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「夜回り猫」が表紙の『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(稲葉剛・小林美穂子・和田靜香 編)の著者らは、猫の手も借りたいほど忙しい。

 表紙絵の「夜回り猫」は、本書の内容に即している。
 不安そうにたたずむ白猫に、マスクと食料を持って駆けつける茶トラの猫と白黒猫。これはまさにSOSを発信した生活困窮者に、なりふり構わず支援に行く著者の稲葉さん、小林さんの姿である。
 絵の手前に「我関せず」の様相で何羽もの鳩がこちらを凝視しているが、これは他人事として無視を決め込む私たち市民の姿だろうか。

 本書は生活困窮者支援団体「つくろい東京ファンド」のスタッフ、小林美穂子さんがFacebookにアップした文章をまとめたもので、2020年4月8日〜7月1日までの怒濤の活動の記録が、心の叫びとともに記されている。「叫び」とは「怒り」でもある。
 なにしろ、コロナ禍の影響で住む場所をなくし、所持金も尽きた人々がたどり着いた福祉事務所で、けんもほろろに追い返されるのだ。これを理不尽といわずして何と言おう。

 憲法25条には「生存権」が掲げられ、「国が困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ必要な保護を行い、最低限の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」と明言されている。

 にもかかわらず、その窓口となる福祉事務所で、生活困窮者を排除する水際作戦により生活保護の申請を受けつけてもらえない。その日、泊まる場所もないのに食料だけ渡されて追い返される、あるいは、劣悪な環境の無料低額宿泊所に案内されてしまう。
 そして、福祉事務所のスタッフが、平気でうそをつくのだ(もちろん、そうでない人もいる)。いやはや、まったく、小林さんじゃなくても、驚き呆れ、腹が立つ。

 小林さんたちにSOSを求める生活困窮者は、コロナ禍以前には問題として表面化されてこなかった人たちである。
 つまり、路上に出るほど生活には困窮していないが、アパートを借りる支度金はなく、非正規労働で日々をなんとか生きてきた人たちなのだ。広い意味でいえば、いつ路上に押しやられるかわからない、見えざる生活困窮者といっていいかもしれない。

 現在、日本の労働者の半数近くが非正規労働者であるが、ここまで増えた発端は1986年に施行された「労働者派遣法」にある。このときは専門的な技能を有する業務に限定され、時給も高かったように思う。
 ところが、その後、日本経済が低成長期に入ると派遣労働の対象業務がどんどん増えていき、それに伴い、非正規労働者が増えていった。専門的な技能を必要としなくても仕事が見つかるようになり、それと同時に低賃金に甘んじざるを得ない状況も生まれたのである。

 新卒で正社員になれればラッキーだが、氷河期世代の若者は正社員への道が閉ざされ、非正規雇用のまま年齢を重ねている人も多い。
 正社員にはボーナスや昇給などがあるが、非正規労働者には貯金する余裕もない。体調を崩したり、実家に頼れなかったりしてアパートの家賃が払えなくなれば、住むところを失ってしまう。そうして、ネットカフェなどで寝泊まりするのが常態となってしまうのだ。

 こうした隠れ生活困窮者が、コロナ禍によって表面化したということだろう。従来、ホームレスといえば、日雇い労働者が多かったが、いまは比較的、若い人や女性が多くなっている。おそらく、自分がそんな危うい人生を送っていたとは思っていなかったのにちがいない。
 
 こうした「まさか、自分がホームレスになるなんて」という人たちを路上から救い出し、生活保護につなげ、生活の立て直しを支援しているのが小林さんたちボランティアなのだ。
 本来、こうした支援は国が行うべきものだ。国民の生活を守るのが国の役割ではないのか。それを放棄している現状は、国民を見捨てているも同然である。

 小林さんの怒りは、国民の怒りでもある。コロナ禍で仕事を失い、住むところを失う可能性は、だれにでもあるからだ。
 自己責任では到底、生活を立て直すことなどできない状況があり、他人事ではなく、自分事としてとらえる必要があると、私たちに迫ってくる著書である。

 

 

 

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