折に触れて

 「傻瓜(シャーグア:馬鹿)!」と北京の飲み屋で戯れて連れの中国人に言ったら、「李鵬に聞えると逮捕されますよ」と半分本気の顔でたしなめられた。江沢民が党書記、李鵬は全人代委員長の頃である。当時の中国人の間では李鵬の仇名は傻瓜となっていて、言葉通りに軽蔑されているとのことだった。昨年2019年の夏に李鵬は90年の人生を終えたが、7月29日に行なわれた告別式は中国政府が主催する国葬レベルのものとなった。石平氏のコラムによれば告別式に習近平以下現役政治局常務委員が全員、江沢民元党総書記が出席したが、胡錦濤前党総書記は献花したものの欠席。朱熔基や温家宝といった国務院総理を李鵬の後に担当した後輩総理は顔を出さないばかりか献花もしていないらしい。筆者個人の印象としても冒頭の話のように表では立てられても裏では軽蔑されている典型のような人物だったように見える。


 李小琳という李鵬の娘がいる。2015年6月に中国電力投資公司の香港での取締役会に出席しようとして北京空港で「出国停止」を言い渡された。習近平の「打黒」の網にかかったという意味であろう。李鵬が存命であったために「出国停止」ということか。元々、李鵬一族には電力絡みで黒い噂が絶えない。特に有名なのは2009年に完成した三峡ダムの建設資金5兆円のうち半分を私物化したという話だ。李鵬自身が電力エンジニア出身であったため、特に電力に勢力を拡げ、利権にしていた。


 改革開放を快く思わない陳雲や李先念、彭真などの保守派の長老に従っている顔をしながら、中国の資本主義化の波を最大限に享受していた何とも困った人物だが、中国人が権力を持つとだいたい同様なことをしている。ただ、李鵬のような程度までコントラストを示す人はそう多くはない。要は羞恥心のレベルの問題であろう。


 この李鵬が趙紫陽に代わって国務院総理に就任したのは1987年。胡耀邦の党総書記辞任にともなって趙紫陽が党総書記に移った後に総理を仕留めた形である。当初、鄧小平の脳裏には姚依林の名前があったようだが、高齢を理由に若い李鵬に譲りたいと辞退されたらしい。何故、そこで李鵬かと言うと、周恩来の息子(養子)であったことが大きい。周恩来は文革中に毛沢東の暴走を停められなかったと責める向きもあるが、その反面文革中に多数の実務家幹部を保護している。むしろ、若き周恩来に子どもを見る眼がなかったことが責められるべきであろう。李鵬が総理であった時代に中国は暗転を始める。


 胡耀邦とともに進めていた改革開放をいろいろ問題がある李鵬総理とともに進めることになった趙紫陽党総書記は苦悩の2年間を務めることになる。

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