折に触れて

韓国は朱子学の優等生である。小中華を自任し、長年にわたって大中華以上
に一生懸命に朱子学を自分のDNAに取り入れて来た努力の結果、思考法が八股になり、言うことなすことが形式的で空虚なものになっている。権威ぶって滔々と自分の主張を述べるが、「それがどうした?」と言われればキレるしか方法がなくなってしまう。中国から科挙と宦官をコピーしてそれを真面目に勉強した結果、大中華よりも際だって朱子学的になってしまっている。

 閑話休題

 科挙はもちろん当初「いい人材を採用したい」という理想が掲げられた制度ではあったが、明代以降は急速に悪い面が目立つようになる。複雑怪奇な八股文を駆使して解答せねばならず、また儒教のテキストを丸暗記しないと良い点がもらえないことから、あの手この手でカンニングが横行する、コネで点数をメイキングするなどなど、正に「上に科挙あれば下に対策あり」の世界になった。「聊斎志異」は面白い志怪小説だがこの作者の蒲松齢、それに四大奇書の「紅楼夢」の作者曹雪芹などは科挙の落伍者である。科挙のプレッシャーで気が狂う受験生は数多いたと言われる。いくら才能があってもまず、相当に運用がいかがわしい筆記試験の科挙をクリアしないと立身出世の方策がないことが社会を病的にした一面は否定できないであろう。

 さて、科挙の合格者はより高く立身出世するためには科挙の採点にあたった先輩に指示し、所謂「雑巾がけ」から始める。これが中央政権内に党派を生み派閥を形成する。それでは科挙の不合格者はどうして生きてゆけばいいのか、また何段階かある科挙の下のレベルの合格者はどのようにしたのであろうか。

 ここで清和源氏を思い出して頂きたい。①文書が書ける②中央にコネクションがあるとなおよい、以上の2つの要素が地方で勢力を築く知識人の条件である。科挙落伍者や低レベルの科挙合格者は正にこの条件に適合する。「郷紳」という言葉があるが、これは明代以降の中国における地方の素封家を表す言葉だが、実態は地方の有力者であり納税時・訴訟時の会計士・司法書士である。

武力のある者は豪族と言っても良い。前に宗族会や秘密結社などを例に不信社会の中国における「関係(クワンシ-)」を説明したが、この「関係」の体系化が急速に進行するのが朱子学の広まり方や科挙の定型化と軌を一にする。「落ちこぼれ知識人」たちが地方を掌握し始め、日本史における「地方貴種」のように中央との仲介的な身分を利用し、中央政府に協力する顔をしながら、私財を蓄えてゆく。辛亥革命以降に軍閥が各地に乱立したが、この多くは郷紳階層から派生したものだと言える。

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