雑記#000 日記の浄化作用

◾️ハーバードの研究
ハーバード大学の研究によると、その日1日に学んだことを15分間振り返ることは、様々な効率化につながるらしい。

すごく内容のない要約だけれども、その日のことを整理する時間を作って何かに書き出しておくということは、記憶の定着にも良さそうだし、同時に気持ちの整理もついて心の平穏につながりそうである。

いろんなことがいい方向に働くということも一理あり、なんとなく正しい結論なんだろうなという気持ちになる。

◾️エッセイ本の購入
今年の2月、何かの勢いで、弘中アナのエッセイ本と、オードリー若林のエッセイ本をまとめ買いした。

きっかけは、弘中アナがバレンタインデーは最も嫌いな日と言っているネット記事であり、同様の内容がエッセイに書かれているという宣伝文句である。

共感できる話を直裁に語っている、しかもそれが可愛い女子アナウンサーであり、写真もいろいろついているとなれば、買わない理由は特にない。

特に使うこともないお金はこういう時に使うものだ。若林のエッセイ本は、そのついで。

前書きを読んでみて、元気に見える、仕事が楽しくて仕方がなくて順風満帆に見えるアナウンサーでも、所在なさを感じているのだなというごくありがちな感想と、自浄作用として文章を書くという話に何か突き動かされるような思いがした。

◾️たりないひとり
仕事は、日々何かしらのプレッシャーの中にあり、かつ常に納期との闘いの中にある。

エンジンがかかるまでに時間がかかり、そろそろやばいぞとならないと取り掛からない。
深夜に帰宅すれば、自由を求めて夜更かしして、何度も観た動画を繰り返し見る。

前向きにポジティブに、自律して積極性を持って、人生を謳歌する人間になりたいと思ってはいても、何をすればいいのかもわからず、具体的に生産性のある営みを行うこともなく、結局同じことを繰り返す。

そんなタイミングで衝動的に買ったのがこのエッセイ本たちである。

こんな自分を救うのは、自分のことに関する文章を書くことかもしれない。そんなことを弘中アナのエッセイを読んで直感した。

オードリー若林との対談では、若林もエッセイを書いていなかったら心が持たなかったと呟いている。ハーバードの研究の趣旨とは異なるかもしれないが、心の安寧がもたらされれば色々なことの効率も上がるかもしれない。

◾️浄化を求めて
これまで、日記を書こうとしては、ただひたすら1日に起きた出来事を書き出すだけのことをして、気がついたら書かなくなるということを繰り返していた。

そんな面白くないことが続くはずがないと、今更になって思う。

悩みとか、苦労とか、楽しかったこととか、そのとき考えたことをとにかく吐き出していくことが、自浄に繋がるのだろう。 そんな気持ちでPCに向かうと、堰を切ったように筆が進んだ。

次の日に自分の書いた文章を見返すたびに不思議と落ち着く思いがした。納期には間に合わなかったが。

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ここでは納期に間に合ってなくても、心の安寧がもたらされているということが大事。

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