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『〈叱る依存〉がとまらない』という自覚がある人、必読の書。

 人はなぜ、叱るのか。たとえば、親が子どもに、先輩が後輩に、上司が部下に。それはさまざまな場面で見聞きする。
 ともすると「子どものしつけのため」「相手のためを思って」「社会常識を伝えるため」といったもっともらしい理由づけがなされるが、果たして相手のためを思って叱っているのだろうか。
〈叱る〉の内側にある心理的な機序について解説する本である。

 自分の胸に手を当てて思い出してみよう。
「いつも子どもを叱っていないだろうか」
「後輩を指導する意味で叱責していないだろうか」
「部下を大きな声で叱責していないだろうか」
 おそらく多くの人が思い当たるのではないだろうか。なかには「そんなことをいったって、叱らなかったら本人のためにならないだろう」と思う人もいるだろう。

 しかし、叱られた方は、その場をうまく逃れるために謝罪はするだろうが、心から誤りを認めるとは限らない。自分で納得しているなら別だが、そうでないなら、また同じことをやってしまうだろう。
 そして、「何度いったらわかるんだ!」といって、さらに厳しく叱責することになる。いくら叱っても、効果はあまり期待できないのにもかかわらず。
 
 自分の行いを正すためには、自分の意思で気づき、「次は気をつけよう」と自覚することが大切である。主体性を持って自分の行為を振り返ることが重要なのだ。

 一方、叱る人の心の中をのぞくと、実は叱ることで快感を得ている。自分が優位の立場に立ち、相手を自分の管理下に置くことができるのだ。こんな気持ちのいいことはないだろう。

 人間は気持ちのいいことは何度も反復してしまうものだ。そして、エスカレートしていく。子どもを虐待して死なせてしまうという事件が後を絶たないが、そういう親はこの負のループに陥っているといっていいだろう。

 傍から見たら、「なんてかわいそうなことをするんだ!」と思うような行為でも、本人は冷静に自分を見ることができない。相手が反抗的な態度を取ろうものなら、その倍にして叱り飛ばす。そうして悲劇は起こってしまう。

「自分で〈叱る〉行為に陥っている」と自覚のある人は、まだ救いようがあるといえる。自分で意識して行動を変えることは、実のところ、なかなかむずかしいことではあるが、まったく自覚がない人に比べれば何倍も変わりようがある。

 他人に指摘されても反発心が出るだけだが、「〈叱る〉行為をやめられないが、何とかしたいと思っている」人は、まず本書を手に取り、読んでみることだ。それが変わるために最初の一歩である。

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