日本の政治の貧困をあぶり出す『貧困パンデミック〜寝ている「公助」を叩き起こす』(稲葉 剛 著)

 日本は弱者に冷たい社会だと痛感させられる本である。政治が生活困窮者に目を向けず、菅元首相が提起した「自助・共助・公助」という優先順位がいまも続いている。

 著者は、つくろい東京ファンド代表理事、ビッグイシュー基金共同代表、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、生活保護問題対策全国会議幹事、いのちのとりで裁判全国アクション共同代表として、生活困窮者支援を行っている人物で、本書は、コロナ禍が始まった2020年春からの1年間の活動を記録したものである。

 著者の稲葉剛氏は、2008年の年末年始に行われた「年越し派遣村」から生活困窮者支援を行っているが、コロナ禍が始まって以降、炊き出しや食料品配布、相談会に訪れる生活困窮者の様相が変化しているという。
 コロナ禍以前は、路上生活歴の長い高齢者が多かったが、いまは20〜40代の若者、女性、子ども連れなど、コロナ禍で仕事を失ったり、減給したりした人たちが生活困窮者となっている。

 そもそもコロナ禍以前からネットカフェで寝泊まりする人がいたのだが、あまり問題視されることがなく、今日に至っていた。コロナ禍の影響で、そうした人たちが「路上に出ざるを得なくなる」という生活基盤のもろさが露呈したといえるだろう。

 考えてみれば、ネットカフェで寝泊まりし、それが常態化するというのは異常なことである。アルバイトやパートなどの非正規労働の場合は、確かな住所がなくても働けるのかもしれないが、正社員の道を探ろうと思ったら、アパートなどに暮らし、自治体への住民登録が必要となる。
 実に危うい生活のしかたをしているのだ。

 著者は、以前から「ハウジングファースト」を提唱していた。住む家がなければ就職活動もままならず、緊急的に全国民に支給された「特別定額給付金」を受けとることもできない。
 ところが、国の支援策は「施設ファースト」なのである。たとえ、雨風をしのげる施設に入居できたとしても、ずっと滞在できるわけではない。期間が過ぎれば退去するしかないのだ。
 また、行政が紹介する施設は相部屋だったり、無料低額宿泊所(以下、無低)という劣悪な環境の施設だったりする。無低には生活保護費の受給者が多く住んでいるが、入居費や食費などを要求され、受給費の大半を搾取されることもある。いわゆる「貧困ビジネス」が横行しているのだ。

「公助」となる国の生活困窮者向けの支援策の大きな柱が「生活保護」である。しかし、その実態はというと、福祉事務所の窓口で申請を拒む「水際作戦」が公然と行われている。コロナ禍の影響で住むところを失い、ホームレスにならざるを得ない人を救うどころか、「自助を行え」と追い返しているのだ。
 こうした状況を変えるべく、著者らが厚生労働省(以下、厚労省)に働きかけてきた結果、2020年12月22日、厚労省のホームページに「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」というメッセージが掲載された。
 とはいえ、各自治体に周知徹底されているかといえば、実に心許なく、あいかわらず、申請させないというところもあるようだ。

 その一方、残金が数十円しかないという生活困窮者であっても「生活保護は受けたくない」と拒む人も多い。その背景には、2012年に「お笑い芸人の親族が生活保護を受給している」という報道を発端に、一部の自民党の議員が生活保護バッシングを展開したというものがある。
 国民の生活を守るべき政治家が「弱い者いじめに手を貸す」というあり得ない状況が日本を席巻し、多くの国民も「そうだ、そうだ」と世論を後押しした。

 さらに、生活保護を申請すると「親族に扶養照会される」という壁が横たわる。扶養照会とは、生活保護を申請した人の親族に「援助が可能か」を問い合わせるというものだ。
 考えてみればわかるのだが、金銭的な支援が可能な親族がいれば、生活保護を申請することはないのではないか。
 実際、申請をためらう人の理由には「親や兄弟に自分の窮状を知られたくない」「何十年も音信不通」「DVや虐待から逃れてきたのに、居場所を知られたら困る」などがある。

 現在、厚労省では、DVや虐待があった場合は問合せをしない、20年以上、音信不通だった場合、親族が70歳以上の場合なども問合せをしなくてもいいと通知を出している。
 しかし、一部の申請窓口では「申請したら扶養照会を行う」と脅し文句を突きつけて申請を断念させることも行われている。
 著者は、本書の中で「前時代的な扶養照会は完全撤廃されるべきだが、現在の政治状況では実現がむずかしい。現在、コロナ禍で生活困窮者が急増しているという状況を踏まえ、まず扶養照会の運用を最小限に限定することを求めたい」と述べている。

 現状は生活困窮者に厳しい社会だといわざるを得ないが、希望もある。つくろい東京ファンドが運営している「カフェ潮の路」を訪れるお客さんの中に、路上生活者の支援に手を貸す人が現れているのだ。
 もともと「カフェ潮の路」は、路上生活経験者の仕事づくりと居場所づくりを目的に生まれたカフェで、地域住民との交流の場ともなっている。
 生活保護バッシングを後押しする人がいる一方、生活困窮者を支援したいという人もいるということにホッとする。

 コロナ禍はまだまだ終息が見えず、仕事や住まいをなくす人の数も減りそうにない。こうした状況の中、「共助」で生活困窮者を支えようという著者のような人たちの存在はありがたく、頭が下がる。
 しかし、本来なら「共助」ではなく「公助」が先に立つべきである。本書のタイトルにあるように、寝ている『公助』を叩き起こさなければならないのだ。

 


 
 

 

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