折に触れて(斎藤妙純グループの内紛)

さて、斎藤利藤と妙純が争ったときには妙純の肩を持って利藤を京にまで追いやった土岐成頼である。守護として居座るには強い方に担がれるべきだという原則に沿って身を処していた。ただ、そういった外部環境の判断ではなく、自分自身の身内の話となれば話は別である。土岐成頼の後継者の選定について斎藤妙純と成頼は意見を異にする。「万事俺が差配する中でお飾りになっていれば問題はない」と土岐成頼を見ている斎藤妙純。対して「守護代でもない妙純風情が土岐家の相続にまで口を出すのは僭越の至り」と憤る土岐成頼。妙純・成頼2人の間に隙間風が吹けば守護代本来の権力へ道が開ける斎藤利藤。三者三様の感情が絡んで美濃に嵐の兆しが見え始める。
まず、土岐成頼の不満は嫡子政房よりも弟の元頼を可愛がって、これに家督を譲りたいという想いに始まる。しかし、斎藤妙純は政房をあくまで嫡子と考えてこれに賛同しない。そういう経緯から家督相続を自分の思惑で進めたい土岐成頼は守護代の斎藤利藤に擦り寄って斎藤妙純を牽制する。ここに至り、「土岐政房+斎藤妙純グループ」と「土岐成頼・元頼+斎藤利藤グループ」の両派に美濃は二分されてしまう。
この時点では政房+妙純グループの方が形勢は有利である。こういった場合に不利なグループは敵方の些細な不調和を拡大して切り崩すことを考えたりする。斎藤妙純には有力な家宰として石丸利光、西尾直教という2人がいた。石丸利光は以前、妙純から命じられて斎藤利藤を近江まで追撃した男である。己の功を誇ったのか「斎藤妙純一の子分」と自任したものの、妙純から見れば西尾直教と比べて大きな差をつけるほどでもない。そのあたりを石丸利光が欲求不満を感じていたところへ斎藤利藤から悪魔の囁きがあった。「貴様に斎藤姓を許す。守護代家としては十分な待遇を約束するのでこちらのグループに来なさい。」この工作によって石丸利光は斎藤利藤へ主を替えることを決断する。内々行なっていた利藤~利光の交信をいち早く気づいたのが西尾直教である。相手からよく思われていないと感じた時点で自分も相手をよく思わない。西尾は常日頃から石丸を警戒し、彼が利藤・成頼陣営に寝返ったことを誰よりも早く知った。1494年の年も押し迫った頃、斎藤妙純は西尾直教の通報で石丸利光の謀反を知り、討伐を決意する。石丸は妙純の討伐軍が来ないうちに妙純を奇襲しようと兵を集めたが上手く運ばず、土岐成頼が間に入って一旦は停戦となった。しかし、停戦は講和ではない。石丸利光は船田城、斎藤妙純は加納城とお互いの居城に兵を集めて睨み合いの状況になる。


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