折に触れて

 インターネットの普及、交通手段の発展などによりグローバリズムが世界の基本にあると言われ始めて久しい。しかし、中国の台頭、トランプの出現などにより従来のような認識からグローバリズムという言葉の内容も変化し始めているように見える。

レッテル貼りの弊害だとも思うが、グローバル化と反グローバル化という言葉で世の中の事態を捉えてゆくとそれぞれの人が別の意味で考えているようにも思え、物事の本質を見誤るように思えてならない。

そもそも自由貿易を十二分に活用して1992年の鄧小平南巡講話以降に世界第二のGDPにのし上がったのが中国である。鄧小平が経済発展と共産党利権保持をウルトラCで解決した論理が社会主義市場経済である。しかし、これは鄧小平個人の持つ二面性の表出でもあり、この二面性の矛盾が今回の新型コロナウィルスの問題で一気に吹き出した観がある。


 3月31日から約2ヶ月にわたって4つの現代化から現在に至る中国の流れを駆け足で述べたが、自由貿易を通じたグローバル化に欠かせない要素がある。「自由」・「民主」・「法の支配」という概念だ。別の言い方をすれば「人権」という表現が適切なのかもしれない。中国にはそのいずれも存在しない。

 そもそも中国は国民国家ではない。国民(あるいは市民)による、国民主権の国家ではなく、「抑えつける側」と「抑えつけられる側」のみが存在し、何千年も人民が国家の運営に参加できないシステムを続けてきた国である。

皇帝を戴く形態から社会主義の「体裁」を取る国家になった今も基本的には何ら変化はない。それゆえ、一般の中国人は国から利益が取れる場合は国から利益をもらおうとし、国から望めない場合は国と距離を取る。この関係からは愛国心を望むべくもなく、ただ個人的な損得意識だけが助長される。

 社会主義市場経済というマジックは、共産党の利権を守りながら個人の利欲を刺激するという鄧小平マジックだ。それは共産党が搾取するために人民を踊らせると言い換えてもいい。各人民の利益を求める経済発展ではなく、共産党利権集団を太らせるための経済発展である。この2ヶ月綴ったのは利権集団の中で勝ち組になった者と負け組になり表面からいなくなった者の物語である。それは王朝があった時代と本質において何も変わるところがない。

 自由貿易は契約、約束がなければ運用できないシステムだが、中国には契約や約束の担保になるものがない。習近平になって日々顕著になる、中国が軍事的あるいは経済的に世界に出て行くと軋轢を起こす不思議は中国には対等に約束をする習慣がないからである。駆け引きで騙し騙されるのは当たり前、事実や歴史を自分の都合のよいように作りかえるのに何の抵抗もないからである。

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