点と線、円と縁、糸とループ①

あれから四季が何度巡っただろうか。
塀の中から出た日、あの人はいなかった。
わかっていた。最後にあったのは数年前だったろうか数ヶ月前だったろうか、もうわからない。その時、いつもスキニーなパンツ姿のあの人がフワッとしたワンピース•シャツを纏っていた。
娑婆の空気は何も味がしなかった。
空はただただ青くて、ザラザラとした砂嵐色で、これが空きチャンネルの色だったのかと独りごちた。
もう何もいらないや。そう思った。はずだった。


もう何もいらないや。
とは言え生きていくには何かと必要なものは多い。上のヤツらには何もわかってないみたいな感じで見下されてばっかりだけど、それくらいわかっている。むしろ何も知らないのはアンタたちだ。
えっと、靴下、下着、お気に入りのシャツとパンツ、上着はどうしよう。とりあえず、全部。たぶんまだいらないけど、必ず必要なはず。鏡もブラシもスマホの充電器も。ドライヤーも化粧水もコスメも。
あれ。やっぱいる物いっぱいあるや。キャリー•ケースとリュックに入りきるかな。とにかく制服は、もういらない。燃やしてやりたいけど燃やすって危ない。そもそも燃やす場所なんか無いし火をつけるものも持ってない。昔は庭で平気でゴミを燃やしてみたいだけど、生まれてからこのマンションにしか住んでないしキャンプも何もしたことがない。とにかく袋に入れて捨てよう…今のやつは。中学のセーラー服は捨てたく無い…けど持っていくわけには行かないな。クローゼットに置いていこう。パパとママが気づいてクローゼットを開けたらアタシの中学の制服だけが残っているの。それがアタシの意思表示。そこでやっとアタシの気持ちに気づくの。でももう遅いの。そんな感じ。なんて痛快。
今夜、出よう。街が寝静まったときが頃合い。未明。家の鍵は…空いてるとパパとママが心配だから一応静かに閉めて、エントランス外のウチの集合ポストにいれてしまおう。もういらないから。サヨナラ。アタシはココを去る。何も言わずに。静かに。人知れず。そうしなければならない。



ただ歩いていた。気づいたら真っ暗になっていた。腕時計も端末もない。周りに時計らしいものもなく、ましてや時計塔もない。ここはロンドンではない。
星や月を読んで時間を類推する能力は持ち合わせていない。
思えば毎日が短調で規則正しくて時計はいつも見えたけどそのうち見る必要もなくなっていた。だいたいの食事のタイミングと作業と決まっているから自分にとって時間を確認する必要が無くなった。起きたら朝、2回目の食事が昼、消灯したら夜。それだけ。そう思ってからは何日経ったとかあと何日だとか何年だとかそういう感覚もだんだんとなくなってきてしまった。否。ひとつだけあるとしたら、あの人に会えるのはいつかという事だけだった。それだけが残っていた。
ここはどこだ?どうすればいい?何年も同じ場所にいたせいか、暗闇にぽつんといる自分を認めた途端に急に自分が宇宙に投げ出された感覚。恐怖と混乱と絶望感と寂しさ、詫びしさ。忘れていた感情感覚が一斉にめぐる。まだそういう感覚する感性は残っていたんだね。と俯瞰する自分がいう。
自分は世界にただ一人として投げ出された芦だと世界が声をそろえて押せ寄せる。”外側”が”内側”の自分をおしつぶそうとする。その時だった。真っ暗な一人在たはずのぼくの世界に、彼女がいた。

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