark Self- Enlightenment)」との字面から始めて、エクストリームメタルに辿り着きましたが、いかがでしたか?

読んだ方にとって役立つ何かがあったら、また読んだ方がこれまで知らなかったけれど魅力的に感じる何かと出会う機会ができていたら、私にとってもそれは幸いなことです。もう少し調べがついたら、また書いてみたいです。

[了]

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