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『本心』(平野啓一郎 著)は、近未来の物語だが、生きることの意味を考えさせる一冊である。

2040年。現代よりAI技術が進歩し、VF(バーチャル・フィギア)が当たり前のように使われている。VFとは、仮想空間で亡くなった人と会話ができるというものだ。主人公の朔也は、〝自由死〟を望んだ母親の「本心」を知りたくて、VFの製造を依頼する。そして、母を巡ってさまざまな人と出会い、いつしか〈母〉から卒業していく。

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死んだ人の過去のデータから、見た目も考え方も話し方も、生前の本人そっくりなVFを作ることができる。そんな世の中になったら、どんなに心が癒されるだろう。たとえ、相手が「心」のないロボットだとしても、目の前に愛する人が現れたら、どれだけ悲しみが癒されることだろう。

近未来では、自分で「死」を選ぶことができる〝自由死〟が存在している。朔也の母は〝自由死〟を望んでいた。しかし、朔也はそれに反対し、生きてほしいと懇願するが、ある日、朔也が海外出張している間に、母が事故で亡くなってしまう。運命とは皮肉なものだ。

朔也は母の死を受け入れることができず、「なぜ、母は自由死を望んだのだろう」と、その本心が知りたかった。何か深い理由があるはずだと疑い、〈母〉のVFをつくる決心をする。

母の本心を知りたいと、母の同僚だった若い女性と話をする。彼女の口から真相を聞けないかと願ったからだ。残念ながら、彼女から母の本心を聞き出すことはできなかったが、成り行きで彼女と同居することになる。

朔也の仕事は〝リアル・アバター〟である。カメラ付きのゴーグルを装着し、依頼者に代わって、行きたいところに行き、同時進行で映像を送る。だれにでもできる仕事だが、肉体的にも精神的にもきつく、長続きする人は少ない。だが、朔也は6年近く、この仕事をしている。

あるとき、遊び半分の依頼人に弄ばれ、心が乱された朔也は、ある事件を起こし、それをきっかけに「向こうの人」(富裕層)である年下の男性と知り合う。そして、彼との出会いが朔也の生活を一変させる。

母の本心を知りたいと行動を起こした結果、いつしか朔也は母の死を乗り越え、母の本心がどうであれ、それを受け入れる心境に到達するのだ。

貧困層といえる「こっちの人」だった朔也。生きる希望を失いかけていた朔也だったが、肉体を持った人々とのリアルな語らいによって、彼の人生は大きく好転していく。

VFはしばし、心をなぐさめてくれるが、やはりロボットでしかない。魂のない仮想空間で、真の心の平安を得ることはできないのだ。人と人とが現実に顔を合わせ、話をし、行動を共にすることこそが、人を成長させる。そう思わせてくれる小説である。




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